第34話 チョコレイト・ディスコ

 進藤君の買い物に付き合うのは結局日曜日ということになった。

 進藤君のところに出向くのも面倒なことになりそうだったので、返事は秋菜を通して伝言してもらった。というのも、まず進藤君のクラスには秋菜がいるので、俺と秋菜が一緒になると結構な騒ぎになる。そう、例の情報誌のせいだ。その上女子から大人気だという進藤君と週末会う約束なんてしようものなら、何を言われるか分かったもんじゃない。ただでさえ正体不明の敵に狙われている身だ。できるだけ面倒事は避けたいじゃないか。


 さて、そういうわけで危険を回避し、安心して今日のランチはまたピーターラビットで食べることになった。今日はいつものメンバーに加えて須藤麻由美——そう、最近ロストバージンしちゃった進んでるJKの麻由美ちゃん——も一緒だ。さっき一安心と思ったのも束の間、考えてみるとこのメンバー、何となくどんな会話になるのか想像がついて不安いっぱいだ。


「このお店ね、夏葉ちゃんが十一夜君とランチデートで使ったお店なんだよ」


「えっ、そうなんだぁ〜。華名咲さん、十一夜君と付き合ってたの? わたし全然知らなかったんだけど」


 早速かよ。


「麻由美ちゃん、友紀ちゃんの言うこといちいち真に受けちゃダメだよ」


「ちょっと夏葉ちゃん、酷い。十一夜君と二人で食べたでしょ、ここで。しかもわたしたちとの約束をすっぽかして」


「すっぽかしたわけじゃないよ、ちゃんと連絡したでしょ。友紀ちゃんの方が酷い」


 しつこく蒸し返される十一夜君絡みのくだりにうんざりして、俺はちょっと膨れる。


「あ、ちょっとほら。夏葉ちゃんが膨れちゃったじゃない。それがまたかわいいんだけど。何してもかわいいんだから、もぉ」


 そう言って楓ちゃんが頭を撫でてくる。

 正直こうされるのは嫌じゃない……というかちょっと擽《くすぐ》ったいけど気持ちがいい。楓ちゃんみたいなかわいい子からこういう風にされて気持よくないわけがない。俺は喉を撫でられる猫のように目を細めて、じっとそのままそうされている。何ならゴロゴロ喉でも鳴らしてみせようか。


「ちっ、楓にすっかり懐柔されたか。……ほら、夏葉ちゃん、夏葉ちゃん。チョコレートがあるんだけど食べない? ROYCEだよ〜、美味しいよ〜」


 何だと? ROYCEか、悪くないな。しかし餌で釣れる安い女と見られるのは癪に障る。だが、最近チョコには目が無い俺。テーブルに置かれたチョコレートが気になってチラチラと見てしまう。


「ほら、生チョコだよ〜。エクアドルスウィートだよ〜」


 生チョコか〜。くそ、一体何処から出てきたんだか不思議だが、今はそれどころではない。チョコのことで頭がいっぱいだ。俺は遂に夢遊病者のようにふらふらとチョコレートに向かって歩き出した。


「はい、捕獲ぅ〜」


 はっ、しまった! 気が付けば右手にチョコレートを掴んだ状態で、友紀ちゃんにひっしと抱きしめられていた。


「ふふふふ。掛かったわね、夏葉ちゃん。ほら、わたしがチョコを食べさせてあげるわ。あ〜んして、あ〜ん」


 く、屈辱的な……。しかし生チョコの凶暴なまでの誘惑には抗えない。


「……う。あ、あ〜ん」


「はふぅ〜ん。この恥じらい! 何て高貴でエロティックな表情をするのかしら! こうなったら……く、口移しでチョコを食べさせる!」


「はい。そこまで〜」


「何をするのかしら。楓、離しなさいよ、ちょっと! こら、怪力!」


 チョコレートの誘惑に負けた俺が屈辱に塗れつつ、危うく友紀ちゃんとチョコレートに口内を蹂躙《じゅうりん》されそうになったところで楓ちゃんが救ってくれた。いつもこういう時に頼りになるのが楓ちゃんだ。間一髪のところで間に合った。ギリギリまで楓ちゃんは楓ちゃんで状況を楽しんでいるような節も無きにしもあらずだが、最終的にはちゃんと助けてくれるので頼りにしている。

