花喰い娘と夢を喰う魔物 -3

 朝の目覚ましは、騎士様の扉を叩く音でした。

「姉ちゃん、起きろ!」

 何事かと飛び起きたわたしは、髪も梳かさず寝間着姿で勢いよく扉を開けました。

「どうかされましたか!?」

「引っかかった!」

「はい?」

「使用人が罠に引っかかった!」

 騎士様の嬉々とした報告に、どういう表情を浮かべるべきか迷ってしまいました。

 急いで螺旋階段を下りて行きますと、バケツを被った使用人とお腹を抱えて笑っている魔物さんがいました。

「おはよう、お嬢様! 実に素敵な朝だね!」

「おはようございます、魔物さん。たいへん騒がしい朝ですね」 

「お嬢様? 今、お嬢様の声が!」

「ここにいます」

 右往左往していた使用人が動きを止め、姿勢を正しました。人のことを言えたものではありませんが、ひょろ長い彼がバケツ頭で立つ姿は滑稽です。

「お嬢様ですか! 本当にお嬢様なのですか? 声が、声が、聞こえました!」

「わたしは声を失っていませんよ」

「あぁ、なんと喜ばしい! さすがお嬢様! あの魔物の問いかけに、見事答えを当てられたのですね。さぁ、早く帰りましょう。旦那様も奥様も心配されております」

 バケツ頭で喜ぶ使用人に淡々と返します。

「なぜ、塔に入ったのですか」

「お嬢様が心配でしたから……。扉に鍵がかかっていませんでしたので侵入を試みたのです。まさかこんな子ども騙しにやられるとは思っていませんでした」

 扉の鍵が壊れた様子はなく、魔物さんが立てかけた箒はありません。魔物さんと騎士様に視線を移しますと、二人同時に共犯者めいた笑みを浮かべました。

 二人に呆れていいのか怒っていいのかわからずに、使用人に視線を戻します。いつも清潔を心がけている彼の身なりは汚れていました。

 わたしなど追いかけなければ。

「問いかけに答えることができたら、わたしを返すと魔物さんはおっしゃいましたよね?」

「お嬢様、惑わされてはいけません。所詮、魔物です。魔物の言うことなど信じるに値しません」

「嘘」

 服の裾を握りしめました。

「わたしを信じられなかっただけでしょう?」

 抑揚を抑えた声を彼にぶつけます。

「いいでしょう。あなたはこのまま、わたしに失望していてください」

「お嬢様?」

「その方が楽になれるからです」

 踵を返し、螺旋階段へと足を向けました。

 がしゃんと音が聞こえました。

「申し訳ございません」

 振り返れば、使用人が跪いていました。そこにはバケツ頭ではなく、なじみ深い黒髪がありました。

「どこまでわたしを愚弄するつもりですか」

「いいえ、そのようなつもりは」

 使用人の言い分はわかっております。彼なりにわたしを守ろうとしていたのも理解していました。塔に逃げ込んだわたしを最初に見つけ、帰りたくないと駄々をこねると必需品を持って来てくれました。独り立ちの練習になるからと言い、両親には内密にしてくださいました。

 わたしは彼に甘やかされているのです。

「昨夜は申し訳ありませんでした。高揚のあまりお嬢様を傷つける発言をしてしまいました。罰はお受けします」

「罰は与えません」

 わたしの即答に、驚愕の表情を浮かべました。

 見慣れた顔は痩せこけ、健康的だった肌も青白くなっています。彼は三歳程年上だったはずです。見慣れないうちに、すっかり老け込んでいました。その原因はわたしだといっても過言ではないでしょう。

「あなたの言う通りだと思います」

 使用人の黒目がさらに見開かれます。

「失望されて当然です。わたしは期待に応えられる人間ではありません。わがままを言い、困らせてばかりのどうしようもない女です」

「お嬢様……」

「たくさんのものを与えられてきているからこそ、背負わなければいけないものがあるのに、わたしはそれから逃げてきました。ずっとこのままがいいと甘えていたのです」

 ずっと同じは続かない。

 例えば、わたしの体が少しずつ大人へとなっていくように。

 ふと、魔物さんを思い浮かべました。癖のある柔らかな銀髪と紅玉の瞳。品の良い商人のような格好を初めて見た途端、わたしは売られたのだと勘違いをしました。両親でさえ疑っていたわたしを、どうして信じられるのでしょう。

