第86話 帰り道
あれから一週間も経っただろうか。
お仕置きが効いたのか、あるいは父親から絞られたのか、理由は分からないが取り敢えず桐島さんは大人しく鳴りを潜めているようだ。
十一夜君の方は相変わらずだ。この人も良くも悪くも変わらない。捜査はどうなってるのだか、最早報告すらない状況だ。
秋菜からまたディセットの撮影に誘われていて、鬱々する日々にそういうのを忘れる為にたまにはやってみるのもいいかと思ったりしている。
秋菜のようにレギュラーでということでもないし、あくまで気が向けばという形で誘ってもらってるし。
それからあの
実は今日から期末テストで早く帰ることができるため
何だあれは。知らない人からしたら相当怪しいんですけど。
わたしが気が付いたことに向こうも気が付いたようで、先輩はちょっと申し訳なさげに顔を顰めてみせた。きっとあの事故の件で申し訳ないという気持ちがそんな顔をさせているのだろう。
そういえば先輩からは告白もされていたんだった。最初は音楽友達からで構わないなんて言われて、結構余裕綽々で積極的な感じだったのだけど、あの時からすると随分と
帰り支度を済ませて先輩の元へ行くと、思った通り、件のライブハウスでの事故で迷惑を掛けたと謝罪された。
火災事故は、会場の電気系統の老朽化に起因するものだったようで、あのライブハウスも当面は営業を休止することになるそうだ。
それで先輩たちのバンド “Ping of Death” の活動も宙ぶらりんの状態になってしまっているそうだ。
先輩たちにも災難だったが、今回の事故に関して彼らに罪はない。謝罪されても正直困るというのが本音だ。
それから立ち話もなんだからお茶でも飲みながら話そうと誘われ、テスト中なので手短にという条件で駅の近くのカフェに立ち寄った。
秋菜には用事ができたから先に帰ってくれと連絡したら、何故か頑張れよと返信があった。まさか何処かでわたしのことを見ているのかと辺りを見回したが、その様子はない。
秋菜には時々こういうことがあるから不思議なんだよなぁ。こっちは秋菜のことはさっぱり分からないのに。
「いやこの前の
カフェに入ってからも、先輩はまだ謝罪を続ける。
「先輩。もういいですよ、そんなに謝ってもらわなくたって。別に先輩のせいじゃないんだし」
「そう言ってもらえると助かる」
そんなやり取りをもう何度か繰り返している。テスト勉強もあるし、謝罪だけならもう十分なので他に用がなければいい加減帰りたい気持ちになってきたのだけど、何か言いたいことがあるのに言い出せないでいる雰囲気を醸し出してるんだよね。
早く用件を済ませたいから、こちらから水を向けてあげた方がいいのかな。
「先輩。あのもしかしてなんですけど、何か他にご用件があったりしません?」
こちらから促すと、図星を突いたようで渡瀬先輩はまたちょっと申し訳なさそうな顔をして、遠慮しがちに口を開いた。
「え、あ、うぅ。……実はね、華名咲さん。僕らのバンド、これからネットにももっと進出して行くことを考えてるんだ」
「あぁー、この時代それは必要な戦略でしょうね」
寧ろこのネット社会で今までやってなかったのは何でだよと突っ込みたくなるようなことを言う先輩。
ピンデスってサウンド自体は悪くないのにもしかするとマネージメント方面はダメなんだろうか。
何れにせよ、サウンドがいいのにマネージメントがダメというのはとても惜しいなぁ。
そんなことをぼんやり考えていると、先輩の話は思いもよらない方向に舵が切られた。
「そうだよね。それでね、ネットでのPV配信なんか考えているんだけど、ビジュアル的な面で女の子がメンバーにいたら華があっていいよねって話になってるんだ」
「ああ、なるほど」
返事をしつつ、このパターンはヤバいという確信めいた予感が胸騒ぎと共に
女子を入れるというのは別段異論はない。
問題は誰を入れるのかだが……。
「それで、華名咲さん。僕らのバンドに入ってくれないかなと思ってるんだ」
はい、来たー。
音楽自体は好きだけど、バンド活動するような時間は今のところないですからー。
