第35話 大阪市中央区日本橋のカレーつけ麺(並ヤサイマシマシニンニクマシマシカラメ)
“冬”が近づいていた。
熱気に満ちた、“冬”が。
今年の“冬”は、新設の東7、8ホールも使用した過去最大規模の開催である。それゆえにか、いつもは受からないサークルが受かったりして〆切に追われている者も多い時期であろう。
念のために注釈しておくと、特定の業界で“冬”といえば、有明で開催される冬のコミックマーケットを指すのだ。
ありったけの妄想をかき集めて表現された数々の作品を、ありったけの欲望をかき集めた者達が求める、煩悩の坩堝。
というと、エロ方面ばかりがクローズアップされそうだが、むしろ「誰も知らんだろうが俺が好きだから描いたんだ!」と、そういう己の『好き』を表現する広い意味での妄想と欲望の坩堝である。
その坩堝に、何の備えもなく挑むのは愚か者のすることだ。気づいたなら、電光石火で供え、もとい、備えるべきなのだ。
かくして私は、本日発売のDVD版カタログを手にすべく、一路大阪日本橋を目指すのであった。
が。
地下の駅から地上へと出、冬の柔らかい日差しを受けたところで、
「腹が、減った」
早々に鳴きだす腹の虫に歩みが鈍くなる。
そういえば、ここのところ色々気にして普段は食事を控えめにしていたのだった。こんなときは、体を少々気遣いつつ、健康的な食事をしっかりとるべきだ。季節柄、風邪を予防するためにも、食事は大事である。
道中で、健康的な者を喰うとしよう。
さて、私の足は、オタロードへと向いている。
その歩みの途上。
オタロード入り口のドスパラとソフマップなんば店ザウルスが前方の視界に入る頃、左手にいい店があった。野菜が沢山食べられて、風邪に効果的な食材も摂取できる、打ってつけの店だ。
覗いてみれば、中途半端な時間が幸いしてわずかながら席は空いていた。
ならば、もう、ここに決めよう。
細長い店内へと足を踏み入れ、食券を購入し、空いていた席へと腰を落ち着ける。
購入したつけ麺の食券を出し、
「カレーつけ麺で。ヤサイマシマシニンニクマシマシカラメ」
手早く注文を済ませる。『カレーつけ麺』とわざわざ言っているのは、『つけ麺』の食券は、魚介つけ麺、カレーつけ麺、カレーラーメンで共通だからだ。
あとは待つだけだ。腹の虫の苦痛を他のことに集中して忘れるため『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』をプレイする。
現在開催中の宝探しイベントは規定数のお宝は既に確保したので、後はのんびりである。今回、宝探しの巡回では風属性のステージを利用したためにリリーが活躍できなかったのだが、代わりに
なら、せっかくなので、もう少し鈴蘭を育てよう、と思ったのだが。
「あかん」
空腹で頭の働きも鈍っているのか、調子が悪く、一度など鈴蘭を脱落させてしまうという体たらく。
弾幕シューティングは、力業が要求されることもあるが、基本は先読みして弾幕を誘導して避けやすいようにふるまうことを要求される知的なゲームである。頭の働きが鈍れば当然、多大な影響が出る。
めがねっ娘を脱落させたショックをそう、己に言い聞かせて紛らわせていると、待ちに待ったカレーつけ麺が登場した。
「マシマシの割には控えめ、か」
いい香りのする茶色いつけ汁と、野菜で全く見えないが麺の入った器の二つが目の前にあった。思ったよりも低めの野菜の山の上には、こちらはたっぷりの刻みニンニクの塊、麓には三つほど豚肉の塊が乗っかっていた。
「いただきます」
まずは、適当に野菜を掴んでつけ汁へと浸し、口にする。
「ほどよい」
どこかのアフィブログで一攫千金を夢見る少年が占い師女子高生に向けたような感想が漏れる。
ジャンクでありながら、どこか家庭的な雰囲気のカレーの味。出汁が効いているところから、カレーうどんなどの系統にも近いが、やはり、ご飯にかけて食べる方にも寄り添った味で、おそらくどちらに使っても合いそうな、バランスのいいカレー味なのだ。ありふれているようでそうでもない、ほどよい味なのだ。
要するに、旨い。とても旨いのだ。
「肉、肉だ」
これも、旨い。カレー味は、なんでも受け入れる味ではあるが、このほどよさは凄い。
「天地を返すようなこともないし、このまま行こう」
野菜をモリモリ食べる。健康になりそうだ。
「あ、この辺で、ニンニクも一気にいっちゃおう」
つけ汁へ、野菜の上に鎮座していた塊を豪快に放り込む。
「うう、刺激が加わり、益々ほどよい」
旨さが加速した。食べる手も加速する。
この旨さで、風邪予防にもなるのだから、ニンニクは素晴らしい。
益々、健康になる。
「いよいよ、麺だ」
導線が確保された、黄色く太い面を掴み、つけ汁へと。
そのまま、口へと運んだのだが。
「……」
ああ、脳内になんか出てるな、これ。
言葉にならない。
日頃控えている炭水化物を、暴力的な旨みと共に口いっぱいにほおばる幸せを噛み締める。麺を咀嚼するだけで、もう、どこかに行ってしまいそうになる。
炭水化物をむさぼる行為が、これほどの快感をもたらすなんて、ああ、何かが見えて……
「いかん。ヤバい薬をキめたみたいになってた」
ふいに我に返り、水を飲んで一息入れる。
しかし、それだけ強烈に舌を通して全身に旨さが広がっていったのは事実。
そもそも、カレーという食い物が旨いのだ。そこに、この店の豚の濃厚な出汁やらが合わさって、健康的な野菜とニンニクも加わってしまったら、太刀打ちできない。
そこに加えての、この食べごたえのある太く硬い麺である。噛めば噛むほど、幸せになってしまうのは、仕方ないことだろう。
もしかすると、控えめにし過ぎた炭水化物に対する禁断症状かもしれない、という考えが頭によぎったが、関係ない。
今、幸せなんだ。それでいい。
掴むだけで手ごたえがある麺をつけ汁に浸して口に運び、野菜をつけ汁に潜らせて頬張り、肉につけ汁を纏わせて齧る。
何をしても、脳内麻薬が分泌されてしまう。何かが見えてきそうになる。
幸せ過ぎる食の体験だった。
「……そりゃ、すぐなくなるよな」
ガツガツモリモリ食べていたのだ。あっという間になくなってしまうのも道理だ。
名残惜しく、レンゲでつけ汁を飲んで気を紛らわせようとするが、むしろ麺と野菜と肉がもっと喰いたくなる罠。
だが流石に、これ以上はマズいだろう。快楽に溺れて帰ってこれなくなってしまいそうだ。いくら健康的な食事でも、宜しくない。
鉄の意志でレンゲを手から離し、水を飲む。
「ごちそうさん」
強制的に終わりの言葉を口にし、席を立つ。
大丈夫だ。腹の虫は鳴りやんでいる。
栄養の摂取は十分だ。
込み合った店内の細い通路を潜り抜けて店を出れば、ほどよい冬の日差しが体を包み込んで、心を現実に呼び戻してくれているようだ。
腹も膨れたので、本来の目的へと気持ちを切り替える。
「さぁ、宝の地図を手に入れよう」
欲望の坩堝を歩くための道しるべを手にするため、オタロードへと足を踏み出す。
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