 そのくらい、わたしは卑屈な人間なのです。

 わたしは強くはなれない。

 わたしは真っ直ぐには生きられない。

 だけど、それも全てわたし。

「でも、このままは続きません。物語に終わりがあるように、わたしにもいつかは終わりが来るのでしょう。あなたがわたしを心配しなくても期待しなくても、よい淑女になるように努めます」

 呆気に取られた使用人に、微笑みかけました。

「帰りますよ。わたしは帰ります。そう決めたのですから」

「お嬢様、それでは」

「今すぐではありません。まだ魔物さんとの約束を果たしていませんから。それに、あなたはなぜ一人でいるのです。他の者たちはどうしたのでしょう?」

「こんなことになるとは思わず、旦那様のご指示を仰ぐために、皆、帰しました」

「でも、あなたはお父様からの命が下る前に、実行したと」

 使用人は項垂れます。連絡役を待てなかったのでしょう。

「お嬢様とのお約束も破ることとなります。申し訳ありません……」

「その言葉は聞き飽きました」

 彼の頭がさらに下がりました。

「そんなことより、わたし、今からお掃除を致します。お世話になった塔に感謝とお別れの意味をこめて。あなたは何もしなくてもいいですから、とりあえずそこにいなさい」

「いけません、お嬢様! 掃除をするのは使用人の役目ですっ!」

「却下します」

 言い切ったところで、魔物さんが手を挙げました。

「手伝わせればいいじゃないか。そのバケツを被った記念に、水汲みでもどう?」

「あ、それ賛成」

 騎士様が同意しました。

「あなたの役目、決まったみたいですよ」

 使用人は明らかに納得していない顔で、渋々と頷きました。


 ※ ※ ※


「家ではそういうお嬢様なんだね」

「何がでしょう」

 とぼけても無駄だとわかっていましたが、何も言わないよりはいいと思い、あえて口にしました。

 わたしが着替えたあと、使用人は言われた通りに水を汲みに行き、騎士様は螺旋階段の掃除を始めました。わたしは部屋の掃除です。先生として魔物さんに来て頂きました。

「使用人の態度だけ、いつもと違っていた」

「ほっといてください」

 背を向けて毛布を丸めます。魔物さん曰く、毛布も絨毯も干すのだそうです。

「なぜ?」

 なぜと言われましても。答えようにも思いつかず、無言を返しました。

「ねえ」

 振り向くと魔物さんの顔が触れるくらいの距離にあります。驚いて身を引こうとしたところ、腕を掴まれました。

「僕にはあいつみたいな態度をとらないの?」

「魔物さん、近いです。とても近いです」

「質問に答えて」

 紅玉の瞳に茶目っ気はありません。しどろもどろになりながら、なんとか口を動かします。

「そ、それは、あくまでも使用人ですから……」

「あいつだけ特別扱い?」

 決してそういうわけではありませんが、魔物さんは納得がいかなかったようです。さらに一歩近づかれ、ベッドの縁に足が当たり腰を下ろしてしまいました。

「そういうの、面白くないな」

「ま、魔物さん?」

 目を合わせることすら恥ずかしくなり、逃げるにも逃げられず顔が火照ります。

「ねぇ、キスしていい?」

「え?」

 心臓が早鐘を打っていました。熱さで頭がどうにかなってしまいそうです。口が回らず、なされるがまま肩を押されて仰向けになっていました。魔物さんの大きな体が覆い被さるように迫ってきます。癖のある柔らかな銀髪が頬に当たり、身を捩れば手首を掴まれてしまいました。

