二人の関係(3)
果歩の出番はかなり遅めだった。それよりずいぶん前に、きょうちゃん先輩が滑った。
きょうちゃん先輩は、気に入った曲に合わせて好きな事をやっていた。エッジの使い方やなんかにはちょっとした癖があるものの、彼女らしい独特の魅力あふれる演技にしみじみと考えさせられた。
フィギュアスケートの良さというのは、一つの物差しでは語れない、と。
そして、果歩の出番が来た。
快活な出だし。一つ目のジャンプを決め、加速してステップシークエンスにつなげる。そこから間を置かずに二つめのジャンプ。そこで果歩は氷に弾かれるように転倒した。
「がんばれー!」
気がつくと、僕は席を立ちあがり、観客席の手すりにはりついて叫んでいた。
はらはらしながら見守る中、演技は終わった。
得点が表示されると、画面が切り替わりその時点での順位が発表された。
十七位――!!
ちなみに、きょうちゃん先輩は現在四十位。残りの滑走者は十人もいない。思ったよりも、全然いい結果だ。
「よっしゃー!!」
僕は大声を出して飛び跳ねていた。
「制覇君……」
陽向さんがあきれたような顔で僕を見た。
「あ、すいません」
ちょっとはしゃぎ過ぎただろうか。僕は慌てて席に戻った。
果歩は掲示板を見上げてガッツポーズをしていた。観客席に「KAHO」と書かれた小さなバナーが掲げられているのが見えた。
「果歩ちゃん、あのプログラム、先生なしで作ったのよね? ショートとしてはとても上手にできてたじゃない」
「あ、ホントですか?」
でもショートとしてはというのはどういう意味だろう。
「点が取れるように必要な要素がきっちり押さえられていたと思うわ。ちょっと技術寄りになりすぎてるかなっていう気はしたけど」
「……? どういうことでしょう」
「ジャンプして、スピンして、次はあれして、これしてっていうのをつないだだけになってる印象だったでしょ? もう少しつなぎかたを工夫してもいいと思うのよね。曲の抑揚とも合ってる感じがしなかったし。そんな気がしなかった?」
言われてみれば、曲に合った気持ちのよさのあるプログラムではなかった。
「でも、シングルですしね」
「シングルでも、そこが良くなれば構成点の方ももっと伸びると思うわよ」
「構成点……」
シングルもアイスダンスも、技術点と構成点という採点からなっている。技術点はエレメンツに関する評価だけれど、構成点というのはなるほど、そういうものなのか。
「でもショートは時間が短いし要素の縛りもきついから、どうしてもそうなりがちみたいよ。フリーの方はどう作ってるかしら。楽しみね」
翌日。陽向さんに楽しみにしてもらった甲斐もなく、果歩は同じように色気のないプログラムを滑った。
「果歩ちゃんは、あの曲の盛り上がりをどう捉えているのかしら? あの素敵な山場に、なぜ見せ場を作らなかったのかしら? あれではせっかくの衣装も振付も台無しだと思うのだけれど」
「あの、その感想、本人にしてやってもらえません? お互い勉強にもなるし」
「そうね。そうしましょ」
陽向さんは気持ちがおさまらない様子で言った。
それでも点は出た。なんとこの日は、前日より順位が上がって、十四位という結果。
果歩は観客席に向かって大きく手を振っていた。その笑顔は僕とは違う方向に向けられていたけれど、僕はとても嬉しかった。
「あ、男の子たちが、帰って来たわよ」
陽向さんが後ろを振り返り、観客席の扉を指さした。出番を終えた上本と平野が戻ってくるのが見えた。
この日、上本は平野に負けた。
平野の後ろについてこちらへ向かってくる上本の心中を思う。その姿は心なしか肩を落としているように見えた。
そのはずなのに、応援席に座っている僕たちに近づくにつれ、上本は平野と共に弾むような足取りに変わり、最後には「イエーイ! 西日本進出決定!!」と言ってみんなにハイタッチをして回った。
「最終結果、出たんだ」
「出た出た。俺たちこのまま、全日本まで行っちゃうんじゃね?」
「かもね」
二人は上機嫌で席に座った。
心配する必要はなかったか。僕はほっとして観戦を続けた。
ところが。
休憩時間、トイレで上本とばったり会った。すると上本は僕を個室に連れ込み、にゃおーんと言って僕に抱きついてきたのだった。
「あの……そろそろいいかな?」
「ああ。ごめん……」
トイレから出ると、ジュニア女子の総合結果が掲示板に張り出されていた。
「先、帰っておいてよ。僕、ちょっと見ていくから」
上本と別れて、僕は掲示板に近づいた。果歩の十四位のすぐ上、十二位の所で、ラインが引かれているのが目に入る。
「このライン、なんだろう」
そうつぶやいていると横の人が、「そこまでが西日本に出られるんだよ」と教えてくれた。
「ありがとうございます。へー、ここまでが……」
驚きだった。
何十人ものエントリーのある戦いの激しいクラスで、あと二人抜けば西日本に行けるような順位を出すほど果歩は上手いのか。
果歩の下には、長い名前の列が連なっている。
あとたった二人。たった二人抜けば、西日本へ行けたんだ。
「おおっ。果歩ちゃんってば、すごーい!」
いつの間にか果歩が、隣で掲示板をのぞき込んでいた。果歩は、自分の結果を自分でほめた。
上本の件があったばかりだ。僕は果歩の笑顔をそのまま受け取っていいのか分からなかった。本当は悔しくて、僕をトイレに連れ込んで抱きつかなくてはならない心境だったりはしないだろうか。
「果歩……」
その時、僕の声を打ち消すように、どこからか女の子の声が響いた。
「果歩ちゃーん!」
モミの木でよく会う小学生の二人組が、こちらに向かって駆けて来た。果歩は二人を見て目を丸くしていた。
「どうしたの? 二人とも。わざわざ見に来てくれたの?」
二人の女の子は返事の代わりに、果歩にプレゼントを手渡した。
「果歩ちゃん、かっこよかったよ」
「すごかったねー」
二人とも目をキラキラさせて、「私も試合出てみたいな~」と焦がれるように言った。
「出なよ出なよ~。無級から出れる地方大会もあるんだよ~」
果歩は嬉しそうに二人の頭を撫でた。
その光景に僕は動くことができなかった。
果歩は、試合に勝つためにここに来たわけじゃない。
あいつの夢はもっと違うところにあったじゃないか。
目の前に広がっているのは、その眩しい成果だった。
次は僕の番だ。
三週間後に控えた西日本大会。
こいつの夢に加担するためにも、僕はモミの木に報いる演技を決めてやろう。
考えてみれば果歩にとっての僕は今、あいつの夢の一部なんだ。
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