第24話 大阪市中央区難波千日前の限定2

 台風が近づいていた。


 各地で警戒が強まりつつも、ここ大阪は幸いにして影響は小さく、ピークと言われた仕事帰りの時間帯も雨がパラつく程度だった。


 空腹を抱えた帰り道。

 台風が来るならと諦めていたが、これなら腹の虫の声に従うのも悪くない。最近始まったとある店の限定メニューを食べておきたかったのだ。その欲求を、満たすとしよう。


 駅から歩けば、ちょうど開店時間の頃合い。店員があれこれ開店準備をしているところだった。先客も少ない。これならサクッと喰って帰れそうである。


 すぐに準備は整い、店内へ。迷わずお目当てのメニューの食券を購入する。ローテーションの限定メニューのため、素っ気なく『限定2』と記された食券を手に席へ着き店員に出す。ニンニクの有無を聞かれるが、マシはない。


「ニンニク入れてください」


 それだけで、注文は終わりである。後は待つだけだ。


 『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』をプレイしたいところだが、余り読み進められていない週刊少年サンデーを読んで待つことにする。


 『初恋ゾンビ』に登場した針摺アリスが中々いい眼鏡さんだなぁ、と思っていると最後に…… そして、人の心を読めるようになってしまうことで生じる人間関係のあれこれを描いた『ふれるときこえる』は遂に最終回。


 いや、解ってたんだ、こうなることは。さとりの眼鏡は伊達で、心の壁を表しているってことは最初から語られていたことなんだ。


 だから、仕方ない。この作品に関してはあのフレーズを認めねばならない。これは、触れると人の心が読めてしまう少女が、ずっと、厚着と伊達眼鏡で触れあわないように壁を創っていた彼女が、その壁を打ち壊すまでの物語だったのだから。


 これが、本当のさとりなのだから……


 思想信条との板挟みに苦しむほど、大好きな作品だったと確認はできたのだけれど、いかんな。こんなセンチな気分では腹の虫の勢いが弱まってしまって戦地とも呼べる楽しい食の時間に支障が出る。


 そう、だからこそ、ここで『ゴ魔乙』のリリーのことを思い出すのだ。


 弱点は、メガネを奪われること。魔法少女姿の彼女をアバターにすれば「変身しても、眼鏡はそのままですよ。それは当然です。なくては、困ります」と宣う彼女の言葉は、深く心に染み入る。


 だからこそ、この氷の悪魔は彼女は私の大切なモノ(主に預金残高)を奪っていったのだが、後悔などあろうものか。リリーが何者か気になったのなら『ゴ魔乙』で検索するといいのだ。


 うん、素敵めがねっ娘のことを想ったことで力が抜け、腹の虫が活力を取り戻して一声鳴き声を上げる。めがねっ娘は健康にもいいことが立証された瞬間だ。


 そこで、タイミングよく注文の品がやってくる。


 最初に、大きな丼の上で、カツオが舞い踊っているのが目に付く。褐色の中に紛れるカイワレ大根の緑と白が目に楽しい。


 その下には、山盛りのもやしとキャベツ。麓には、半分の味玉、ニンニク。


 そして、二枚分の豚だ。一枚はそのまま、もう一枚は混ぜやすいように小さく切り刻まれているのが嬉しい心遣いだ。


 更に、別皿で提供されるのは、味変用の甘酸っぱいタマネギのピクルス。


 具材ばかりが目に付くが、丼の中にはこれまた大盛りの麺が埋まっていて、混ぜ合わされるのを今か今かと待ち構えているのである。


 そう、今回の限定メニューは、いわゆる『汁無し』もしくは『まぜそば』と呼ばれるものであった。


「いただきます」


 とはいえ、いきなりガッツクのは愚策である。


 弓手に箸を、馬手にレンゲを構え、天地を返す。

 麺を引っ張り上げ、具材を底へと沈めて、ぐちゃぐちゃとかき混ぜる。


「これぐらいだ、いいだろう」


 デロデロと表現するのが相応しい平太麺が丼一面に拡がっていた。麺の所々に黄色い小さな粒は、ニンニクだろう。あれだけ主張していた他の具材は、麺に抱かれて姿を隠している。