 それにしてもちょっとした貞操の危機だった。しかもこんなに人目につく場所で。危ない危ない……。


「うふふふ。あんたたちいっつも楽しいわよね〜。見てて飽きないわ、ホントに」


 ここまで傍観していた麻由美ちゃんが参入してきた。


「だって、分かるでしょう? この夏葉ちゃんのかわいさ。衝動的に荒ぶる激情を抑えられなくなるのよ。夏葉ちゃんの魔性に抗える存在なんていないのよ!」


 おいこら、おかしなことを力説するんじゃない。


「あ〜、まぁその気持も分からないでもないけどねぇ〜。華名咲さんって、生粋のお嬢様だし品があるしねぇ。さっきみたいに恥じらう表情とか堪んないかも。うふふ」


 分かるな分かるな。堪んないとか言っちゃいけませんよ、女の子が。


「ちょっとぉ。麻由美ちゃんまで怖いこと言うのやめてよぉ〜」


 まったく。こいつらと来たら何を言い出すのやら。


「アハハハ、かわいい〜。ほんっと華名咲さんってかわいいのね。そりゃセクハラのし甲斐があるわよねぇ〜」


「分かるでしょ? 辛抱堪らなくなるのよねぇ〜。わたしの中のオッサンを呼び覚ます何かがあるのよ、この子には」


 ダメだ〜、この人達ダメな人達だ〜。


「あ、そうだ。あのさ、今度の日曜日、このメンバーで一緒に遊ばない?」


 楓ちゃんが、話題を変えたい俺の空気を読んだのか、そんな提案をしてきた。ナイスアシストなんだが、日曜日か〜。先約ありだよ。その説明がまた面倒事を呼びこむ気がするよ。


「お、いいねいいね。どこ行く?」


 すかさず友紀ちゃんが話に乗ってくる。


「日曜日? ごめん、わたしは先約ありだわ」


 麻由美ちゃんだ。


「あ〜、そうだ。彼氏持ちだもんねぇ〜。いいなぁ〜」


「う〜ん、ごめんねぇ」


「いちゃいちゃするのかぁ〜。いいなぁ〜。あ、ねぇねぇ。麻由美の彼氏ってうちの学校じゃないよね?」


「あぁ、うん、違うよ。彼は栄心学園」


「おぉ〜、頭いい」


 栄心学園は有名な私立の進学校だ。そこに通っているなら確かに頭がいいだろう。


「彼氏とはどれくらいの頻度で会うの? 週一くらい?」


 友紀ちゃんがめちゃ食い付いている。どんだけ興味津々なんだよ。まぁ俺もちょっと興味あるけど。


「週末は大抵会うよ」


「うぁ〜ん、羨ましぃなぁ〜」


「ふふふ。友紀は好きな人とかいないの?」


「好きな人? う〜ん、最初は十一夜君とかいいな〜って思ってたんだけどさぁ。十一夜君は夏葉ちゃんといい感じだしぃ〜。悔しいけど何か二人ってお似合いじゃん。わたしの出る幕無いんだもん」


