記憶
命の灯が潰える。
じわりと忍び入るその気配を、クロウは懐かしいような心持ちで迎え入れようとしていた。可笑しな話だが、クロウは前に何度かこのように死を迎えた覚えがあるような気がする。そしてその度に何か酷く後悔したような。心残りを作ったような……。
思い出せない。
そうだ、あの人は怒るだろうか?
あの我儘で、強情で。か弱く優しい魔女。
本人は認めたがらないが、クロウがいないと酷く寂しがっていたっけ。あの
それとも、泣くだろうか?
キルケ?
いや、彼女はセレネではなかったか?
神をも恐れるヘカテーの変身。
大切なことを何か忘れている気がする。
でも、思い出せない。
あぁ、囁き声が邪魔だ。
思い出すことに集中したいのに!
先程からクロウに毒を含ませながら、自分のものになれと再三誘ってくる毒蛇のことはもうどうでも良かった。いくら何を言われてもクロウにその気は全くない。痛みも寒さももう通り越してしまった。
こいつに関して心残りと言えば、一度面をぶん殴りたかったと言うことくらいだ。
回りきった毒が、とうとうクロウに死の門を開こうとしたとき。忘れていた思い出が鮮やかに浮かび上がった。
「セレネ」
クロウは目を開きベッドの上に身を起こした。
短く呪文を唱えると、彼を拘束していた鎖が砂となって崩れ落ちる。身体中から湯気が上がり急速に毒が解除されていく。
「馬鹿な! ヘラクレスの鎖だぞ!」
最上級の封印魔法を意図も簡単に壊されてレルネーは驚きの声をあげる。魔物を呼び出し、クロウを拘束しようと様々な封印魔法をかけるも捕まえることができない。返って彼を刺激してしまい。呼び出した怪物を殲滅しようと攻撃を強くする。炎を呼び出しあらゆるものを灰に変えていった。
カラスごときに出来る所業ではない。
本来彼が操る魔法は風属性のもののはずだ。
現にクロウはあまりに強い魔法を放ち続けているために、自らの体を崩壊させてしまいそうにみえる。次々に火炎を出現させるために、周りで揺らぐ高温の空気がクロウの腕の表面に火膨れを作っていった。
「クロウ。迎えに来たわよ」
その時壁にしつらえられた鏡からキルケが姿を現した。
黒一色のドレス姿だ。白に統一された部屋のなかでひときわ目立つ。
ベッドの上にたち魔法を暴走させているクロウにキルケの声は届かなかったようだ。
「クロウ!」
今度は振り向いた。しかし、未だ混乱した状況のようで魔法の暴走は止まらない。
キルケは鋭く辺りを見渡し魔物を手のひと振りで消滅させる。
すると、今度は
キルケを襲おうと飛び出した一体の横っ面をクロウの放った紅蓮の炎が吹き飛ばす。薄い紙切れのように見る間に炎に包まれた。しかし、火だるまになりながらもなお、キルケに追い縋る。燃える爪の先が彼女に届かんとした刹那、突き出したキルケの掌から放たれた攻撃魔法、
クロウの尋常でない魔法の使い方に焦燥したキルケは、氷の刃を出現させてレルネーを壁に虫のように刺して止めた。
「邪魔よ! 何もしないでそこで見てなさい!」
言葉の丁寧さと裏腹に射殺すような視線でにらむ。指ひとつでも余計に動かそうものなら、次は躊躇いなく殺す。そうはっきりと告げる目をしていた。
レルネーは身体中に刺さった氷の剣を掴み血へどを吐いた。一方的に決められた攻撃は一度であったにも関わらず、彼に与えたダメージは甚大だった。もはや成すすべもなく、レルネーは壁にぶら下がっている他なかった。
「さぁ、クロウ。元に戻って。一緒に帰るのよ」
「セレネか?」
その呼び掛けにキルケは青ざめた。
「駄目よクロウ! 思い出しては駄目!」
「まだ、怒っているのか私のことを」
「指輪に命じる。お前の器を護りなさい!」
彼の言葉を遮るようにキルケが命令を下せば、クロウの胸元が怪しく光った。その光が彼を包み込み、体に負ったダメージを取り除いていく。魔法の暴走による火傷が見る間に消えていった。
それなのに、クロウは糸の切れた操り人形のようにその場へ崩れ落ちた。キルケは走りより彼の頭を抱き抱えた。
「駄目よクロウ。思い出さないで、行っては駄目!」
頬を叩き呼び掛ける。
死の淵を覗こうとしている彼を呼び戻そうとでもするかのように。
「貴方が死んだらレルネーを殺す。貴女を嵌めたマリーも殺す。母親の前で引き裂いてやるから!」
それが嫌なら私を止めるために戻ってきなさい!
何度も彼が死の淵へ旅立つのを見送ってきた。
再び彼を探し当てるのに数百年も待ち続けた。貴方はまた私を置いて逝こうというの?
クロウ!
グロワール・ドゥ・デュラン・デア・ゲネリス!
戻りなさいグロワール! 貴方は私と契約したはずよ!
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