「さぁ、頂こうか」


 箸で豪快に麺を啜れば、


「あはは、この味は、なんか嬉しくなるな」


 まぜそばのタレは、レギュラーの醤油、塩、ポン酢全部を混ぜて豚の脂と出汁で旨みを合わせたというジャンクとしかいいようのない生い立ちである。更にはそこに、ニンニクの刺激まで加えているのだ。とにかく全部混ぜてみた、ジャンク・オブ・ジャンクとも言えるタレ。


 それでいて食べやすく感じるのは、ブレンド配分の妙もあるだろうが、特にポン酢がいい仕事をしていると感じる。こってりしつつも後に残る爽やかな酸味は、確実に体に悪いとしか想えない料理を食していることを一時忘れさせてくれる。


 お陰で、旨みによって脳内にドバドバ湧きだした分泌液が得も言われぬ多幸感をもたらしてくれる。


 麺に絡んだ肉が、タレを纏ったもやしが口に入る度、頬が緩み、腹の虫が嗤う。


 ぐちゃぐちゃと混ぜ合わせながら麺を下から引っ張りだせば、底に沈んでいた鰹節が、ただでさえ盛りだくさんのタレに旨みの追い討ちを掛けてくる。食欲にブーストがかかり、箸を動かす速度が上がり大量の麺を頬張っては咀嚼して飲み込む。


 一種のトリップ状態で半分ぐらいは喰ったところで、


「そろそろ、か」


 別皿のタマネギへと手を伸ばし、


「こういうのは、思い切りが大事だ」


 麺の上に一気にぶちまけてぐっちょんぐっちょんとかき混ぜる。


「ふふ、とてもサッパリしているなぁ」


 甘酸っぱいピクルスの風味まで加わって、もう何がなんだか解らないがとにかく旨いと感じる、そんな味になっていた。まだまだ食べれそうな、そんな錯覚を甘酸っぱさというものはもたらしてくれる。


 そのまま喰い進めると、


「そうか……これをまだ喰ってなかったな」


 底に沈めていた豚が姿を現した。細切れにされた分は、麺と一緒に食べてしまっていたが、この一枚の切り落としは手つかずで残っていたのだ。


「そのまま行くのも味気ないし……これだ!」


 粒胡椒を手に取り、豚の表面が黒く染まるほどに掛け、そのまま食す。


「はぁ、落ち着く」


 胡椒の掛かった豚が旨くないわけがない。このシンプルな豚の旨みが、ここまでの複雑というか暴力的な味のマーブルに対するカウンター。


 そう、この豚はまさかの箸休めなのだ。


「さて、あと一息だが……」


 豚を食して落ち着けば、もう一声の変化が欲しくなる。


「これも、行ってしまうか」


 胡椒と共に席に備え付けられた、もう一つの調味料を、どばっと一面に振りかければ、丼の中は紅く染まる。


「カプサイシンで、カロリーをもやすのだ」


 それを人は、焼け石に水、とも言う。


 と、そんな御託はいい。辛味プラスして、もう何が混ざってたか一々上げるのは面倒だけどとにかく旨み溢れたタレで、残った麺を啜り上げる。


 全てを胃に収めるのに、時間は掛からなかった。


 いや、


「タレが少し、残ってるな……」


 量的には、レンゲに二杯もないぐらいの少量だ。『汁無し』というぐらいだから、当然だろう。


 絶対に、体に悪い。


 のだが、最近は専門店などで『追い飯』なるもので、この残ったタレを味わう試みも増えてきている。


 追い飯などないが、それでも専門店の味わい方から得られる教訓がある。


 つまり、


「タレを最後まで味わうのが礼儀だ」

 

 丼を両手に抱え、ドロドロの液体を胃の腑へと流し込めば、腹の虫たちが歓喜に打ち震えていた。


「ごちそうさん」


 最後の一滴まで味わった満足感を腹に抱え、店を出る。


「さて、とっとと帰ってリリーで出撃しよう」


 何があろうと、めがねっ娘と戯れれば人は健康になれるものだから。



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