「少し、動かないで」

 魔物さんが耳元で囁きました。艶やかな声もだすことができるのだと、ぼんやりとした頭で感心したときです。

「すみません、おじょうさ」

 運が良いのか悪いのか、奇しくも使用人が部屋に訪れたときと、わたしがベッドに倒されたときの時間はぴったり合っていました。

「なにやっているんだああああああああ!」

 使用人の怒声が響きました。

 魔物さんの舌打ちが聞こえたのは、聞き間違いではないのでしょう。

「なにって、押し倒しているところ」

 表情をひとつも変えずおっしゃるとは、さすがです。

「お嬢様から離れなさい!」

「やだ」

 腕を引かれ体を起こされたかと思いきや、魔物さんの腕の中にいました。頭を胸に引き寄せられ、抱きすくめられます。

「あげない」

「いいから離れなさい!」

 使用人は怒り心頭です。

「魔物さん、あの」

「お嬢様がこいつを特別扱いしないっていうなら、考えよう」

「はぁ。……元々していませんが」

 魔物さんは、ぱちくり瞬きをしました。

「本当?」

「はい」

 ようやく納得がいく答えを得られたのでしょう。魔物さんは満足げです。

「それはそれであんまりです。お嬢様」

 使用人の嘆きは聞かなかったことにしました。


 ※ ※ ※


 あれから使用人は、魔物さんを警戒するようになりました。

 階段を下りる際にも、先頭が魔物さんで真ん中が使用人、最後尾がわたしで並ぶように言われました。

 魔物さんはわたしの手を繋げないのは嫌だとへそを曲げてしまい、使用人は今にも噛みつきそうな勢いで魔物さんを睨んでいます。わたしは、お嬢様には意識が足りないと叱られたばかりです。

 しかも、毛布を奪われてしまいました。お二人は毛布と絨毯を抱えていますのに、わたしだけ手ぶらです。

 気まずい沈黙のまま三人で螺旋階段を下りていきますと、騎士様にお会いしました。騎士様は掃除の手伝いをしたいとおっしゃり、階段掃除を引き受けてくださいました。手際よくこなされたのか、階下まで進んでいました。

「こっちはもう終わるよ」

 騎士様が笑顔で手を振ります。

「ありがとうございます」

 使用人の背後からお礼を言いました。使用人と魔物さんは無言です。ピリピリとした雰囲気を感じ取ったのか、騎士様の笑顔が引きつりました。

「どうしたんだよ」

「その」

「僕は先に行くよ。こいつと一緒にいたくない」

 騎士様を素通りして、魔物さんが下りていきます。

「お嬢様。あの魔物はやめたほうがよいかと」

「もう、あなたは黙ってください!」

 使用人の背中を押して先を促します。不安げな視線を送られましたが、下りていきました。

「なんだ、あいつら。姉ちゃんも大変だな。喧嘩か?」

「そういうところです」

 苦笑いしたわたしに、騎士さまは肩を竦めました。

 騎士様の箒は、階段下の小部屋から拝借したものです。掃除には同じ道具を使うものだと思っていましたが、用途によって変わると魔物さんに教わりました。絨毯や壁用のブラシもあるそうです。ただ、小部屋にある箒はひとつだけでした。

 箒を握る騎士様の腰に、あの剣がありません。

 空っぽの、お父様の大切な騎士の証となる剣。

「あの、剣は」

「掃除の邪魔になるから外した」

 あれほど大切にしていたのに、あっけらかんとしています。心配げな顔がでていたのでしょう。騎士様は首を緩やかに振りました。

「俺は認められたかっただけなんだ。親父があまりにも大きすぎて。親父と同じ騎士になれば、越えられるかなって思ってたんだ」

 騎士の子どもだと言われた男の子は、騎士をやめたお父様にわだかまりを抱いていました。

 もしかしたら、騎士を継ぐことでお父様の名誉を挽回したかったのかも知れません。

「でも、もういいんだ。カラカラ姫も姉ちゃんも俺を認めてくれた。俺は馬鹿で無力だけど、何もできないわけじゃないから。騎士にならなくても親父を越えられるよう頑張るよ。俺も帰る。今度は剣を返すために。カラカラ姫とお別れができたからな」

