第6話「未完の決着②」

 俺が複雑な表情をする一方で、オベール様は、また黙り込んでしまった。


「…………」


 黙り込んだオベール様へ、このタイミングで俺がすべき事……

 それは結果説明と謝罪だ。


「ヴァネッサさんは、俺のプロポーズを快く受け入れ……その後すぐ、俺達は結婚しました。それから、ずっと幸せに家族の一員として暮らしています。今迄、内緒にしていて、本当に申し訳ありません」


 俺は結末を話して詫び、そして頭を下げた。

 そりゃ、そうだ。

 事情が事情とはいえ、俺は今迄黙っていたのだから。

 オベール様が、所在不明となったヴァネッサの行方をあんなに心配していたのに。

 切ない気持ち……別れた元妻への深い愛情を分かっていたのに……

 しかし立場上、オベール様は表立って捜索に動く事は出来ないし、今では新たな妻イザベルさんが居る。

 

「…………」


「結婚後、暫し経ってヴァネッサさんは……記憶を全て取り戻しました。辛い過去も、兄弟と共に悪い事を企んだ罪も……」


 そう、俺もヴァネッサの記憶が戻ったら、一体どうなってしまうのか怖かった。

 ヴァネッサの俺への愛は、偽りの記憶の上に成立した愛。

 いわば、砂上の楼閣である怖れもあった。

 聡明で優しくなったヴァネッサ……否、愛する嫁グレースを絶対に失いたくなかったから。


「…………」


「でもヴァネッサさんは自分をしっかり省みて乗り越え、俺への愛は全く変わらないと言ってくれたんです。ステファニーとの仲も変わらず姉と妹のままでした。いえ、もっと仲良くなったみたいです」


「…………」


 オベール様は黙って俺を見つめ続けていた。

 しかし表情は、最初とはだいぶ変わった。

 長い間悩んだ、懸案事項が解決し、ホッとした……

 そんな安堵感の波動が、しおのように満ちて来ているのが分かる


「今回エモシオンに来る少し前、ヴァネッサさんの妊娠が分かりました。当然、俺の……子です。とうとう彼女にも子供が出来たんです。年齢的にずっと子供を欲しがっていましたから、凄く喜んでいましたよ」


「お、おおお……」


 またオベール様、吃驚している。

 そりゃそうかもしれない。

 かつての妻が、義理の息子に愛され子を産むのだ。

 とても奇妙な感覚が襲っているに、違いない。


 まあ良い。

 ここまで来たら、俺は事実を告げるだけである。


「今、ヴァネッサさんはつわりが酷いんです。それでステファニーは……いえ、ソフィは全く迷わず、ヴァネッサさん……いえ、グレースの世話をすると宣言して残りました。だから今回の旅に同行出来なかったのです」


「おお、おおおお……あの子が……あんなにヴァネッサを憎んでいたステファニーがか!? 私に会う事よりヴァネッサの看病を選んだ!?」


 改めて驚くオベール様。

 論より証拠……その、ことわざ通り。

 事実として俺が語った話より、ステファニーの行動の方がずっとインパクトがある。


「ええ、とても優しいですよね。親父さんの娘だけあって素晴らしい子です。でもステファニーだけじゃありません。グレースも含め、俺の嫁ズは全員最高の女達なんです」


 ああ、ついつい惚気のろけてしまった。

 傍から聞いていたら、これじゃあ単なる嫁自慢。

 でも、構わない。

 俺は心の底からそう思うもの。


 オベール様は黙ったまま、苦笑している。

 良かった!

 俺の嫁自慢を聞いて、少しずつ元気と余裕が出て来たんだ。


「…………」


「親父さん安心して下さい。ヴァネッサさんは、いえグレースは俺の妻になれて本当に幸せだと言ってくれました。だから、親父さんは心置きなく、イザベルさん、フィリップと幸せになって下さい。……もう、二度とヴァネッサさんの事で思い悩む事はありません」


「わ、分かった! 彼女が無事で幸せになったのなら……もう私に……心残りは……ない」


 オベール様の、目が遠い。

 俺を瞳の中に捉えていながら、見ていない。

 彼の心の中には、遥か昔に過ぎ去った、ヴァネッサとの過去が甦っている。

 

 「今迄の夫達とは全然違った……オベールは初めて優しく大事に、心の底から愛してくれた男性だった」と、グレースことヴァネッサは言っていた。

  

 そう……

 オベール様とヴァネッサは、ふたりで紡いだ思い出を持っている。

 その思い出は、現在いまの夫である俺にだって壊せない。

 否、壊す事など出来やしない。

 行き違いからヴァネッサが一方的に別れを告げ、その後、王都で行方不明となり……未完となっていた思い出が。

 

 だが……

 その甘くほろ苦くもある、様々な思い出の決着がついた日が……今日なのだ。

 俺は『ふたりの思い出』も全て飲み込み、これからもヴァネッサ、否、グレースを愛して行くだろう。


 さあ、これから言うのは締めの言葉。

 これは、俺とグレース共通の希望でもある。

 今後オベール様は、もはや過去の幻影となったヴァネッサとは、二度と会わない方が良いと。

 現在の妻イザベルさんの気持ちを考えたら、絶対に会ってはいけない。

 

 オベール様はイザベルさんとの愛に満ちた家庭を築き、ヴァネッサは別人グレースとして俺の嫁となり、家族になった。

 お互いにもう、新たな人生へと歩み出しているのだから。


「ええ、俺達家族は全員幸せです。だからグレースに関して、親父さんは遠くからそっと見守ってくれるだけで構いません」


「わ、分かった……でも……ヴァネッサ! し、幸せになって! 本当に、本当に! よ、良かった!」


 拳を固く握り締め、オベール様は泣いていた……

 改めて、俺をじっと見つめる。

 その眼差しは……優しい。

 

「ありがとう!」


 オベール様は、はっきり礼を言うと、俺に対して深々と頭を下げたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る