中日な水曜日、雨降り公園デート
「修――ん、――さん、朝で――?」
意識はぼんやりとしていたが、何かを聞いた気がした。
「朝――、言って――す――ょ!」
何かとても心地よい音だと思った。だから、眠気と相まって心地よかった。
パァン。
それは小さな音だった。
次の瞬間俺の呼吸は塞がれた。
く、苦しい……! それになんか、冷たい……!
や、ヤバイ、死ぬっ、死んじゃう、クルシイ、息っ吸えない……!
「わぶっ、ぶわっはぁ! し、死ぬ、窒息するかと思った……!」
あまりの勢いで飛び起きたからベッドの上からすってんころりん、転げ落ちた。痛ぇ……、あちこち打った……。
「おはようございます、修一さん」
あぁ、安心する声だ。だけど、この声の主こそが今俺が死にそうになっていた原因でもあるのだった。
「あ、あぁ
息を整えてから立ち上がってベッドのほうへと視線を向ければ、そこには穏やかに微笑むアクアブルーの妖精さんがいる。
ウェーブ掛かった明るい青髪に優しさと慈愛を湛えたスカイブルーの瞳、ほかの妖精と同型異色(ちなみに今回のものは水色である)の一張羅のワンピース。総じると水曜日の妖精、
「あのさ、確かに俺は結構、いやかなりの寝坊助だよ。それは認める」
「はい」
「だけどさ! 何も毎回毎回、顔に水ぶっかけて起こさなくってもよくない!?」
毎週水曜日に寝起きするだけで死にかけるの本当によくないと思うの!
「しかしですね、修一さん。どう起こしてもこれ以外では起きてくださらないじゃないですか。それが嫌なら、あとはもう自力で起きていただく以外にはないかと……」
困ったように頬へと手を当てた水日たんはどこまでも優しかった。
優しく、無理難題を吹っかけてきた。これはもう、遠回しに「この寝坊助ヤロウ」と罵られているに違いない。割と深刻なダメージだった。
「うぅ、水日たんがつれない……。ツンデレおバカ素直ときて、このクール攻勢は落差的に耐えられないよ、ヨヨヨ」
うぅぅと小さくうめきながら目元を拭うふりをしてみた。
俺は木村修一、自分でいうのもなんだがへこたれない男なのだ。
「もう何言ってるんですか、修一さん! ワタクシは修一さんのこと大好きですよ?」
察してくれたのか、それとも天然なのか、どちらにしてもなかなかの手練れな反応は砂漠にオアシスだった。またの名をマッチポンプともいう。
「うわぁー! 水日たんが、水日たんがいつも通りにクールにデレたー! やったー!」
「ほらほら、喜んでないで早く朝の支度をしてくださいませ?」
「はーい」
「今日も雨ですからね」
「ありゃーそうかー」
こりゃー、デレというよりも面倒見のいいおかんだなとも思う。
「おっ、木村やっぱりお前水曜日と金曜日は早いんだな! なんでそんな曜日ごとに登校時間に差があるんだ?」
傘をさして校門をくぐれば、体操服で走り込みをしていたらしい佐藤と鉢合わせた。なんつーか、まぁお決まりのやつだ。
「あぁ、佐藤おはよ。まぁ色々と事情ってやつがな、あるんだよ。事情がな」
事情を強調してあまつさえ繰り返しておいた。それにしても、なんでこいつはこんな時にも走ってるんだろうか。
「ハハハッ、そうか! 事情があるのか、なら仕方ないな! それじゃ俺はまだ朝練の途中だからな! じゃっまたな!」
どうやら納得したらしい佐藤は、ビシッと音が鳴りそうなサムズアップを決めてそれからまたランニングコースへと戻っていった。
「い、一体何だったんだ……?」
「といいますか、彼はどうしてこの割と土砂降りの中で走り込みなんぞをしていますのでしょう。風邪をひいたりしないのでしょうか?」
「や、分からん」
ざぁぁと、音を立てる雨粒の中で二人は揃って首を傾げるのだった。
さてと、荷物もまとめたし雨も朝に比べたら小降りになってきたし、今のうちに学校を出るかな、とそう思って俺がカバンを持って立ち上がるのと、佐藤がバシンッと背中を叩いてくるのは同時だった。痛ってぇ。
「おう、木村! なんだもう帰りか? 俺と一緒にトレーニング、してこうぜ?!」
「いや、昨日も言ったが遠慮しておく。つーか、このジメッとする中で肩を組むな。暑い……」
めげないというべきなのか、人の話を聞かないやつだというべきなのか。とても判断に迷う。
「んだよ、つれねーな! 一緒に一汗流そうぜ!」
「や、今日も用事あるから……、というか、家のこととか色々……、な?」
何とかこう、いい感じに察してもらおう大作戦である。
「お、お前……、やっぱり病気の妹が……?」
「いや、いねーよ?」
ついこの間否定したばかりじゃねぇか! なんでそんなに妹推しなんだよ!
「それじゃあ……、もしかして……、病気のお姉さんが……?」
察する方向がおかしい。どうしてそんなに間違ってしまうのか、俺にはそれが不思議でならない。不思議でならない!
