15話「走るトロール」

「うーん……ここにも居そうにないか……」

ざっと眺めるだけでも人の影は見当たらないし、ここに居る可能性も低そうだ。

 花畑と違って、この河原は見通しが良い。辺りには丸石ばかりが転がっていて、川の流れも穏やかだ。遠くに目を移すと、さっきまで歩いてきたような森林が広がっている。花畑のような轍も見当たらないし、穏やかなものだ。

 川で溺れていたらと考えてもみたが、魔法の練習で歩き慣れているのなら溺れる可能性は低いし、そもそも魔法の練習をしているだけなら、溺れることはないだろう。よほどのレアケースでもなければ、そのあたりの心配は要らなそうだ。

「当てが外れちゃったな」

 アークスは、座るのに丁度良さそうな大きさの石を見つけたので、そこへ腰をかけた。


「また戻るのか……」

  ここから、もう一つの川に行くのには、また花畑へ戻らないといけない。その上で、ここと同じ距離を花畑から歩かないといけないので、丁度、花畑からここまで歩く距離の倍くらいの道のりがある。

 それに、花畑の不可解な荒らされ方も気になる。ミーナも心配だが、アークス自身も何かの巨大生物に警戒しながら移動する必要があるだろう。

 ここまで来るのにも結構な体力を消費するというのに、また倍の距離を、しかも巨大生物を警戒しながら肝を潰して歩かないといけないというのは、ちょっと気が重い。

「でも、しかたがないよね」

 思いの外、時間と労力がかかってしまった任務だが、もう一つの川へと行けば、一旦の結論が出る。居れば任務は完了。居なかったら……一人でなんとかなる事態ではないので、城へと急ぐ必要があるだろう。あの花畑の荒らされ方は、ただごとではないし、ミーナはここに居なかった。もう一つの川に居る可能性も、そんなに高いとは思えない。これほどまでに条件が揃ってしまった以上、荒らされた花畑とミーナの失踪との関連性は、あると考えた方が自然だ。


「うん……?」

 ふと、アークスは、辺りの雰囲気に微妙な変化があったように感じた。

「何……」

 目には見えないが……何か違和感を感じる。アークスは、静かに、ゆっくりと周囲を見渡し始めた。


 周りは相変わらず、流れる水と石ころだらけだ。空は晴れていて、雨が降る気配は無い。どこからともなく聞こえる鳥の鳴き声が、少し少なくなった気はするが、気のせいだろう。

「あ……!?」

 アークスの耳に、聞き慣れない音が聞こえた気がした。

 それは地鳴りのような、低いゴゴゴゴといった音だ。

「……」

 アークスは、目を閉じて、耳を澄ましてみた。体を動かさずに、じっとしながら辺りの音を聞く。


 水のせせらぎ、木の葉の騒めき、鳥の鳴き声……それに混じって、かすかだが、明らかな異音がアークスの耳に入った。

「勘違いじゃない……確かに聞こえる……」

 遠くから、ゴゴゴゴという地鳴りのような音を、アークスの耳は確かに感じ取った。その音は、時が経つにつれて徐々に大きくなっている。こちらに近づいているのだろうか……。

「あ……まずい!」

 音の正体が何なのかは分からないが、得体の知れない何かがこちらに近づいているのは間違いなさそうだ。アークスは急いで森の方へと走り、草陰に身を潜めた。

「何だ……何が来るんだ……?」

 心臓の鼓動が高鳴る。地鳴り音はもはや、耳など澄まさなくても聞こえるようになり、地面を伝わる振動すら感じられるほどになってきた。

「んっ!? あれか……?」

 アークスが、川の上流の方を眺め見た。そこからは激しい土煙が舞い上がっていて、じっと見ていると、徐々に大きく、はっきりと見えてきた。どうやら、こちらに向かってきているらしい。

「土砂崩れ……いや……」

 どこかの崖が崩れたのか。アークスは最初、そう思ったが、すぐに違うと思った。

 土煙の真ん中に、人影が見える。恐らく、あの人物が、あの土煙を巻き上げているに違いない。


 人影は、見る見るうちにアークスの居る下流へと近付いてきた。アークスは更に身をかがめ、息を潜めた。

「何だ……あれは……」

 土煙を巻き上げている人物が、アークスに鮮明に見えるくらいの距離まで近付いた時、アークスは、その人物の正体が分かった。あの大柄な体格と、青みがかった皮膚の色は、トロールだ。

 トロールは、一般的に、普通のヒューマンの二倍近い体格をしている。今、走っているトロールもその例に漏れず、大柄だ。むしろ、一般的なトロールよりも、横に大きく見える。ヒューマンとしては小柄なアークスと比べた場合、優に三~四倍はあるだろうか。

 それが、鬼のような形相で、川べりを走っている。何があったのかは知らないが、トロールの気性は荒くはない筈だ。集落はヒューマンとは別になっている場合が多いが、トロールがヒューマンの町を訪ねることも、逆にヒューマンがトロールの集落を訪ねることも、特に問題無く行われている。ヒューマンとトロールは共存しているのだ。

 しかし、あれではまるで理性の無い野獣のようだ。トロールは我を忘れて、まるで暴走した馬車のように辺りの物を殴り、蹴散らしながら進んでいる。

「うわっ!」

 アークスの方へ、トロールの蹴散らした石の一つが飛んできた。アークスは、体を右に転げて、間一髪で石をかわしたが、あんなスピードで飛んでくる石に当たったらひとたまりもないだろう。


「危険だな……」

 トロールは、石はおろか、足元の土すら蹴り上げ、撒き散らしながら進んでいる。さっきみたいにトロールが蹴散らした物が飛んできて当たりでもしたら、ミーナを助けるどころの話ではなくなってしまう。身を隠せるくらい丈の高い草とはいえ、あれに対する防御には、全くならないだろう。

 アークスは、周りを見渡して手ごろな木を見つけると、静かに、かつ急いでそこへと移動を始めた。あのトロールに周りが見えているかは分からないが、もしアークスが見つかったら、どうなるか分からない。


 アークスが木陰に隠れたすぐ後に、トロールは凄いスピードでアークスの居る所を通り過ぎた。凄まじい土煙と音は、さながら竜巻の中心に居るようだった。

「どうしたんだ……」

 あれだけ暴れているのだから、トロール自身も無事ではない。トロールが上下に着ている毛皮のノースリーブとハーフパンツはぼろぼろで、トロール自身の肉体にも、沢山の切り傷が付いているのがアークスの目に映った。これは、ただ事ではなさそうだ。


「どうしてあのトロールは、あんな……あ、ミーナが!」

 アークスは、突然のトロールの襲来で、自分の身を守る事だけで精一杯だったが、トロールが過ぎ去り落ち着いたからなのか、ミーナの事を思い出した。

「あのトロールと関係があるのかは分からないけど、鉢合わせしたら大変だぞ……!」

 ミーナが今も、この一帯のどこかに居るのかは分からないが、あのトロールと鉢合わせしたら、ミーナの身が危ない。アークスは急いで、もう一つの川の方へと歩き始めた。

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