「あの、麻由美ちゃんさ。友紀ちゃんが言ってることは誤解だからね。十一夜君とそんなことは何にも無いから。ホントだよ? 十一夜君とはお友達」


「はいはい。いいからいいから。照れ屋さんなんだからぁ、夏葉ちゃんは」


「友紀ちゃんは黙ってて」


「十一夜君かぁ。あの人、何か不思議よね。ほとんどクラスでも話してるの見たことないもんね。友達とかいないのかなぁ」


 だから俺が友達だっつうのに。どうして俺のことスルーするかな〜、麻由美ちゃんよ。


「そうなんだよねぇ〜。ほとんど挨拶の声しか聞いたこと無いもん。でもさ、あの声がいいんだよねぇ〜。ちょっと低くてぶっきらぼうなんだけど、何かセクシーじゃない?」


「あ〜、分かるかも。耳元で囁かれただけで子宮に響いちゃう感じ?」


「やだ何それ〜。麻由美、エロいんですけど〜」


「アハハハ〜」


 始まったか。そういう下品なのやめろって言うのに、もー。


「でもさぁ、気付いてた? 十一夜君って、夏葉ちゃんに挨拶するときだけは、挨拶の後に名前呼ぶんだよ」


「え、どういうこと?」


 楓ちゃんの言葉の意味が分からなかったのか、友紀ちゃんが聞き返した。


「十一夜君って、夏葉ちゃんに挨拶するときにね、『おはよう、華名咲さん』って言うんだよ。わたしたちのときには『おはよう』だけなの」


 楓ちゃんが十一夜君のモノマネをしてみせた。結構特徴を捉えていて上手い。だけど、そうだっけかなぁ。確かに挨拶の後、よく名前を呼んでくれるけど、自分だけって気はしてなかったけどな……。


「うわぁ、そうなの? 夏葉ちゃんだけ、特別扱い? きゃー、何それいいね」


 また友紀ちゃんのテンションが上がる。


「二人だけの秘密の合図、みたいな? 『挨拶の後に名前を呼ぶのは君だけだよ。それが僕の愛のしるしだ』みたいな? きゃーーっ。自分だけにしてくれるっていいよね、いいよね!」


 麻由美ちゃんまでテンション上げてきた。好きだよねぇ、女子はこういう話。俺はテンションだだ下がりだぜ。でも、特別扱いってちょっといいかもなぁ。十一夜君、俺のことやっぱり特別と思ってくれてるのかなぁ……。


「見て見て。夏葉ちゃんがまたニヤニヤモジモジしててかわいいっ」


「ホントだー。このこのぉ〜、照れ屋さんかわいいぞっ」


「ちょ、違うってば〜。十一夜君は友達だって言ってるじゃん、もぉ〜」


 くそ、何なんだよ。


「いいなぁ〜。わたしも言われてみたいなぁ〜。ちょ、ちょ。楓さ、もう一回真似してみて、十一夜君の。それで『おはよう、古田さん』でやってみて」


 アホか。あ、因みに古田さんは友紀ちゃんの苗字ね。


「いいよ。じゃあ行くよ。う、うんっ。『おはよう、古田さん』」


 楓ちゃんが一度咳払いをして友紀ちゃんのリクエストに応えて十一夜君のモノマネをした。さっきよりモノマネのクオリティ上げてきたぞ。


「いい、いいわ。十一夜君ってほとんど喋らないけど、喋ったときの喉仏の動きとかがまたセクシーなんだよねぇ〜。何か今想像しちゃった」


「あ〜、喉仏いいね。うんうん、いい」


 何だこのマニアックなトークは。おばちゃんか。


「あと手がきれいだよね。指が長くてさ。あれはポイント高い」


「あぁ、そうそう。手もエロいよね」


 続くのか、まだ続くのか、この話。

 まあ、手は俺もきれいだと思ってたよ。女子にモテそうな手だな〜って。


「あとさ、時々あの切れ長の鋭い目が眠たそうなときあるじゃん。あれかわいいよね」


「あぁ、かわいいかわいい。あれは結構ポイント高いわ。ギャップ萌え要素強いね」


「そうそう」


 まぁ確かにあの眠そうな目はかわいいかもなぁとは思うけども。それにしても尽きないねぇ〜、君ら。十一夜トーク尽きないねぇ〜。どんなけ十一夜好きだよ。この十一夜芸人共が。せめて満月まで待て。十五夜まで待ってみろ。十五夜はきれいだぞぉ〜。満月ってのはまん丸でいいもんだぞぉ〜。