「や、だからねぇよ!?」
取りあえず病気の女姉弟を出しとけばいいみたいな思考はなんというか取りあえず不治の病で感動を誘ってくるひと昔前のラブドラマみたいだなとか、思ってしまった俺だった。
「お、俺の、俺の同情を返せェ――!」
知ってた。
しかし佐藤の背中は確かに泣いていた。や、俺のせいでは確実にないが。
「本当にあの方は面白い方ですね。ワタクシたちのことはあまりお気になさらずにご学友とも、もう少し遊んでくださってもよいのですよ?」
ひょっこりとカバンの中から顔を出した水日たんが俺と佐藤を見比べてそんなことを言うのだ。そんなのため息もでようものである。
ので、ため息を一つだけ吐き出して帰路へと就くことにした。
「修一さん、この道は家とは方向が違うのでは?」
弱くなったとはいえ、朝が土砂降り、今は篠づく雨といったところであり、つまりは雨脚は相変わらず早く、だから水日たんは俺が帰宅ルートと違う道を進んでいるのを不自然に思ったのだろう。
「やさ、一昨日、月日たんと小学校見てきたんだけどさ」
「聞きましたよ。月日は嬉しそうにしてました」
「そっか、でさ、懐かしかったからもう少し他の場所も回ってみようかなと思ってさ」
黒い傘の内側でこの雨ならばあまり周りを気にしなくても十分に音は紛れてくれる。
「なるほど、とすると、この方角ですし自然公園、でしょうか?」
「ご名答」
流石水日たん、頭の回転が速い。俺も水日たんくらいのおつむの回転力が欲しいぜ。
「ですが、この土砂降りの中でわざわざ行くところでもないのでは?」
これはもしや、心配されているのではないだろうか?
なんて思いつつも、実際問題その通りではあるのだ。
ただ、
「や、だってさ雨の公園とか、水日たん好きだろ?」
折角ならば、同行者に楽しんで貰えればいいなと思っただけなんだ。
「好きです、大好きですよ!」
「ついでにこれもある」
まぁ、とでも言いそうな水日たんに対してカバンのファスナーを少し開けてサバの缶詰をチラッと見せてみた。
「修一さん、流石ですわ……! 愛してます……!」
やっぱりこういうところは妖精さんらしくとてもチョロイのだった。
クルクルといつの間にやら傘の内側から脱出した水日たんは土砂降りの中を楽しそうに乱舞する。さすがは水曜日の妖精、水なんてへっちゃらか。
数も形も判別できないほどの勢いで篠づく雨は人工池の水面を穿つ。橋の上から見える雨模様のため池は何か不思議と幻想的だった。
水面は幾重にも紋を描き、まるでそれは永遠に続くのではないかと錯覚されられるほどだ。今ではこうして澄んだ人口ため池になっているが、俺が小さいときはもっと泥だらけで淀んでいたように思う。
「昔さ、このあたりでよくザリガニとかなんかそういうの取ったんだよなぁ」
「覚えてますよ。泥んこになってはしゃぐ修一さんはかわいらしかったです」
俺は思わず苦笑いしてしまった。よく覚えてらっしゃることで。
「ザリガニ探して池の中を歩いてるとさ、突然背中にカエル入れられたりしたっけ」
「知ってましたか? それを見てた女の子たちはみんなクスクス笑っていたんですよ」
はー、そんなことが起きてたのか。まったく全然知らなかった。
「流石は女子、ませるのが早い」
「ワタクシたちはそんなことありませんよ? 何せもうずっと修一さんのこと見てますから」
どういう意図なのか、俺にはちょっと測りかねた。
だから、
「あはは、水日たんに至ってはいっそお母さん属性だしなー」
取りあえず茶化しておいた。
「おかっ、……! お母さんとは失礼な――!」
ぷくぅっとリスみたいに頬を膨らませた水日たんは愛らしいの一言に尽きる。
かわいいお母さん? みたいな?
「ごめんごめん、水日たんは面倒見のいいお姉さんだよ」
俺は謝りながら、カバンからサバの缶詰と携帯用の小さなフォークを取り出して、橋の手すりへと乗せる。それからカパッと缶の蓋を開ければ水日たんは雨も気にせずフォークを使ってそれを食べ始めた。
「まぁ今日のところはそれで納得しておいて差し上げます! ですが、ワタクシはそれ以上を望みますからね?」
何故水日たんが譲歩しているみたいになるのだろうか。
というか、
「家族以上って、なんだ?」
俺にとってみんなはもうすっかり家族だし、家族に上も下もないと思うんだけど……?
「修一さんには分からないことですよー。このいけずー!」
「な、なんで?」
今度は口をとがらせる。が、まぁ分かっている。これは不満があるときのポーズであって、別にほんとにへそを曲げたわけではないってことくらいは。
それからまた何故か俺を見てため息を吐き出した水日たんは、ちぇーといいそうな表情を作って、
「帰ったらちゃんと勉強するのですよー?」
というのだった。
「分かってるよ。水曜と土曜くらいしかきっちり勉強できないし、ちゃんとやるよ」
「うふふ、頑張ってくださいね」
あぁ、やっぱりお母さん属性じゃね? と思ってしまう。
それから少しの間そうして池を眺めてから家へと帰った俺は、約束通り一生懸命予習と復習を頑張った。
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