第3話
「あれが、約束していたファミレスです。」
今度は助手席に座ったあおいさんが、窓の外を指差した。
車の進行方向、左側にファミリーレストランが見える。
「そちら側のコンビニが、翔太に会ったコンビニです。」
ファミリーレストランから、少し進んだ右側にコンビニが見える。
「コンビニの所の信号を、左折してください。」
僕は喫茶店から助手席に座った、あおいさんの指示通りに車を走らせていた。
カーナビが有ればそんな必要はないのだが、残念ながら明日香さんの車には、そのような高級品は付いていなかった。
お金が無い僕たちには、カーナビなんて高級品だった。
明日香さんの父親に頼めば、カーナビくらい買ってくれるだろうけど(カーナビどころか、新車だって買ってくれると思うが)、明日香さんはそういう事はしないのだった。
「そこの自動販売機の所を、右折してください。」
しばらく進むと、古いアパートが見えてきた。
「ここです。」
僕はアパートの前で、車を停めた。
アパートは二階建てで、1フロア三部屋ずつの合計六部屋だった。
101号室、103号室、202号室は空室のようで、入居者募集中と書いてあり、大家さんの電話番号も書いてある。
「翔太の部屋は、203号室です。」
「行ってみましょう。」
明日香さんは階段を上がって行った。
いったいこのアパートは、築何年なんだろう?
僕たちが歩くたびに、階段がギシギシと音をたてる。
壊れる事はなさそうだが、夜中に誰かが歩けば、階段側の101号室と201号室の人には迷惑だろう。
僕たちは、203号室の前にやってきた。
明日香さんがドアをノックしたが、やはり返事は無かった。
ドアにもカギがかけられ、開かなかった。
「駄目ね。」
「明日香さん、どうしますか?」
「なんとかして入りたいわね。」
「あおいさん。カギは持ってないですよね?」
僕は、あおいさんに聞いてみた。
「はい。持っていたら、入っています。」
それもそうか。
「大家さんに電話をしてみましょうか。」
明日香さんはそう言うと、スマホを取り出した。
「昨日、私も電話したんですけど、本人じゃないと開けてくれないそうです。」
「それじゃあ、別の方法で開けてもらいましょう。」
明日香さんはそう言うと、どこかに電話を掛け始めた。
別の方法って、なんだろう?
「あっ、鞘師警部ですか?桜井です。警部にお願いがあるんですけど。」
なるほど、警察の力で開けさせるのか。
「そういうわけで、大家さんに頼んでくれませんか?」
大家さんも、警察の頼みなら開けてくれるだろう。
「鞘師警部が、
何か揉めてるようだが……
「そういえば、警部のお父さんはお元気ですか?私の父は元気ですよ。」
何の話だ?
「ありがとうございます。さすが鞘師警部。待ってます。」
明日香さんは電話を切った。
「あおいさん。警部が快く了承してくれました。少し待っていましょう。」
快く?
絶対に嘘だろう。
警部のお父さんの先輩である自分のお父さんの事を持ち出して、強引に頼み込んだのだろう。
日頃お父さんに頼る事を嫌がるのに、こういう時には利用するんだ。
「明宏君、どうかした?」
「いえ、なんでも。」
「警部が来るまでに時間があるから、他の住人に話を聞いてみましょう。」
「平日の昼に居ますかね?」
明日香さんは201号室のドアをノックした。
郵便受けには、
しかし、誰も出てくる気配は無い。
「明日香さん、やっぱり留守ですよ。」
明日香さんは、更に強くドアをノックした。
「どなた?」
ドアが開いて、あくびをしながら若い男性が顔を出した。
「渡辺さんですか?」
「そうだけど。何か用?」
「すみません、203号室の譜久村さんの事をお聞きしたいんですけど。」
「あんたたち誰?警察?」
渡辺さんは、警戒したような表情を浮かべる。
「どうして警察だと?警察が訪ねて来る心当たりでもあるんですか?」
「そ、そんなもんねえよ。」
「そうですか。私は探偵です。」
「探偵?探偵が何の用だよ。」
「203号室の譜久村さんですが、行方が分からないんですけど、何か知りませんか?」
「俺が知るわけないだろう。」
「譜久村さんと個人的なお付き合いは?」
「無いね。あんな奴とは。」
「あんな奴?譜久村さんと仲が悪いんですか?」
