第91話 Funny Bunny

「椀物は冬瓜と海老真薯の冷たいお吸い物でございます」


 大きめに切られた冬瓜と海老真薯、枝豆が具で、葛粉でとろっとろにとろみを付けたお出汁が程よく冷やされている。

 トッピングの針生姜は旬の新生姜のようだ。

 透き通った冬瓜は箸を入れただけでほろほろと解れる。


 まるで海の中を漂うように、海老の真薯がお出汁の中を揺蕩っている。

 一口含めばひんやりとした冷感と旨味が口内中に広がる。うん、いいお出汁だ。


 海老を噛み締めれば鰹と昆布で取られた出汁に海老のさらなる風味が加わり、いっそう味わいを豊かに広げる。


 枝豆の持つ食感と海のものにはない香りが変化を作り出し、舌を軽くリセットしてくれるので飽きさせない。


 お吸い物一つの中にもこんな風にストーリーを織り込めるなんて、料理人って凄いな。

 どんな世界もそうだろうが、料理の世界もまた奥深いものだ。


「そろそろ、いいかのぉ」


 あれからまだそう時間は経っていないが、痺れを切らしたらしい武蔵たけぞうさんがご機嫌を伺うみたいにして上目遣いにすみれさんの顔を覗き見ている。


 また気不味い話題になるよりもじっちゃんの話を聞いている方が好ましいわたしも、思わず同じようにすみれさんの顔を窺い見てしまう。


「仕方がないわねえ、もう」


 というすみれさんの言葉に、思わず小さくホッと溜息を吐いてしまった。

 武蔵のじっちゃんも明らかにホッとした様子だ。


「うむ。あの特許じゃがの。どうもMSは時空間移動やパラレルシフトといったもんを研究しているようでな。そのためにあの特許が必要だったらしいのじゃ」


「はぁ」


 都市伝説クラスのトンデモ話のように聞こえるが、どう反応しろというのか。

 リアクションに困る。


「して、それと関わるものを巡って動いておる者どもが別にもおってな。これがMSとどう関わっておるのかはまだ分からんのじゃが、調べていくと、どうもうさぎ屋と名乗っておる秘密結社の存在に行き着くのじゃ」


「うさぎ屋ですって!?」


 すっかり忘れかけていたけど、まさかここでうさぎ屋の名が浮上するとは!

 意外さのあまり、思わず声に出てしまった。


「そうじゃ。うさぎ屋……。嬢ちゃんにも覚えがある名じゃなぁ?」


 そうだ。うさぎ屋と言っても、足繁く通っている甘味処の話ではない。


 以前、丹代さんの一件の時に使用された便箋に入っていた透かし、それが秘密結社うさぎ屋のものだったのだ。

 その件ではわたしの担任の先生で、武蔵さんの孫でもある細野先生に相談していたので、武蔵さんはそのあたりの経緯いきさつも知っているのだ。


「それでな。うさぎ屋についてはどうも十一夜も何か掴んでおるようなんじゃが、そこの話になると話をはぐらかされるんじゃ。おかしいと思わんか?」


 そうなのか……。最近の十一夜君はさっぱりわたしに情報をくれなくなったけど、桐島さんとの付き合いで忙しいだけじゃなくて、もしかすると何かあるのかもしれないな。

 武蔵さんの話を聞いて、ちょっとそんな気がした。


「確かに……この頃すっかり十一夜君が何も話してくれなくなりましたけど……。てっきりわたしは桐島さんとの交際に現を抜かしているのだとばっかり……。でももしかしたら、その辺の事情とも関係があったり? ……うーん、わたしにはよく分かりませんけど、もしかしたら、そういう可能性も……」


「桐島というのか。嬢ちゃんの好敵手ライバルという娘は……」


 またじっちゃんまで……。ライバルじゃありませんから。と否定はしておきたかったが、何だかもう面倒くさくなったので、そのままスルーした。


「桐島さんと言ったら、もしかして、桐島物産の関係者かしら?」


 すみれさんが、何か思い出したように桐島の名を口にする。


「あ、はい。そう言えば彼女、自分を敵に回すと桐島物産を敵に回すことになるんだとかなんとか言ってました」


「フォッフォッ。天下の華名咲家のお嬢ちゃん相手にか。こりゃまた豪気なことじゃのぉ」


 武蔵さんがこりゃ傑作とばかりに笑っている。まあ普通はそう考えるよなぁ。


「もう二十年近くも前のことになるかしら……。わたし、桐島家の今の奥さんの身辺調査の依頼を受けたことがあったわ。彼女のお輿入れ前に」


「なんじゃと? お前、すっかり足を洗ったものと思っておったのに、そんなことをしておったのか!?」


「ちょっとしたアルバイトよ。潜入捜査やスパイ活動みたいなこととは全然違うわ」


 すみれさんは武蔵さんの追及にもどこ吹く風といった感じで、軽く往なしている。


「お前のぉ。じゃからと言って、どうせただの身辺調査で済む訳がなかろうが、お前の場合」


「やだわ、あなた。それは誤解っていうものですわよ。本当にただの身辺調査の依頼です。だって、子育ても落ち着いて退屈だったんですもの。ほんの暇潰しです」


「ふぅむ……。まあよいわ。それで、何が分かった?」


 訊かれてそうですねえと唇に人差し指を当てて思い出すそぶりもかわいらしい。


「彼女のご実家は兎拂とばらいという関西の名家で、和菓子店を営んでおりましたわね」


「普通じゃの」


 拍子抜けだとでも言いたげに武蔵さんが斬って捨てる。


「ええ、極めて普通でしたわ……表向きは」


 おっと、何か爆弾を隠し持っているのか?