 一通り十一夜君の話で盛り上がった後で、結局日曜日どうするかという話に戻った。


「夏葉ちゃんは? どこか行きたいところとかある? カラオケ?」


「あ、ごめん。わたしも日曜日予定入っちゃってるんだ……」


 頼む。深く突っ込まないでくれよ。また面倒臭い弄りが始まっちゃうから。


「え〜〜、夏葉ちゃんもダメなの〜?」


 盛大にがっかりする友紀ちゃん。それを受けて、からかうように麻由美ちゃんが悪乗りしてくる。


「あ、もしかして十一夜君とデートだったりして〜」


 ほらやっぱりか。こういうこと言い出すんじゃないかと心配だったんだよ。


「ちょっとマジで? 夏葉ちゃん、どうなの?」


「それは気になる。夏葉ちゃん、どうなの?」


 友紀ちゃんも楓ちゃんも目を爛々と輝かせて前のめり気味に訊いてくる。あ〜ぁ、予想はしていたが最悪の展開になったな。


「そんなわけ無いでしょ。買い物」


「秋菜と? だったらわたしたちも一緒でいいじゃん。一緒に行こう?」

と友紀ちゃんが食い下がる。


「秋菜とじゃないよ。だからごめん、日曜日は無理なんだ」


「え〜〜、何か怪しいなぁ。じゃあ誰と一緒?」


 しつこいな。そんなに人のプライバシーに踏み込んでくるか、普通? 俺としてもちょっとムキになってしまう。


「いいじゃん、誰とでも」


「あ、夏葉ちゃんがまた膨れた。こういう時は何かあるんだよねぇ〜、夏葉ちゃんは」


「あるある。夏葉ちゃん、厳しく追求させてもらうわよ〜」


 ダメだ。楓ちゃんまで悪乗りしてきた。こうなるとしつこいんだよな、この人達は。


「言わな〜い。ムカつくから教えないもん」


「むぅ。またかわいく剥れてぇ〜。楓、夏葉ちゃんを掴まえるのよ」


「分かったわ」


 え? 楓ちゃんがどうして? いつも最終的に頼りになるはずの楓ちゃんが……裏切りだと? 驚く間もなく俺は楓ちゃんから拘束されてしまった。


「さぁ、口を割るのじゃ」


 そしてくすぐり地獄が始まった。


「ちょっと、やめてよ。きゃっ、擽ったいって」


 や、やめてくれ。マジで擽ったいから……。容赦の無い擽り攻撃は続く。合間合間でどさくさ紛れに友紀ちゃん得意のセクハラが入る。


「ほ〜れ、ほれ、どうじゃ。おぅ〜、夏葉ちゃん、また成長してるじゃないかっ! けしからん、実にけしからんぞぉ〜、これは〜」


「やめてっ。ヒャぅん。ダメだって、あっ」


「こ、これはエロい……」


「く……これは予想外にエロかったわ……」


 やめぃ! 麻由美ちゃんも楓ちゃんも、二人して頬を赤らめるんじゃない! あっふぅん……。くっ、あんっ。ダ……メ……。


「分かった、言うから! 言うからもう許して!」


「ハァハァ。止めるのが勿体無いくらいの良い反応だったわ。何だったらもう暫くは言わなくてもいいのよ……ハァハァ」


「ハァハァ。冗談じゃないわ。言うよ、言えばいいんでしょうが」


 擽りには子供の頃から本当に弱いのだ。これ以上続けられたんじゃ堪らない。


「ハァハァ、漸く白状する気になったわね」


 楓ちゃんまでハァハァ息を切らしている。


「ハァハア、ゴクン」


 唾を飲んだのは麻由美ちゃんだ。揃いも揃って何を息上げているんだ、まったく。


「五組の進藤君が、妹さんの誕生プレゼント買うから、そのプレゼント選びに付き合うだけだよ。それだけ」


「何それ、初耳なんだけど?」


 案の定、友紀ちゃんの前のめり感が半端ない。


「ちょっと、それどういう接点よ。いつの間に?」


 楓ちゃんもかなりの食い付きだ。そりゃ誰にも言ってないもん、知るわけ無いわな。


「さすが魔性の女ね。十一夜君のみならず進藤君まで……。学年トップ2と言っていいイケメンじゃないの。華名咲さん……怖い娘……」


「麻由美ちゃん、酷いよ。もう、何でいっつもそうなるかなぁ」


「で? どういう経緯いきさつでそんな話になってるのよ」


 友紀ちゃんが何か詰問口調になってて怖い。それで俺は事の成り行きをことごとく語る羽目となったのだった。こうして人目も憚ることなく繰り広げられた俺へのセクハラ騒ぎは漸く収束し、食事も終えることができた。

 教室に戻る途中、皆が皆トイレに寄りたいと言うものだから俺も付き合ったのだが、道中また上から何か落ちてきやしないかと冷々したものだった。無事だったけどね。

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