7.

 あの人はきっと、何かを知っているに違いない。

 少なくとも、魚が見えているのは間違いないだろう。

 そう思い男を追いかけて電車を降りたものの、いざ声をかけようとすると五十嵐は尻込みしてしまった。元々五十嵐には自分が社交的ではないという自覚があったし、アルバイトだってなるべく人と関わらなくて済むものを選んできたくらいだ。いきなり見知らぬ人を捕まえて「魚が見えているんですか」なんて問いただすのはあまりにハードルが高い。

そもそも五十嵐の思い違いで、本当はあの男にだって魚が見えていないかもしれないのだ。その場合、どう思われるかなど考えたくもなかった。

 立ちすくむ五十嵐の前を、男はずんずん歩いていく。ホームにはそれなりに人がいるにも関わらず、それをものともしない様子は、先ほど電車で見た魚たちを思い起こさせた。

 どこまでも自由で、身軽で、そこにいる人間なんて関係ないような足取り。

 よく見れば男の荷物は小さなメッセンジャーバック一つだけだ。少し買い物に出るだけでも細々と必要ないような物まで持って行かなければ落ち着かず、そしてその割に本当に必要なものを忘れてしまう五十嵐は、その足取りだけでなく、男の全体的な「身軽さ」が羨ましかった。

 ぼうっとしている間に男は上りのエスカレーターまで移動していた。このままでは見失ってしまう。

 慌てて五十嵐も人波をなんとかかき分けて、男のあとを追いかけ始めた。

 薄いインディゴブルーのダンガリーシャツを羽織った背中から目を離さないように注意しつつ、五十嵐もエスカレーターに乗る。

 男の姿を追うことに夢中になって気付かなかったが、電車の中ほどではないにしろホームにもエスカレーターにも魚はいた。

 やはり捕まえるどころか手を触れることすら出来ないが、目の錯覚や気のせいで片付けるにはあまりにも多すぎる魚たちが、五十嵐の視界をかき乱している。

 そして相変わらず、誰一人としてそのことに気付いている人間はいないようだった。

 五十嵐がエスカレーターを上りきると、遠目に男が乗り換え専用の改札を抜けていくのが見えた。

 こうなったらとことん追いかけよう。

 そしてタイミングを見計らって、今度こそ声をかけよう。

 幸い、ICカードにはたっぷりとチャージしたばかりだ。見失うこともないだろう。

 男を追いかけて五十嵐は同じ改札を抜ける。ホームへの階段を、ゆったりとした足取りで降りていく男の背中が見えた。

 追い付こうと必死に足を動かしているのに、どうしてこうも距離が詰まらないのだろう。

 焦りを覚えながら、それでもなんとか五十嵐がホームまで辿り着くと、ちょうど電車がホームに滑り込んできたところだった。

 男はホームの中ほどにいて、早速電車に乗り込んでいく。慌てて五十嵐も階段から一番近い車両に飛び乗った。



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