20「終わっているの?」

 唐突に現れ、自分のやることだけを為して、自然に去っていく。自分以外の人間になど、まるで興味を示さない鳥のようだった。

 呆然とする人間達は、暫くの間、沈黙していた。

「今日は疲れたね、帰ろうか、愛」

 穂波が里見を抱きかかえて、立ち上がる。スーツはあちこちが破れ、彼自身、今にも倒れてしまいそうなほど、弱弱しく見えた。

 当然里見は動く気配を見せない。彼女は、既に死んだ者だ。彼女の魂魄は、唯を止めるために使われた。結局もそれは失敗し、魔法使いに全てを奪われる形となる。

 それでも、穂波は、大事そうに彼女を抱き起こした。

「待ってください!」

 背を向けた穂波に、ミハエルが寄ろうとする。ミハエルの声は、彼には届いていないようだ。彼女に負わされた傷のせいで、ミハエルの足取りは重い。物理的にも、体を構成している魂魄にも障害を与えている。エーテルをそのまま武器にするということは、このことも意味しているのかとミハエルは実感していた。

 その間に割って入ったのは、ユーゴだ。

「もう戦いの意味はないよ、兄ちゃん。課長もこんなだし、ここはお開きっていうことで」

「そんな馬鹿な話が!」

 結果的に、使節も対策課も、何も手にしていない。

 使節は里見と唯を失い、恐らくは、単なる戦闘員一名と、第六元素の所有者一名が、それぞれ損失した、と記載されるだろう。対策課には、これといって被害はない。行動を利益が全くでなかった、というくらいである。

 何も終わっていない、終わってなどいないのだ。

「それくらい、許してやってくれないかな」

「今更」

「課長に死体を蘇らせる技術はないし、そんなことが無理だということはあんただってわかっているだろう?」

 里見は、目に見える魔術で、魂魄を消化してしまった。今の里見は、人というにはあまりにも空虚な、人形と同じだ。それも、精巧に作られた、出荷前の人形と、見分けがつかないほどだ。生気はなく、始めて見た人間は、元人間であったとは思わないだろう。高名な人形製作士が手間暇をかけて創り出したと言われても違和感を抱かないかもしれない。

 魂がない死体とも、一線を画す。それを元に戻すことは、どんな魔術にも不可能だ。

 いつの間にか、穂波の横には、東雲の他に女の子が立っていた。女の子は、今にも寝てしまいそうな表情をしている。

「今戦って、どうなるかはわかるよね」

 ミハエルにユーゴを倒すことはできない。できるとすれば、騎士ではなく、魔術師の戦いである。今の穂波に戦意がないとしても、対策課は三人だ。圧倒的に不利なのは、ミハエルであることは明らかだ。

「くっ」

「それじゃ、機会があれば、またまた」

 ユーゴが、手を振る。

 ミハエルは、動かなかった。

 そして、薄くなり始めた霧の中に、彼らは姿を消した。



 そこに立っているのは、ただミハエル一人だった。

 立ち尽くして、空を見上げる。

 エーテルの霧が晴れて、太陽が昇り始めていることを知らせている。

 何年振りに、日の光を浴びたような錯覚を感じた。

 光は、影を作る。

 もう少しで、街は動き出すだろう。

 止まり続けていた歯車は、また静かに、何事もなく、回りだす。

 それでも、ミハエルは一人だった。

 何が始まって、何が終わったのか、彼にはわからない。

 わかろうともしなかった。

 ただ彼が実感しているのは、一つだけだった。

 今、彼が、独りである、ということである。

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