五. 異国の風。
異国の風(1)
滑走路の見える大きな窓から、飛行機が何機も何機も飛び立っていく。その様子に釘付けになっていると、飛行機は初めて? と尋ねられた。
「初めてです。あ、写真撮っとこ」
「それならもう少し向こうから撮った方がいいんじゃない?」
そう言って席を立った陽向さんに促されて、僕も立ち上がる。長い待ち時間。スマホを手に、いい絵の撮れる窓を探して二人でロビーを歩き回った。
「それにしてもよかった。無事に果歩ちゃんの理解をもらうことができて」
「あいつは昔からあのリンクを、夢のあるリンクにしたいと言ってましたから。目指すものに向かうことを邪魔したりしませんよ」
もっともらしくそう言ってはみたけれど内心複雑だった。あの時果歩は言葉とは裏腹に、陰りのある顔をしていた。葛藤の末、僕のためを思ってあの言葉をかけてくれたように見えた。
僕の背中を押してくれたのは、アメリカ行きの意味に納得したからなんじゃないのか。だったらもっと喜んでくれてもいいはずなのに。
「果歩ちゃんと制覇君の関係って……うーん、思ってたのとちょっと違うのかしら。どうなのかしら……」
陽向さんはぶつぶつ呟きながら、進んでいった。
少し先の窓から外を眺めた陽向さんが、こちらをふり返る。
「制覇君! どう? ここ、ここ!」
寄っていくと、どこからか明るい声がした。
「陽向!」
陽向さんの同級生らしいおしゃれな女の子が二人、手を振りながら近寄ってきた。
「わあ。こんな所で会うなんて。二人で旅行?」
女の子たちはきゃあきゃあ言いながら
「ちょっとフランスまで。ねー」
と顔を見合わせた。それから好奇心に満ちた目で僕たちを眺めた。
「私たちのことより。なになに? 二人は? もしかして……」
陽向さんは肯定とも否定とも取れるような思わせぶりな笑みを浮かべて
「ちょっとニューヨークまで」
と答えた。
女の子たちは興奮してランデブーなどと叫びながら手を叩いたあと、さっと僕を指さした。
「年下!」
「どうして、そう思ったんですか」
思わずそう尋ねていた。
「だって」
「ねー」
二人は無邪気に笑った。
「ひなが主導権取ってる感じだもんね」
会ったばかりの人なのに。僕たちはそんな風に見えるのか。
それは僕にとって軽い衝撃だった。
それから間もなく、搭乗時間が訪れた。
アナウンスが流れ、僕は陽向さんの後ろに並んでチケットを渡し飛行機に乗りこんだ。彼女の手際を見ながら同じように座席に着いた。こういうところが結局、年下に見えるんだろうなと自分でも情けなく納得した。
飛行機が飛び立つと、急に時の流れが速くなった気がした。陽はあっという間に沈み、夜もいつもより早く過ぎ去ったように感じた。
目が覚めると外が薄明るくて、すぐ下に雲が広がって見えた。
その雲の切れ間から、遠くに陸地が見えた。
空港には、滞在中お世話になる家族の人が迎えに来てくれていた。にこやかなアメリカ人の中年夫婦。
陽向さんは、ペラペラ~っと彼らとしゃべり始めて、嬉しそうに握手をして抱き合った。そのあと三人がにこにこしながら視線をこちらに向けたので、僕の鼓動は恐ろしいほどに速さを増した。
彼らに英語で名乗られて右手を差し出され、僕はしどろもどろになりながらなんとか挨拶した。
外に出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。京都のうだるような夏とは違う夏だった。
ホストファミリーの家族とは、サマーキャンプの施設の入り口で別れた。
『何か困ったことがあったらいつでも連絡してね』
二人に手を振って別れると、陽向さんは意気揚々と歩きだした。
そんな僕たちの方を、物珍しそうに見ながら通りすぎる二人組がいた。僕たちと同世代くらいの男女で、透明感のある肌と瞳を持っていた。それによく似合う髪の色をしていて、思わず目を向けずにはいられないような雰囲気があった。