「ああ、悪いどころじゃないね。俺は半年ぐらい前から、そっちの部屋には一切近付かないようにしてるよ。まあ、隠してもどうせばれるだろうから言うけど。俺、バンドをやってて、夜中にギターの練習をやったりするんだけど、ギターの音がうるさいって文句を言ってくるんだ。そう言う自分だって、ギター持ってるじゃねえか。しかも趣味の悪いピンクのギターを。」
あおいさんがプレゼントしたギターの事か。
「趣味が悪いなんて、酷いです。」
あおいさんが小声で僕に言った。
「それでは、譜久村さんがどこに行ったかは……」
「知らないね。」
「そうですか。ありがとうございました。」
「あいつの事は知らないけど、土曜日の夜10時頃だったかな。女が階段を下りていったよ。」
「女?それは確かですか?」
「ああ、階段を駆け下りていく足音が聞こえたんで、あいつかと思って怒鳴ってやろうと思って外に出たんだよ。そうしたら、女が走り去って行くのが見えたんだ。もういいだろう。俺はこれからバイトに行かないといけないんだ。バンド一本で食べていけるほど、売れてないんだよ。」
「どうもありがとうございました。」
渡辺さんは出掛けていった。
「明日香さん、女っていうのは翔太君の彼女の事でしょうかね?」
あおいさんと翔太君が別れた時間を考えると、その可能性が高いと思うが。
「それは今の段階では分からないけど、渡辺さんは一つ嘘をついてるわね。」
「嘘?」
「明宏君、気が付かなかったの?」
渡辺さんは、何かおかしな事を言っただろうか?
明日香さんが、呆れたような目で僕を見ている。
「そうか!分かりました。間に一部屋有るのに、ギターの音が聞こえるはずがない。そうですね!」
僕は自信満々に言い放った。
「このアパート古そうだし、壁も薄そうなので聞こえると思いますよ。」
プロのギタリストである、あおいさんに否定されてしまった。
「そうじゃなくて。渡辺さんは、半年ぐらい前から203号室には近付かないようにしてるって言ってたでしょう?」
そういえば、そんな事を言っていたような。
「あっ!私、分かりました。」
「えっ、あおいさん、分かったんですか?」
いくらなんでも探偵助手の僕に分からないのに、素人のあおいさんに分かるわけが……
「半年ぐらい前から翔太の部屋には近付いてないのに、ギターがピンクだと知っていたのは、おかしいという事ですね。」
「正解。明宏君よりも、あおいさんに助手になってほしいわ。」
「今日は、ちょっと調子が悪いだけですよ。」
「心配いらないわ。いつもの明宏君よ。」
「明日香さん、そんな事よりも、もっと強く問い詰めた方が良かったんじゃないですか?」
「なんて問い詰めるのよ。まだ何も分かってないのに、問い詰めようがないわ。ギターの事だって、翔太君が外で弾いてるのを見たとか言われたら、どうしようもないわ。もう少し調べてからにしましょう。」
「それじゃあ次は、102号室ですね。」
明日香さんが先ほどと同じくドアをノックしたが、こちらは留守のようだった。
「仕方がないわね。後は警部を待ちましょう。」
「明日香さん、部屋に入ったら何を調べますか?」
「そうね……渡辺さんが話していた女性が、誰なのか知りたいわね。彼女だとしたら、写真でも有るといいんだけど。」
「あっ、明日香さん、鞘師警部が来ましたよ。」
鞘師警部の赤い車が、僕たちの前で停まった。
「警部、遅いじゃないですか。」
鞘師警部が車から降りると同時に、明日香さんが文句を言った。
「おいおい、明日香ちゃん。いきなりそれはないだろう?こっちだって忙しいんだよ。」
鞘師警部は、35歳で身長185センチのイケメンである。
鞘師警部は、明日香さんに対してとても優しい。
父親の先輩の娘だから優しくしてくれるのか、明日香さんに気があるのか。
後者だとしたら、僕にとっては強力なライバルである。
「やあ、譜久村さんでしたね。先ほどは失礼しました。もう一度上に掛け合ってみたのですが、やっぱり一日だけでは……確実な証拠でもないと難しいですね。」
「まあ、わざわざすみません。」
「警部。それならありますよ。」
「明宏君、それはなんだい?」
僕は、渡辺さんの事を話した。
「なるほど。確かに気にはなるけど、それだけでは何とも言えないな。」
「警部、それよりも部屋のカギを。」
明日香さんは、早く部屋の中を確かめたいみたいだ。
「ああ、借りてきたよ。」
鞘師警部は、ポケットからカギを取り出してみせた。