「なんじゃ、勿体をつけおって」


 じっちゃんのツッコミにさっきまでかわいらしかったすみれさんが、妖艶に微笑む。

 こ、これが熟女の力か……。なんか色っぽいぞ。


「詳細は掴むことができませんでしたけども……。でも兎拂家は、西の十一夜家のような存在と言ったら伝わるかしら。もっとも十一夜家と言えば昔から全国にその名を馳せる存在ですから規模は全然違いますが。戦国時代から表には出ることのない闇の仕事を請け負ってきた存在という点では同じですわね……。そして今気になるのはその名前ね。兎をはらうと書いて兎拂。今話題に上っているうさぎ屋との兎繋がりが偶然なのかそうでないのか、一考の余地はあるのじゃなくて?」


 何というシンクロニシティ。

 これは何かあるような気配がビンビンしてくる。

 そこから桐島家に嫁いでその血を引く娘が今や十一夜君の彼女か……。

 んっ? それって益々お似合いってことじゃないか! はぁ、もう一生好きにしてりゃあいいわ。

 なんかテンション下がる〜。


「さっきの夏葉ちゃんのお話を聞く限りでは、その十一夜君と桐島さんの間には、何らかのしがらみがあって、十一夜君は表には出せない事情に縛られていると考えるのが、しっくりくる気がするわ」


 成る程! 確かにそう考えると一番しっくりと収まりがいいように思える。

 十一夜君がわたしを放ったらかして桐島さんにべったりなのも、そうせざるを得ない事情でそうしてるってこと?

 何だよ。それならそうと言ってくれたらいいものを。

 ってそれが言えない事情があるってことだよね、うむ。


 ねえ、朧さん。どうせ近くに潜んでいて話を聞いているんでしょう?

 で、実際のところどうなのよ。説明希望なんですけど?


 朧さんが見当たらないかとキョロキョロしていると、店員さんが近づいてきてメモを手渡された。


 いつもの書店でと書かれてある。

 そしてまたいつもの調子で、OKなら水をオーダーしろと書かれてある。


 またわざわざ面倒臭い手順を踏ませる。そう思ったが、兎にも角にも十一夜側の話を聞いてみたいと思ったので、仕方なく給仕の人に水をお願いした。


「今、十一夜の人からコンタクトがありました。いつも会う場所があるんですけど、そこで話を聞けそうです。どの程度話してもらえるかは不明ですけど」


「ほぉ。そうか……ふむ、それならその桐島という娘のことを訊ねてみてくれんか。嬢ちゃんもおそらく一番気にかかることじゃろう? それとやはりうさぎ屋のことじゃな。こいつらが十一夜にとってどういう存在なのか、気になるところじゃ。何かあるはずじゃが言わんのじゃ、奴ら」


 うーん、じっちゃんに話さないってことは、わたしにも話してくれない可能性が高いけどなぁ。


 でもまあ、現状わたしたちが掴んでいる情報についても知れただろうから、それによってまた向こうの対応が変わってくる可能性だって無くはない。


「分かりました。訊いてみますね」


「うむ、頼んだ。後で結果を教えてくれ」


「はい。頼まれました!」


 十一夜君からは何も明かされなかったことが、もしかしたら開示されるかもしれない。

 或いは何も大事なことは教えてもらえないかもしれないが、取り敢えず何か進展しそうな期待感を久し振りに持つことができた。


「向付は旬の岩牡蠣でございます。酢牡蠣にしてあります」


 おぉ。真牡蠣は寒い時期が旬だけど、岩牡蠣は夏が旬なんだよね。

 どれどれ、いただきます!


「うわっ、濃厚! すっごくクリーミーですね〜」


「本当ねぇ。濃厚でクリーミーだけど大根おろしとポン酢でさっぱり食べられて、素晴らしい組み合わせだわ」


「うぅむ。これほどの深い味は、旬の岩牡蠣ならでわじゃな。夏大根の辛味がまた良いわい」


 みんなが絶賛する通り、これは素晴らしい。

 今まで真牡蠣は時々食べていたが、こんなにクリーミーで濃厚な味わいの牡蠣は初めてだ。


 なんか漸く本腰を入れて料理に集中できるような雰囲気になり、その後暫くは和気藹々と料理を楽しんだ。

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