慣れない場所で様子をうかがっているように見えたのに、おどおどしたところはなく、
二人は僕たちより先を正面玄関まで進んだ。男の方が扉を開けて、女の子を先に通した。女の子は扉を開けてくれている相手を見上げて、にっこりと笑いかけた。細くて長い首に、小さな頭が乗っていた。
続いて僕より前をスタスタと歩いていた陽向さんが扉に近づいた。男はそれに気づいて、扉に手をかけたまま待っていた。
「『ありがとう』」
陽向さんは笑顔で軽く首を傾けると、扉を支えている彼の手の横に自分の手を添え、僕の方を振り返った。
「制覇君、早く、早く!」
陽向さんは唖然としている男の横で、僕のために扉を開けて張り切って手招きをした。
中に入ると、陽向さんはすぐにスタッフと思われる人を見つけ、アイスダンスの練習に来たことを伝えた。どうやらさっきの二人もサマーキャンプに来たらしく、僕たちに続いてスタッフに声をかけた。どこから来たのかは聞き取れなかったけれど、女の子はアシュリー、男の方はバーリントンと名乗った。大人びて見えたのに、アシュリーは十四才、バーリントンは十五歳、二人とも僕より年下だった。
スタッフの人に案内されて、僕たち四人は館内を進んだ。リンクへの扉が二つあるのが見える。片方ではホッケーが練習していて、大きな声がこちらまで響いていた。建物の壁のあちこちには、このリンクの出身者らしいフィギュアやホッケーの選手の写真が張ってあった。写真の下には紹介文と思われるコメントが添えられていた。
僕たちは数組のカップルがレッスンを受けているリンクへと入った。空気が研ぎ澄まされていた。澄んだ空気の中にくっきりと、存在感のある二人組の姿がいくつも浮かんでいた。アイスダンスカップルとしての力の高さが見ただけで伝わってきた。これほどのカップルが何組も同じ空間にいるなんて。これが、世界なんだ。
中でもひときわ目を引くカップルがいた。ホールドを組んだけで、ぱっと惹きつけられた。赤みがかった髪を緩くまとめた大人っぽい、だけどかわいらしい表情を浮かべたお姉さんの横には、まるで彼女を
「見て見て! 制覇君! さすがだわ~! あの人たち、きっとシニアよね」
陽向さんは僕の肩を興奮したように繰り返し叩き、目を輝かせながら僕と同じカップルを眺めた。
彼らの方からウエストサイドストーリーの音楽が聞こえた。音楽の出典であるミュージカルになぞらえて、恋人同士を演じているのだろうか。男性が女性の腰へと腕を回す――そんなのはアイスダンスでは当たり前のことなんだけど――そのはずなんだけど、なんだかとても見てはいけないものを見ているような気がした。陽向さんは身を乗り出すように彼らを見ているけれど、この人はこんな演技に興味があるんだろうか。こういうのを望んでいるんだろうか。
眺めているうちに二人の間に引きあう何かが見えるような気がしてきて、気恥ずかしさから僕は目をそらそうとした。
その時だった。
ふわりと持ち上げられた女性の姿に、僕の目が捕らえられた。二人は見つめ合い、そして高く抱え上げられた女性が再び男性の元へと引き寄せられた時――なんと二人は、キスをした!
した――よな?
見間違いだろうか。まさかそんなプログラム、あるわけない。だけど、した。絶対にした。
だって二人のあのなんとも言えない表情。滑り続ける二人の間にあるあの空気。
普通じゃない!
でも……そんなものを人前でするだろうか。
「アイスダンスはシニアからってよく言われるけど、本当にジュニアとは表現力が違うわね~」
そう陽向さんは言ったけど、これが表現力というものなんだろうか。
どきどきしながら僕は思った。あの二人はきっと、ただのパートナー以上の関係なんだろう、と。
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