異国の風(3)
リズムダンスのプログラムをどの組も一通り見てもらった後だった。
『せっかくだから、みんないつもと違う相手と滑ってみようか』
オスカー先生がそう提案した。
今シーズンのリズムダンスには、ロッカーフォックストロットを入れることが条件になっている。ロッカーフォックストロットはパターンダンスだから、パターンを知っている相手となら誰とでも滑ることができる。これを相手を変えて滑ってみようというのだ。
先生はアシュリーに向かって何か言ったあと、僕に向かって何かを言った。すぐに陽向さんが状況を教えてくれた。
「アシュリーと制覇君でやってみたらって言われてるわよ? アシュリーは、上手にリードしてあげたら、かなり難しいステップでも滑れるんですって。先生は制覇君のことを、とても上手に滑れる人だってアシュリーに紹介してたわよ」
陽向さんは自分が褒められたかのように得意そうだった。アシュリーはというと、すました顔で明後日の方を向いていた。
日本を知らないと言った時の感じからすると、僕なんかと滑ることには興味がないのかもしれない。
『いいかい?』
オスカー先生が僕を笑顔でのぞきこんだ。
『昼間も言ったけど、アイスダンスを踊る上で大切なことは、相手とコンタクトを取り合うことだよ。特にアシュリーはこれまで一緒に練習してきた陽向とは違って、教わってきた先生も違うし一緒に踊るのは今日が初めてなんだから、彼女がどう滑ろうとしているのかをよく感じ取ってあげなさい。それから君がどう滑ろうとしているのかも優しく伝えてあげるんだよ』
先生は今度は陽向さんに何かをしゃべりかけ、他の生徒の元へと去っていった。僕はアシュリーとその場に取り残されてしまった。そっぽを向いて立っているアシュリーに、僕はどうしていいのか困ってしまった。
他の生徒たちが組み始めていく姿を見て、昔セッションで吉田さんに連れられておばさんに声をかけに行ったことを思い出した。あの時結局僕は何も言わなかったけれど、こういう時はきっと僕から動かなくてはだめなんだ。
「あ、あの……」
アシュリーにそう話しかけると、きょとんとした顔をこちらに向けられた。その目は驚くほど透き通っている。
そうだ、よく考えたら日本語じゃ通じない。このあと、なんて言ったらいいんだろう。
悩んだ末、僕は彼女に手を差し出した。するとアシュリーの顔が、ぱっと明るくなった。
彼女は
スタート地点に立ったアシュリーは、一段と輝きを増したように見えた。僕は首を縦に振って拍を取り、カウントダウンをアシュリーに伝えた。アシュリーはさっきまでとは全然違う、可愛らしい笑顔で僕を見上げた。
上手くリードすれば難しいステップでも滑れるという言葉が頭を過った。それと、さっき見た完璧なユニゾンのペアの姿も。
いいリードをしてあげよう。こんな合宿にまで来ている子なのだ、高いものを目指して練習してきてるに違いない。
僕はこれまで習ってきたことを頭の中で思い浮かべながら、慎重に滑り出した。アシュリーは面白いくらい僕のリードするエッジに見事に乗ってきた。
パターンダンスって、すごい。初めて会った人とでもこうやって組むことができる。世界共通、誰とでも。こんな、お互い言葉の通じない相手同志でも。
すごい感動だった。
いい調子で半周を過ぎたところでのことだった。アシュリーが突然腰を引くようにしてブレーキをかけてしまった。そして先生の元へと去って行った。
『ごめんなさい。彼とはここから先は滑れません』
アシュリーは先生に笑顔でそう訴えた。僕は一瞬わけがわからなくて、次の組が迫ってきて初めて慌ててコースを外れ、先生とアシュリーの元へ駆け寄った。
僕が何か悪かったんだろうか。
先生に目で問いかける。先生は言った。
『制覇。君はパートナーが今何をしてほしいのかに気を配ってあげたかい? 君がパートナーのことを助けてあげるんだからね』
そしてアシュリーに対して言った。
『アシュリー。君も必要以上に怖がらないで、もう少し相手を信頼して心を開けるといいね』
全員が二周滑り終わると、先生はアイスダンスで何より大切なのは二人で踊ることだと言った。そのために必要なことはなんだろう。よく考えて。決められた形を
『こうやっていつもと違う人と組んでみたことで、なにか気づくことがあったんじゃないだろうか。それを各自のパートナー関係に活かしてほしい』
「アシュリーは、アウトモホークが怖かっただけじゃないかしら」
その夜、ホストファミリーの家で夕食後の紅茶をもらいながら、陽向さんとアシュリーの話をした。
「そうでしょうか」
アシュリーがブレーキをかけた数ステップ先には、アウトモホークというターンが入っている。
「あのターンは背中にもたれるように回らないと上手く回れないでしょ? でも背中側にもたれるのって、後ろに転びそうで怖いって言うじゃない? その上、転ぶと後ろ頭を打つとも言われてるし」
だから万一の時には、女の子を支えられるようにと僕は教えられていた。
「アシュリーは、そういうことに制覇君が気を配ってくれていることを知らないわけでしょ。だから怖かったのよ。きっとそれだけのことよ」
それは、陽向さんは僕が支えるつもりでいるから、怖がらずにターンできると言ってくれているのだろうか。
陽向さんは受け皿を片手に、紅茶を一口飲むと呟くように言った。
「でも、あのターンが怖いっていうのが私には今一つよく分からないのよね」
そうですね。知ってました。陽向さんはそうですよね。
銀色の猫が足元にやって来た。陽向さんは手を伸ばし、その仔を抱きかかえた。
「ところで、陽向さんの方はどうでしたか?」
「私っ!? ん~、私は別に……」
陽向さんはなぜか焦ったように膝の上に視線を落とし、そこに座っている猫の両手を上げ下げした。
まあ、陽向さんだもんな。誰と組んでも特に何の苦労もなく、すっといけるんだろう。それにしてもそんなに激しく猫にちょっかいをかけて、引掻かれたりしないんだろうか。
そう思って見ていると、陽向さんが突然テレビCMを指さした。
「あっ。ほら、制覇君。ウエストサイドストーリーですって!」
「ああ、この曲、今日滑ってたカップルが使ってましたね」
「今ブロードウェイでやってるのね! そういえばこの近くなんですって。すごいわね~。本物のブロードウェイよ。実は私、ウエストサイドストーリー大好きなのよね~」
陽向さんは妙に高いテンションでそうしゃべっていたけれど、僕にはブロードウェイがなんなのかよく分からなくて、適当に相槌を打ちながらまたアシュリーのことを考えていた。
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