 そこに迷いはありませんでした。

「俺は騎士をやめる」

 朗らかに笑う男の子は、少しだけ背が伸びたように感じました。

「今度、姉ちゃんに会うときは強くなって来るから」 

「はい。楽しみにしております」

 不意に握り拳を前にだされ、意図がわからず見つめてしまいました。

「拳、ぶつけんの」

「はい」

 握り拳をつくり、こつんとぶつけます。

 海の男の子はとても嬉しそうです。

「ところで、姉ちゃんは魔物の質問に答えられたの?」

「実は、まだ……」

 あれから考えてみましたが、全くといっていいほど思いつきません。手がかりを得るために魔物さんにあれこれ質問してみましたが、上手くかわされてしまいました。

「どんな質問?」

「魔物さんの本当の姿を当てて欲しいと」

「本当の姿? へえ、カエルになった王子様みたいだ」

 そうであれば物語のような展開ですが、魔物さんは人の姿をしています。

「俺や姉ちゃんと同じように、周囲にそう呼ばれているだけだと思っていた」

 魔物さんも周囲に魔物だと言われているうちに、自分が何者なのかわからなくなったとおっしゃっていました。

 男の子は騎士の子どもだと呼ばれ、わたしは女であることを望まれました。

 自分が誰なのかわからなくなった人たちが、引き寄せられるように塔にいます。

 どこまでも広がる青空と花畑の中にそびえ立つ塔は、物語の舞台のようです。誰が何のために建てたのか定かではありません。ただそこにあるだけの塔は、誰にも相手にされずに存在していたそうです。

 魔物さんが興味を抱くまでは。

「そうだ。こころだ!」

 一緒に考えてくださった男の子が、明るい声を上げました。

「ほら、あいつ言っていただろ。俺たちにはあるけど、自分にはないって」

 わたしたちにあって、魔物さんにないもの。

「こころが何かわかっていれば、ここにいないとか偉そうなことを言っていたな」

「こころと関係しているのでしょうか」

「たぶん」

 わたしはさらに思案します。

 魔物さんのこころを見つけられたのは、ほかならない男の子のおかげです。

 こころが何か探していた魔物さんに、柩を護る騎士とカラカラ姫の物語に介入すればわかるかもしれないと提案しました。荒唐無稽とも言える案でしたが、魔物さんはようやく答えを得られたのです。

「魔物さんは、あなたと姫君を見てわかったそうです」

「え、俺たち?」

 わたしと魔物さんの約束を、この子は知りません。終わった物語に息を吹き返せないかと勝手な思いでの行動でした。使用人が現れ思いがけない結末となりましたが、騎士様とカラカラ姫が会話をできたのを喜ばしく感じます。

「もしかして、昨日の夜の?」

「はい、そうです」

「あれを思い出すと恥ずかしいな。別にカラカラ姫を意識してないとかそんなわけじゃねーし、ほら、なんつうか、その」

 頬を掻いて、赤くなっておりました。

「神聖に見えましたよ」

「し、神聖!」

 声を裏返した男の子に、くすくすと笑ってしまいます。

 昨夜のお二人は、恋人同士が誓い合う神聖な儀式の一場面を見ているようでした。

 果たして、魔物さんにもそう見えたのでしょうか。

 何か引っかかっている気がしました。

 大事な欠片を見落としているような、頼りない気持ちになったのです。

「何が足りないのでしょう」

 零れた疑問に、男の子は首を傾げました。


 ※ ※ ※


 海の男の子と別れて螺旋階段を下りていきますと、薄暗い塔の中に光が射し込んでいるのが見えました。足元から風が吹いています。どうやら、扉が開け放たれているようです。

 扉の外には、切り取られたような色鮮やかな風景が広がっています。いつ見ても変わらない空と花畑は、幼い頃に読んだ絵本の挿絵に似ていました。

 外には使用人がいました。毛布を抱え、物干し台の前にいます。

 物干し台は、魔物さんが作られたものです。

 壊れた椅子を修理する器用な方です。適当な材料を拾って作ったとおっしゃっていましたが、脚はしっかりしており、竿は二本ついていました。初めて目にしたとき、丈夫な出来だと使用人が憎々しげに呟いたのを覚えています。

