11「過去2」

 五月の始めの連休まであと僅かとなった日、生徒は連休の予定について盛り上がっている。クラスの何人かは、グループで旅行に行く計画らしい。彼らは二年生に上がったばかりであり、中間テストにもまだ遠い、下級生もできて少し浮かれ気分の、そんな高校生活としては最良の期間にいるのである。

 苦手な数学が最後の時間にあるというのは、何かの試練だろうと、唯は考えていた。化学の方がまだ乗り切れるが、数学は練習問題をランダムで当てるという理由によって、毎回予習を欠かしてはいけない。

 ショートホームルームが終わり、掃除当番以外は家路に着くなり、部活に出るなり、それぞれの自由時間が与えられる。学生にとってはここからがいわゆる本番なのであり、そのために授業が存在しているのだ。

 教科書をブルーのリュックに詰めて、左手で持ち上げる。予想以上に重いが、これはまだ許容範囲である。唯は流れるように、机を掃除係のために壁際までバックさせる。

「わ、わー」

 あたふたとしながら、最前列で教科書を鞄に詰めている少女を見る。周りがものすごい勢いで机が下げられ、圧迫感を増しているようだ。箒を持った掃除当番が、少女の前で立ち退きを要求している。

「みさきー、まだなわけ?」

 言っている本人は楽しそうにしているのだが、言われている方は焦るだけである。

「あ、ごめんー」

 バタバタと机から教科書を溢して、またあたふたとする。

 見かねて唯がその側まで近付き、教科書を拾い上げる。

「ありがとー唯」

「ほら、急がないと、机ひっくり返されちゃうよ」

 美咲と呼ばれた少女が、嬉しそうに目を細める。元々細い目は、更に細く目尻が垂れ下がる。

「いくら私でも、そこまでしないわよ?」

 友人の声に笑いながら、適当に美咲の鞄に唯が教科書を流し込む。不恰好に膨れた鞄が完成すると、机をカーリングのように奥へと滑らせていく。

「これで、オーケーと」

「ありがとー」

「それで、生徒会寄って行くんでしょ?」

 鞄を美咲に渡して、唯が聞く。友人は既に掃除を開始していた。

「うん、予算請求の紙を会長がだせって言ってたよ」

「私も、置き物があるから。行こうか」

「はいー」

 彼女たちが所属している生徒会に向けて、よたよたと歩いている美咲を置いていかないように、唯が後ろに回って背中を押す。

「きしゃみたいー」

「汽車って、私見たことないよ」

「わたしもー」

「でも、汽車みたい?」

「イメージが、だよー」

「あ、そこのツインズ」

 謎の呼称で、掃除をしていた友人が振り返って二人を呼び止める。

「連休の旅行、どうすることにしたの?」

「私はパス、ほら、ね」

 手を振って、唯が返す。多少親しい友人は、唯に両親がいないことを知っている。唯はそのことについて決して引け目に思ったことはないが、援助をしてもらっている神楽の家に迷惑を掛けたいとは思わない。

「ああ、うん、美咲は?」

「えっとね、家の手伝いがあるの」

 美咲が背中を押す唯に体重をかけながら、答える。

「そうか、じゃあ二人とも不参加ね」

 バネのように唯が美咲を腕で押す。前に倒れないギリギリの力を計算しつつ、戻ってくる美咲をまた押す。

「ごめんね」

「いや、いいのさ。修学旅行にとっておきましょう」

「じゃあねー」

 バネの遊びを繰り返して、美咲と唯が教室を出て行く。

 残された友人は二人の挙動を怪しんでいた。 

「あれ、楽しいのかしらね」

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