第125話 東大阪市足代南の純煮干そば
「日が落ちると、まだ少々肌寒いな」
仕事帰り。
観たい映画のほどよい時間の上映があるということで、近鉄に乗って布施まで出てきていた。
東大阪の地に降り立ち、未だ冬の名残を残す風に吹かれていると、静かな唸りが腹部より生じていた。
「腹が、減ったな……」
幸い、仕事を早めに切り上げることに成功していたので、まだ、映画の上映までは時間がある。
ならば、普段余り来ない方面に行ってみるのもいいだろう。
セガワールドの向かいの布施駅の東側の出口から出て、南へ進路を取る。
チェーンの居酒屋の入ったビル、ファストフードのチェーン店あれこれ、立ち食いそば、昔ながらの中華屋、短い間二郎的なものを出すラーメン屋の後にできたうどん屋などなどがあるが、どうにも「これだ!」というものがない。
そのまま、商店街の南端に達してしまう。
「ん? なんだ、あの店は?」
そこで、一つ南に渡ったところに、『麺や』とでかでかと書かれた暖簾が掛かっていた。ふらふらとその前まで歩いて観れば。
「ラーメン屋、なのか?」
茶色い煉瓦のようなタイル張りの落ち着いた佇まいの外観に、大きな表札のように読みづらい茶人の名前が書いてあるだけで、余り店舗のように見えない。
「まさか、この人が住んでるわけじゃ、ないよな?」
しばし逡巡したが、よく観れば麺のメニューもある。大丈夫、ここは麺やだ。
気を取り直して入り口のドアを開けると、
「あれ?」
まだ店内ではなかった。右手にエレベーターがあり、奥に扉がある。
「これ、どっちだ?」
エレベーターで上った先に店があるのか、この先のドアの向こうが件の麺やなのか、今一解らない。
硝子張りのドアの向こうには、新鮮な鯛がどうのと書いたポスターが貼ってあって鮮魚を出す飲み屋か何かに見える。
が。
「魚介系の麺やっぽいから、きっとこっちだ」
意を決して扉をくぐれば、
「おお、麺やだ」
ドアから見えなかった入って左手に、厨房があり、ストレートのカウンター席が並んでいた。それとは別にテーブル席が二つ。
入って見れば、麺屋だ。
空いていたカウンター席に案内され、メニューを開けば、
「あ、こちらに限定もありますんで」
そういって店主が示した壁の張り紙を観れば、
「鮮魚のラーメン、なのか」
様々な魚を使ったラーメンの数々が並ぶ。基本的に魚は好きなので、この時点で当たりを引いたのは間違いないだろう。
「これは、悩む……いや、やはり初見なら基本メニューだ」
そうして、開いたメニューに目を戻せば、どうやら煮干しがメインらしい。煮干しを題材にしたラーメンは色々食べたことがあるが、さて、どんなのが出てくるやら? と瞬間的に考えてしまったので、メインでも十分楽しめそうだ。
「純煮干しそばお願いします」
オーソドックスに行くことにする。
さて、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を起動するか。今日から総選挙イベントなので、リリーを応援しまくらなきゃ。
「って、更新、入るよな、そりゃ」
最新版のインストールから始まり、差分データのダウンロードが入り、ようやく起動した頃には、目の前の厨房の調理作業は佳境に入っていた。
これは、出撃していては機を逃す。
おでかけだけしこんだところで、案の上、注文の品がやってきた。
「なんだ、これは?」
最初に感じたのは匂い。
磯の匂いだ。それも、結構強烈な。
その匂いの元の丼の中身は、
「黒い、な」
煮干しをそのまますり潰したような色合いだ。
その上に、ローストビーフと見まごうようなレアチャーシュー。
薬味的に、刻み玉葱とカイワレ大根というのは、中々の個性と言えよう。
……いや、スープの色と匂いの時点で相当な個性か。
ともあれ、圧倒されているだけでは腹は膨れない。私は腹が減ってるんだ。
「いただきます」
恐る恐るレンゲでスープを啜れば。
「うぉ、魚だ!」
煮干しの出汁をトコトン煮詰めて塩で味を調えた風情の魚の旨み。見た目通りの味わい。魚を飲むような趣だ。
「まてよ、これだけ魚だと、肉との相性は……」
レアチャーシューをスープにくぐらせて食えば。
「旨っ!」
魚介出汁と肉の旨みが絶妙に仲良く
今まで経験したことのない味わいに腹の虫も当惑している。
「って、これはラーメンなんだ」
ここで、麺を啜る。見た目は細ストレート麺だが、
「重っ!」
見た目に反して硬めでボリューム感のある麺だった。しかも、煮干しが絡みまくっていてガツンとくる。細麺でここまでくるのは珍しい。
腹の虫も理屈でなく満たされる喜びに騒ぎ始めていた。
ふらりと来たが、ここ、当たりだぞ。
これは、また限定も喰いにきたいな、とこの時点で思ったところで、ふと気付く。
「ああ、だから茶人の名を冠しているのかもな」
一期一会。茶道を由来とする四字熟語。
限定メニューとは、正にそれだろう。
「と、そんなことは、今はどうでもいい。今は、目の前の丼を楽しむのだ」
そう思って、カイワレと麺を食べれば、
「なるほど、これだけ魚介の癖が強いと、辛味のある野菜が抜群にあうな」
エグみにも通じるカイワレの辛味が、むしろサッパリとして心地良い。
「となると、こいつが本命だな」
刻み玉葱。
ここまでの経験で既に予想が付く。
これは、ヤバイぐらいに合うヤツだ。
予想しながら、玉葱をたっぷり掬ってスープを啜れば。
「あかん、これは、ヤバイぐらいに合う」
予想以上に合う。脳にガツンと多幸感。
ヤクなぞいらん。旨い麺があれば人はトリップできるのだ。
そう、自信を持って宣言できる味だ。
いや、余計なことは考えるな。味に溺れろ。
無心に貪る。
だが、駄目だ。
まだ、もう一押し欲しい。
卓上を観れば、味変アイテム入りと思しき小さな壺がある。
蓋を開ければ、赤い粉。
「ヤクですぜ、こりゃぁ!」
合法の、な。
迷わず匙で掬ってスープに入れ、混ぜずに赤い粉を一緒に掬って啜れば。
「唐辛子、旨っ!」
確かに辛い。
だが、魚介の味と合わさって、唐辛子そのものの旨みが感じられるのだ。
それもこれも、煮干しだ。
ここまで煮干しを強烈に使いこなすとは、恐れ入る。
最後の一押しも完璧。
麺を具材を平らげ。
「唐辛子マシマシじゃ!」
粉末唐辛子を二杯放り込み。
丼を持ち上げ。
一気に飲み干す。
「……」
言葉もない。
ただただ煮干しに圧倒されて、腹の虫も黙らされた。
気持ちを俗世に引き戻すため、水を一杯、呑む。
深呼吸を一つ。
それでようやく我に帰り。
「ごちそうさん」
会計を済ませて、店を後にする。
インパクト絶大な麺の余韻を引き摺りながら、竜田川が自分を振った女を井戸に突き落とした話を思い出すタイトルの映画を観るべく、南西へと針路を取る。
余談だが、余韻は寝る前まで続いたという。口内に漂う磯臭さとして。だが、それがいい。
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