 わたしが来るまで魔物さんは、小部屋の掃除道具を使用し、時には作りながら塔の世話をして過ごしてきたそうです。

「使用人?」

 振り向いた使用人は、小難しい表情をしています。

「お嬢様、あの魔物の考えていることがわかりません」

 なにやら困惑していました。

「毛布を干すなんて聞いたことがありません。第一、高貴な方がご使用になるものを屋外で干してはいけませんよ」

 毛布と絨毯を洗うわけではなく、お日様の光を浴びさせたらいいと勧めたのは魔物さんです。

 洗濯にはそのような方法もあるのかと思っていましたので、何の疑問も持ちませんでした。

「珍しいですか?」

「はい。たいてい、洗濯物は屋内で干します」

「屋内で干すと臭うと聞きました」

「確かに、その通りですが」

 渋る使用人にさらに続けます。

「外で干したほうが臭わないですし、早く乾くそうですね。それに、毛布を外に干したら面白いことが起こると聞きました。いったい何が起こるのか、わたしは知りたいのです」

 逡巡したのち、使用人は首肯しました。

「お嬢様がおっしゃるならそう致しますが、旦那様と奥方様には」

「えぇ、秘密にしておきます」

 唇に人差し指を当てて、微笑みました。

 わたしも干してみたいと使用人に頼み込み、一緒に毛布を広げました。竿にかけ、毛布を伸ばし、ブリキが巻かれたバネばさみで挟みます。

 毛布は、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びていました。

「シーツを洗って干したくなりますね」

 使用人の独り言を逃しませんでした。

「やってみたいです!」

「お嬢様!」

「魔物さんから石鹸を頂きました。洗濯や床磨きに使っていいそうです!」

 興奮を抑えきれず、勢いよく話します。使用人は困り顔でした。

「洗濯でもやるの?」

 塔の影から、魔物さんがひょっこり顔をだしました。今までどこにいたのかと尋ねようとしたとき、魔物さんの後ろにあるものに視線がいきました。

 カラカラ姫の柩がありました。

 男の子が運んできた荷車の上に、丸めた絨毯と乗せられています。

 わたしの視線に気づいたのか、魔物さんは柩を一瞥しました。

「あぁ、これ? 子どもに聞いたらいらないって言ったから、何かに使えないかなって」

 使用人が絶句しました。

「中には誰もいないのは知っているよね。まぁ、姫君の骨が少しだけ残っているけれど」

「こ、この魔物め!」

「こういう結果になったのは、自分のせいだとわかって言っているのか?」

 紅玉の瞳に射抜かれ、使用人は身を竦ませます。

「僕は飽きたんだよ。役割を与えられる在り方に」

「魔物さん?」

「洗濯をするなら、柩を桶の代わりにするのはどうかな。この荷車はお嬢様の荷物を運ぶときに使えばいいだろう」

「あの」

「絨毯を干す場所がないか探したけれど、やっぱり竿にかけるのが一番だね」

 魔物さんの言葉の端々に苛立ちが見えました。

 他に干す場所を探していたあたり、よっぽど使用人といたくないのでしょう。

「魔物さん。わたし、干します。いえ、干しましょう」

 傍に寄り、荷車の絨毯を引き下ろそうとしたところ、魔物さんに持ち上げられてしまいました。

「いいよ、僕がする」

「魔物さん」

「なに」

「喧嘩しないでください」

「してないよ」

「それでは、怒らないでください」

「怒ってないさ」

 そういうつもりならば、こちらにも考えがあります。わたしは使用人を呼びました。使用人は嫌な顔を露骨にだし、仕方なくといった様子で来ました。

「お二人共、握手をしてください」

 二人はぎょっとしました。

「な、なんでこのような汚らわしい魔物と!」

「魔物さんは汚らわしくありません」

「どうして握手なんだい」

「友達の証です」

 二人はお互いの顔を見ましたが、魔物さんは仏頂面で使用人の口角は引きつっています。

「僕はこいつと友達になりたいとは思っていないよ」

 魔物さんは目の前にいる相手を、堂々と指しました。

「私もですよ!」

「なってください」

 断言しました。

「いつまでギスギスしているつもりなんですか。これでは、楽しく掃除も洗濯もできません。握手をして友達になってください。そして、仲直りしてください」

 まごついている二人の手首を掴みます。

「嫌なら、お二人とも柩に閉じこめます」

 二人の顔が凍りつき、わたしは手を離して微笑みました。

 先に手を伸ばしたのは使用人でした。震えていますが、やり遂げようとする意志はあるようです。魔物さんは震えながらも伸ばす手を興味深そうに眺め、突然、がっしりと掴みました。