もしかすると、先輩たちからすれば、最近ちょっと地元じゃ有名人のわたしが加入することにはメリットがあると考えたかもしれないけれど、実際問題モデルの仕事や、例のMSがらみの調査なんかでバンド活動どころじゃないのだ。それにディセットのモデルも時々は手伝うことがありそうだし、本当にそんな余裕なんてない。
「わたしがですか? お誘いは光栄なんですけど……」
「いや、返事は今すぐじゃなくていいんだ。一応考えておいてくれないかな。今日はそれだけでいいんだ。返事はまた今度で、ホント」
断ろうとしたところで、それを察したと思われる渡瀬先輩は、ちょっと強引にわたしの返事を遮って、しかもそれ以上先を言わせなかった。
先送りしたところでわたしの答えが変わるとは思えないのだが、先輩の断られまいという必死さがちょっと重い。
「ま、考えておいてよ。難しく考えなくていいからさ」
そう言って話は終わりとばかりに席を立った先輩は、勿論今日は僕の奢りだからと伝票を手に取るとレジに並んだ。
別に難しく考えてなんかいないんだけどな。シンプルに考えて無理だと思ってるのに。
「あ、ご馳走様です」
先輩は駅まで送ってくれて、わたしが改札を通り抜けるのを見届けると帰って行った。
女子メンバーもいいけど、今ピンデスが必要としているのは、マネージメントを請け負ってくれる人じゃないだろうか。
手っ取り早くわたしをメンバーに引き入れるよりも、そういう人材を探すべきだと思うけどなぁ。
今度会ったらその辺を提案してみようか、加入を断る代わりに。でも今度はメンバーがダメならマネージャーやってくれとか言い出しかねないな。
うぅむ。どう転がっても面倒臭い。
自宅の最寄駅で降りて、いい参考書でもないかと思い書店に立ち寄ろうとしたところで、偶然にもまた
「あら、黛君」
「あ、華名咲さんか。今帰り?」
「うん。黛君はお家この辺りなの?」
「え、あ、いいや。そういう訳でもないんだけどね。近くに用事があって時々この辺に来るんだよ。この書店も暇潰しでたまに利用してるんだ」
「あぁ、どおりで。前にお父さんと一緒だったの見かけたよ」
「父と?」
黛君が、思い出そうと斜め上を見上げていると、そこに丁度件のお父さんが店を出てきた。
お父さんはわたしを見ると、黛君に声を掛けることもなく、この間見かけた時と同じ曲がり角を入って行ってしまった。
「今の人、お父さんでは?」
「え、いや。全然知らない人だけど」
黛君は本当に何も知らないといった様子で否定した。
あれ、わたしの記憶違いだったかな?
あの人だったと思ったんだけどな。
でも確かにあの人は黛君には目もくれずにさっさと行ってしまったし、黛君本人も知らないと言ってるんだから、わたしの勘違いか。
「あら、わたしの勘違いか。ごめんね、変なこと言っちゃって」
「いいんだ。気にしないで。さて、明日は日本史のテストがあるね。僕日本史が苦手なんだよなぁ。今更かもだけど、帰ってしっかり覚えなきゃ」
「うん、頑張ろうね」
「それじゃあ、また明日ね。華名咲さん」
「うん、また明日」
手を振る黛君を見送って、矢張りあの角を曲がって行った彼のことを、少し不思議に感じつつ、書店に入った。
目に付いた参考書を何冊か手に取ってパラパラと捲ってみたが、思っていたようなものは見つからず、早めに見切りをつけて店を出ようと思い、手に取った参考書を棚に戻す。
するといつの間にか隣で立ち読みしている人が、手にした本に目を落としたまま、不意に不吉なことを告げる。
「外であなたを監視している人間がいます」
は? 怖っ。一瞬何を言ってるんだこの人? という感じで意味が分からなかったが、そう言えばわたし、時々狙われたりして危険な目に遭うんだったわ。
ていうかこの人誰よ? そもそも信用していい訳? 頭の中は疑問符だらけだ。
何れにしても、これ今わたし、ピンチなのでは?
どうする? わたし!?
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