鳥男とミミ

 幾日かすぎたある日の朝。

 鳥たちが騒がしく鳴く声に、ルカが窓から外を窺うと、白い道の遠く人の姿があった。この人も自分と同じく、道に迷った人なのだろうか?


 ルカは布をローブのように羽織って、その姿を隠した。

 こんな姿で現れて、相手を驚かせたくなかったから。


 その人は遠慮がちなノックの後、訪いを入れてドアを開く。外套のフードを取れば、驚いたことにそれはいつぞやかの晩に助けたルカの恋人、ミミだった。カウンターに立つルカを見つけて入ってくる。


「あなたが怪物の森に住むご婦人でしょうか?」


 恐る恐る話しかけてくるミミに、ルカは魔女の不在を告げた。すると彼女は、帰ってきた時でいいのでぜひともお願いしたいことがあるという。


 姿をくらました恋人の行方を教えてほしい。


 彼にまつわる良からぬ噂がうそなのは知ってる。

 ずっと一緒にいたのだから、それが分からないわけがないのだ。そしてミミはルカの帰りをずっと待っていた。


 ところが先日、追剥にひどい目に会いそうになった時、突然現れた怪物に救われた。とても恐ろしかったのに、その怪物の悲しい瞳を見てミミは心をゆすぶられる思いがした。誰かに似ている。

 追剥が散り散りに逃げ去るのを見届けると、あっという間に怪物も姿を消した。残されたのは大きなローブとちぎれたネックレス。そのネックレスには緑の宝石がはめられた小さな指輪がついていた。リングの裏にはミミの名前。


 胸騒ぎがした。

 恋人に何か悪いことが起こっているのではないかと。


 誰に尋ねても居場所が分からないといわれ、彼が戻ってくるのを待とうと決めて過ごしてきた。きっと帰ってくる筈だと。それなのに。

 矢も楯もたまらず探し回り、万策尽きて彼女は森の魔女を訪ねてきたらしい。

 魔女ならきっと見つけてくれるはず。


「ご婦人はいつ頃お戻りになりますか?」


「さぁ、一度出掛けてしまうといつ戻るのかわからない人なので」


 カウンターに背を向けて珈琲を落としているルカがその手を止めずに返事をした。その声に、ミミが顔をあげる。


「あなたはご婦人のお友達?」

「とんでもない。しばらくここに置いてもらっているだけの居候ですよ」


 何処かで聞いたことのある声。その声を確かめるべくミミは会話を引き延ばそうと頑張った。


「パンを作るのがお上手なんですね。私の大切な人もパンを作るのが得意なんですよ」


 ルカはいたたまれずに背中を向けた。彼女はまだ自分を忘れてはいない。

 あらぬ噂に耳を傾けて彼をなじった人達とは違う。彼を探して、こんな恐ろしいと言われる森の奥までたった一人で。


「ねぇ、貴方がルカじゃないの?」


 ルカの手が、わずかに震えた。


「そのグーズベリーのパイ見たことあるわ。あの人が焼いたものにそっくり。そのパンだって」


 黙ったまま背を向けているルカにミミは声をかけ続けた。第六感が、彼女にこの青年が誰なのか答えを告げている。


「ねぇ、どうして何も言ってくれないの? こっちを向いて」


 ルカは彼女へ背を向けながら、見つけてもらえた喜びと、顔を合わせた後の拒絶を予感して、その狭間で身を切られる思いを味わっていた。


 なぜ、あのとき彼女の信頼を疑ってしまったのか?


 そうすればルカはこの森へ足を踏み入れることもなく、このように悲劇的な対面を果たすこともなかったはずだ。

 しかし、今は何を言っても後の祭り。


 お別れだ。


「ねぇ、ミミ。頼むからそのまま聞いてくれないか」


 ルカは彼女のもとを去ってから、自分の身に降りかかった不思議な出来事を話して聞かせた。彼がどのようにして身を破滅させたのか。どのように怪物になったのかを。


「その指輪は捨てておくれ。そして、どうか僕のことは忘れてほしい」


 彼の背後で愛しい人が身を絞るようなすすり泣きの声を上げる。振りむいて慰めてあげたいけれど、それはできない。


 カップに注がれすっかり冷めた珈琲の水面に、セピア色の化け物が映っていた。


 そう、これが今の自分。


 慰めるどころか怖がらせることしかできない。


「ルカ。お願いだからこっちを向いてちょうだい」


 ミミの細い指先が、ルカのいるカウンターの方へ差し伸べられる。どうか振り向いてほしい。この手を握って笑ってほしい。


「どんなに恐ろしい姿になってしまったのか、貴方が言うように私は知らないかもしれない。それでも」


 愛しているの。


 真心のこもった彼女の言葉に、ルカはとうとう振り向いた。

 彼を隠す布に彼女の指がそっと掛かる。

 黒い羽根に覆われた人型の怪鳥が姿を表した。醜くグロテスクなその姿にミミは息を呑む。しかし、これほど悲しい目をした怪物を彼女は知らなかった。


 ルカは今すぐに消えてしまいたいと思っていた。

 醜怪で、かつての面影もない恋人の姿を見て、ミミは何を思っているだろう?

 顔を背けてしまいたい衝動を必死にこらえて、ルカは想い人と見つめ合う。


 美しい彼女の青い瞳から、清らかな涙が次々と零れ落ちた。

 泣きながら、それでも目を背けることなく、ミミはルカへ両手を差し伸ばす。鉤爪が生え、爬虫類じみた彼の手を、震える手でしっかりと握りしめた。


「ねぇ、ルカ。私のことをまだ愛してくれているかしら?」


 彼女の瞳が彼に『Yes』と言ってほしいと訴えていた。

 恋人の真実を確信して、怪鳥のグレーの眼から蒼い涙が流れでる。


 言葉に出来ずにうなずいた。

 何度も何度も。もちろん。もちろんだとも。


 信じられないことに、その時ミミは微笑んだ。

 恋人の愛の告白を受けた乙女のように、怪物と見つめ合いながら。

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