 使用人が短い悲鳴を上げました。

「よろしく」

 魔物さんは笑顔でした。

「よ、よろしく」

 使用人は青ざめていました。

 握手を交わす二人の手に、わたしの掌を乗せます。

「これで二人は今日からお友達です。仲良くしてくださいね」

 魔物さんの返事は軽く、使用人の返事は重たいものでした。

 さて、洗濯の時間です。

 絨毯も干したところで、階段掃除を終えた男の子も加わりました。柩を桶として使いたいと提案した魔物さんに、男の子も唖然としました。

柩は捨てるか燃やす考えだったようで、魔物さんの発想は思いつかなかったそうです。

 さすがに柩を桶代わりに使うのは躊躇われたのか、苦い顔をされました。魔物さんは不思議そうに首を傾けましたが、わたしも姫君が眠っていたところに洗濯物を放り込めないと申しますと、得心してくださいました。

 それなら柩を分解して、焚き火に使えばいいとおっしゃったときには苦笑してしまいましたが、魔物さんに悪気がないことは存じております。

「洗濯板はないけれど、桶なら小部屋にあったよ」

 魔物さんが桶を外へ運び出します。

「柩のほうが大きいし、洗濯しやすいと思うんだけどなぁ」

「それとこれとは別の問題です」

 螺旋階段から下りてきた使用人が、部屋から持ってきたシーツを桶に入れました。

「魔物って馬鹿なのか」

 バケツの水を男の子が注ぎます。

「純粋なんですよ。魔物さんは」

 わたしはシーツを桶に押し込み、水に染み込ませました。ひんやりとした冷たさには覚えがあります。魔物さんと森に行き、すくい上げたあの川の水です。

「なんだよ、皆して」

 魔物さんは不満顔です。

「それにしても、小部屋には生活感がありますね」

 使用人の言う通り、階段下の小部屋にはあらゆる道具が詰め込まれていました。

掃除道具だけではなく、お皿や工具もあったのです。欠けや錆びがありましたが、大半は使用できます。

「魔物さん、この塔には誰か住んでいたのですか?」

「さぁ、誰かいたかも知れないけれど、忘れられた塔だ。どうしてここに建っているのか、それすらも忘れているんだろうね」

 その言葉は、わたしたちに向けられているような気がしました。

「まずは石鹸を水に濡らして、シーツにこするんだ」

 魔物さんに教わった通りに行います。水と石鹸が混ざり、ハーブの匂いが広がりました。男の子は石鹸を初めて目にするらしく、小さな泡が出てくると歓声を上げました。

「魔物さん。石鹸が少しだけ小さくなりました」

「使えばなくなるものだよ」

 おっしゃる通りですが、使い切るには惜しい気がします。

「床磨きにも使いたいんだろう?」

「そうですが……」

「お嬢様。石鹸をご所望でしたら、私に言いつけてくださればよいですのに」

「それは」

 石鹸をこする手が止まります。魔物さんから頂いたものだから大事にしたい。恥ずかしさが邪魔をして、喉の奥に引っかかりました。

「どうしたの?」

 隣でわたしを見ていた魔物さんに、顔を覗き込まれました。

「ねえ、顔が赤いよ」

 しかも、耳元で囁かれてしまいました。

「ほっといてください!」

 顔が一気に熱くなるのを感じ、慌てて逸らします。ちらりと魔物さんを見れば、小さく笑っていたのです。からかわれたのでしょう。文句の一つでも言おうかと思った矢先、手を差し出されました。

「さて、素足になるんだ。踊るのは得意かな。お嬢様?」

 素足で踊った経験はありません。どういう意図なのかと図り兼ねます。

「足踏み洗濯だ!」

 いち早く理解したのは男の子でした。

「洗濯物を足で踏んで揉むんだよ。俺の故郷は周辺が海だから、真水は買い取っていたけどさ。村の洗濯日に女たちが大きな桶に洗濯物を放り込んで、ひたすら足踏みするんだよ。もちろん、子どもだって参加できる。これがなかなか楽しいぜ。歌ったりしてさ」

