2.

 どこか遠くへ行こうと思った。

 気がつけば大学に入学して三年目の夏休みを迎え、冬からは就活が始まる。そんな時期になっていることに、前期最後のレポートを出し終えたとき五十嵐はようやく気付いた。

 気がついたというよりは、実感を伴ってきたというべきか。

 別に、学生という身分に未練があるわけではなかった。どちらかというと、早く卒業してしまいたいとさえ思っていた。

 大学は嫌いではないが、好きかと訊かれたらどうだろう。五十嵐は自分が決して向学心が旺盛ではないという自覚があったし、もちろん研究者になりたいとも思わなかったし、なれるとも思えなかった。

 卒業して、どこかに就職して、でもその先は。

 気がつけば老いて、気がつけば死んでいるのではないか。何事もなくと言えば聞こえは良いが、裏を返せば何の面白みもない人生。自分が存在したのかしなかったのかさえ、誰も覚えていないような未来は容易く思い浮かび、そしてそんな想像を振り払えるだけの何かが自分には欠けていることもまた、五十嵐は気付いていた。

 なにか突出した才能があるわけでもなく、目立ったところがあるわけでもなく、常に誰かの人生の端役に過ぎないような自分は。

 ――ねえ、恵。孝志が受かったのよ、K大に。

 弾んだ母親の電話の声がふと、五十嵐の耳の奥で蘇る。

 今年の三月、まだ肌寒い日に下宿しているアパートの狭い部屋で聞いたその報せは、確かに姉として喜ぶべきものだったはずだ。

 けれど。

 青と水色と白のラインが入った車両がホームに滑り込んでくる。まずはこれに乗ってしまおう。どこへ行くかなんて、後から考えればいい。

 ドアが開いて乗客が流れ出し、それに続いて五十嵐も電車に乗り込む。黙って立っているだけでも汗が噴き出してくるホームとは違って、車内は冷房が効いており、寒いくらいだった。

 閉まった扉の前に立つと、暗い顔をした自分が嵌め込まれたガラス窓に映っていた。

 肩口で切りそろえた一度も染めていない髪は、かといって傷んでいない訳でもなく癖がついているせいでうねっている(縮毛矯正はあまりに持ちが悪いのでやらなくなってしまった)。にきび跡の残る頬。厚ぼったい一重の目は視力の悪さも手伝ってか、目つきが悪いと影で言われたのは一度や二度ではない。

 野暮ったい眼鏡も疎ましいが、かといってコンタクトを使う気にもなれなかった。

 ガラスに映る自分の顔を見ているのが嫌になって、足元に視線を落とす。

 歩きやすさを重視して選んできたスニーカーの爪先が汚れているのに今更ながら気付いた。溜め息をつきたくなる。



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