鞘師警部がカギを開けると、僕たちは翔太君の部屋の中に入った。
外から見てだいたい想像はしていたが、部屋は一部屋だけで奥に流し台があり、その横に風呂とトイレがある。
「あんまり物が無いわね。」
明日香さんの言う通り、高校生の部屋にしてはあまりにも物が少ない。
それだけ生活が苦しかったという事だろうか。
部屋の中央には、丸いちゃぶ台がある。
ちゃぶ台の上には、テレビのリモコンやティッシュペーパー等が置いてある。
「こんなちゃぶ台、今時有るんですね。初めて見ました。」
25歳の僕にとっては、まるで昭和の時代にタイムスリップしたみたいで、逆に新鮮な感じがした。
「ちょっと暗いですね。電気を点けましょうか。」
僕はちゃぶ台の真上にある、電気の紐を引いた。
「本棚は、教科書やノートばかりね。マンガの一冊も無いわね。」
明日香さんが、教科書をパラパラめくりながら言った。
「おいおい明日香ちゃん。あんまりあちこちいじらないでくれよ。上には内緒でやってるんだから。」
明日香さんは、鞘師警部の忠告など耳に入らない様子で、カバンの中を見たりしている。
「あおいさん、これが例のギターですね?」
部屋の隅に、ギターが黒いギターケースに入った状態で置いてある。
「はい。そうです。」
渡辺さんは、これを見たはずだ。
いつ、どんな状況で見たんだろうか?
僕は、ケースを開けてみた。
ケースの中には、ピンクのギターが入っていた。
「あおいさん。ギターにおかしな所はないですよね?」
僕は、ギターをあおいさんに渡した。
あおいさんは、ギターを少し弾いてみた。
「はい。特におかしな所はないですね。」
「明日香さん。ギターがケースの中に入っているという事は、一度ギターを出した後に渡辺さんが見て、その後、誰かがしまったという事ですよね?」
「そういう事になるわね。」
いったい誰がしまったのだろうか?
翔太君か翔太君の彼女だろうか?
渡辺さんかもしれない。
渡辺さんだとしたら、いったい何の為に?
やっぱり渡辺さんには、もう一度話を聞く必要がありそうだ。
僕は押し入れを開けてみた。
「押し入れの中は、布団と冬物の服ぐらいしか入ってないですね。」
「写真は入ってない?本棚にあったアルバムは家族の写真ばかりで、彼女との写真が一枚も見当たらないのよ。あおいさんと撮った写真も、見当たらないわ。」
僕は、念のためもう一度押し入れを見てみたが、写真は見当たらなかった。
「ありませんね。」
「明日香ちゃん。風呂の方には何もないね。タオルや石鹸やシャンプーぐらいしか置いてないよ。」
鞘師警部が、そう言いながら戻ってきた。
「そう。後は、タンスの中だけね。」
少なくとも、風呂よりは可能性がありそうだが。
明日香さんは、タンスを開けた。
僕も、明日香さんの後ろから覗き込んだ。
「服も少ないわね。」
一番下の引き出しには、シャツやズボンや靴下等の普段着が入っていた。
それ以外は、何も入ってないようだ。
下から二段目の引き出しには、下着が入っていた。
やはりここも、下着以外の物は入ってなかった。
そして一番上は、扉になっている。
明日香さんは、扉を開けた。
中には、ブレザーの制服がハンガーにかかっていた。
上着にベストにシャツにズボンにベルトか。
この5点以外には、何も入ってないようだ。
「桜井さん、何か分かりましたか?」
あおいさんが、明日香さんに聞いた。
「まだ、はっきりとは言えませんね。」
でも、どうして写真が一枚も無いんだろうか?
彼女との写真の一枚ぐらい、有っても良さそうだが。
「桜井さん、写真が無いのは、全部スマホで撮影してるからじゃないでしょうか?」
「そうかもしれませんね。」
「明日香ちゃん。もういいかな。私はそろそろ戻らないといけない。」
「そうですね。警部、ありがとうございました。」
「部屋で争ったような形跡はなかったですね。」
「そうね。争った後に、片付けたんじゃなければね。」
「明日香さん、これからどうしますか?」
「そうね……学校に行ってみましょうか。翔太君のクラスメイトや担任の先生なら、翔太君の彼女の事も知ってるかもしれないわ。」
「今から行けば、ちょうど下校の時間くらいですね。」
「急ぎましょう。」
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