「田舎者がやる行いですよ」

「おい、もう一回言って見ろ。この犬風情が」

 使用人の片眉が吊り上がりました。

「ほぉ、さすが田舎者。罵り言葉は達者なご様子」

「使用人」

 わたしの声に、使用人の肩が跳ねます。

「どうして喧嘩をするのでしょう。仲良くしてくださいと申したはずです」

「あ、あのですね、お嬢様」

 弁明をする様を冷ややかに眺めていれば、魔物さんに袖を引っ張られました。

「ねえ、お嬢様。僕は喧嘩していないよ」

「知っています」

 細く息を吐き、男の子の正面に立ちました。

「どうか、使用人の失言をお許しください」

 ドレスの裾を持ち上げ、頭を垂れます。

「使用人の不始末は、わたしの不始末です」

 使用人の顔色が青から白へと変わりました。

「いや、姉ちゃんが謝ることじゃねえから!」

 わたしは姿勢を崩しません。

 視界の端で意気消沈している使用人がいようとも、先程から袖を引っ張ってくる魔物さんがいようとも、例え子どもであっても責任は責任です。不誠実であってはいけません。

「あー、もう。頼むから顔を上げてくれ。適わねーな、姉ちゃんには。謝られてばっかりだ」

「許してくださいますか」

「当たり前だろ」

 顔を上げ、笑い合いました。

「それ、僕にはやってもらってないよ」

 腕を捕まれ、魔物さんの胸へと引き寄せられます。見上げれば、つまらなそうな顔をしていました。

「魔物さんは、わたしに何をさせたいのでしょう」

「君と一緒にいたい」

 そう言われましても、どうすればよいのかわかりません。

 こうして皆さんの前で抱きつかれるのは、恥ずかしいものがあります。

「その、一緒に踊るのでしょう?」

 咄嗟に思いついたのは、先程のお誘いでした。

 魔物さんの手に掌を重ねますと、長い指に絡まれました。口元まで持っていかれ、指に口づけを落とされます。

 その指は、約束をしたときと同じ薬指でした。

「喜んで」

 紅玉の瞳が笑いました。

 軽々と抱えられました。横抱きという不安定な体勢です。反射的に魔物さんの肩に腕を回しますと、微笑されました。

「これは邪魔だね」

 片手で器用にわたしの靴を脱がし、地面に落としていきます。

「ドレスを汚したくなかったら、裾を持ち上げた方がいい」

 魔物さんはそう言い、わたしを桶の中に下ろしました。

 石鹸水が素足を浸します。水分を吸い込み膨らんだシーツが足裏に触れ、こそばゆく感じました。

「大きく足を動かして踏むんだよ」

 ドレスの裾を持ち上げ、ぎこちなく足を動かしてみます。

「だめだって、そんなんじゃ! もっと大きく!」

 男の子が桶の中に飛び込みました。

 ぱしゃんと水飛沫が上がります。

「海の歌でも歌おうぜ!」

 高らかに歌いだした歌は、朗らかで民族的な曲調でした。わたしが知る古典的な音楽ではありません。海を讃え、共に懸命に生きる人たちの想いがこもった歌でした。

 伸びやかな歌声に合わせて足を動かします。そのうち男の子が手拍子を始め、さらに足を動かします。

「それじゃあ、僕も」

「え、魔物も?」

 魔物さんが桶の中に入りました。大人一人と子ども二人で、桶はいっぱいです。

 魔物さんはわたしの手を取りました。

「いい?」

 火照った顔で頷きました。

「子ども、歌ってよ」

「はいはい」

 男の子が歌を再開します。

 型のはまった踊りではありません。歌に合わせて足踏みをするという単純な踊りです。思うままに好きなように踊り、気がつけばわたしも歌っておりました。

「あなたたちは本当に子どもだ!」

 呆れ返った使用人が叫びます。

「だって、子どもだもの!」

 わたしたち三人は、笑って返しました。

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