番外編

サロンで朝食を

 レカルディーナの腕の包帯が取れたころ。

 ベルナルドは彼女にとある提案をした。「これからは一緒に朝食を取らないか?」と。

 レカルディーナは腕が完治するまでうまくナイフとフォークが使えないからと、女官たちに助けてもらいながら食事を取っていた。当然ベルナルドとは別だった。

 提案を受けたレカルディーナは少しだけ目をぱちくりとさせて、そのあと顔を赤くした。

 好きだと返してくれたのに、彼女はいまだにベルナルドに対して照れる。

 小さく開いた口が何かを言いかけて、けれど声にはならなくて、ベルナルドは少しだけ焦った。

 もしかしたら嫌だったのだろうか。

 おまえを妃にすると、宣言をして一方的にアルムデイ宮殿に連れてきてそのまま閉じ込めている自覚はある。

 でないとレカルディーナがどこかへ行ってしまうと思ったからだ。

 ベルナルドは怖かった。

 自分だけが想いを募らせていて、けれど彼女の世界の中にはベルナルドが入り込む場所なんて本当に小さいところくらいしかないような気がしたからだ。

 明るいレカルディーナは寄宿学校時代の後輩からも(かなり熱烈に)慕われている。男と偽って働いていたころだって、近衛騎士や女官たちとも打ち解けて仲良く仕事をしていた。

 レカルディーナに惹かれていく過程で自分だけが王太子という立場上、彼女から一歩も二歩も線を引かれていて面白くなかった。

「わかりました。殿下。ご一緒させていただきます」

 レカルディーナは清楚な微笑みを浮かべた。

「ベルナルド、だ」

「はい。ベルナルド様」



 ベルナルドとレカルディーナはそれぞれに忙しい。

 ベルナルドは義父である王の補佐という名の公務を、レカルディーナは王太子妃となるための花嫁修業があるからだ。

「おはようございます、ベルナルド様」

「おはようレカルディーナ。よく眠れたか」

 はにかんだ顔で現れたレカルディーナを見れば、ベルナルドの顔にも自然と笑みが浮かんだ。

 侍従と主人という関係ではない、婚約者同志ということにベルナルドの心が弾む。

「はい。わたし寝つきはいいほうなんです」

 ベルナルドとレカルディーナの私室からほど近い場所にある小さなサロンが朝食会場だ。東側にある部屋のため、朝日がガラス窓を透かして室内へと降り注ぐ。

 堅苦しい食堂で、長い食卓を囲む気にはなれずに、シーロに命じてサロンを使えるようにした。

 食堂にあるものよりも格段に小さな丸い卓に二人きりだ。

 ベルナルドは面映ゆくなる。

 食事など、一人で取ることに慣れきっていたのにどうしてレカルディーナに同席してほしくなったのか。

「なんだか……照れますね。わたし、今までずっと殿下に給仕する立場だったのに」

 レカルディーナが小さな声でベルナルドに話しかけてきた。

 内緒話をするような近しい距離だ。

「俺は、おまえと一緒で嬉しい」

 ベルナルドは素直な気持ちを伝えた。

「ありがとうございます。わたしも、その……殿下と一緒でうれしいです」

「ベルナルド、だ」

「そうでした」

 ふふ、とレカルディーナは笑った。

 油断すると彼女はすぐにベルナルドのことを殿下と呼ぶ。好きな女性には名前で呼ばれたい。敬称で呼ばれると彼女との距離が遠くなるようで嫌だった。

 それなのに、いたずらがみつかったように小さく舌を出すしぐさが可愛くてベルナルドはまあこれはこれでいいか、などと考える。

「腕の調子はどうだ?」

「みんなそればっかりなんですよ。大丈夫、もうちゃんと完治しました」

「だが……」

 彼女の腕の傷は、元を正せばベルナルドが負うべき傷だった。彼女が自分を庇ったためにできた傷だと思うと、ベルナルドは自分が許せなくなる。

「ベルナルド様。大丈夫。わたし……あなたがいなくなることのほうが嫌だったから」

 レカルディーナはベルナルドが何を思ったのか理解したのだろう。そんなことを言ってきた。

 だが、それはベルナルドも同じだ。

「俺だっておまえがいなくなるなんてこと絶対に嫌だ」

 力強く言えばレカルディーナは少しだけ目を伏せた。

 完治しても傷跡は残ると聞いている。それを思うとやるせない。

「ベルナルド様。朝食冷めちゃいますよ。早くいただきましょう」

 レカルディーナが明るい声を出す。

 パンを手に取り小さくちぎって口の中に入れていく。

 チーズの入ったオムレツに酢漬けの野菜や温室で取れた葉物のサラダなどをおいしそうに攻略していく。

 ベルナルドは家族と食事を取った記憶があまりない。

 食事はいつも一人で取るものだった。

 士官学校の訓練に入れられたとき、同級生となった少年たちと同じ食堂で食事をすることはあった。それくらいの思い出だ。

 あとは養子になった国王夫妻と何度か取ったくらいか。それだって家族というか、とても形式ばったものだった。

 レカルディーナの食事する様子を観察していたら、こちらの視線に気が付いた彼女が朝食を中断する。

「ベルナルド様、わたしのことばかり見ていないで、自分もちゃんと食べてください」

「……ああ。わかっている」

 ベルナルドは朝食をいただくことにする。

「なんだか不思議。ベルナルド様と一緒に食事をするのって」

 レカルディーナが照れたように笑った。

 はにかんだ顔がどうしようもなく可愛くてベルナルドは彼女を宝箱にしまいたくなる。

「そうそう、寄宿舎でもみんなと一緒に食べていたんです」

「俺も士官学校にいたころは同じだった」

「そうなんですか。殿下の学生時代ってなんだか新鮮」

「おまえの兄、エリセオもいた」

 彼はあのころからああだった。まだアンセイラの婚約者だった、一介の公爵令息にエリセオは腹の内の見えない笑みを張り付かせた顔で近づいてきた。

「お兄様も?」

「ああ。それとアドルフィートやカルロスも一緒だった」

「みんな殿下と仲良かったんですね」

「ただの腐れ縁だ」

「またまた」

 なじみの名前を出せばレカルディーナはすっかりくつろいだ雰囲気になり饒舌になる。

「いいなあ。わたしもそのころの殿下にお会いしたかったな」

 そんな声を出されればベルナルドは内心嬉しくなる。彼女が、過去の自分に興味を持ってくれるのが。

「べつに……なんの面白みもない。普通の少年だった」

「今度隊長たちに当時の思い出話とか聞いてみますね」

「……聞かなくていい」

 なんだかこそばゆくてベルナルドは卓上に肘をつき、口元を覆った。

 自然と眉を寄せてしまう。

 レカルディーナはそんなベルナルドを眺めて、口元を緩めて食事を再開させた。

 二人かちゃかちゃとナイフとフォークを動かして皿の上の料理を平らげていく。

 給仕をするレカルディーナではなく、彼女が隣に座ればどんな風に景色が変わるのだろう、とベルナルドはリポト館にいるころからなにとはなしに考えていた。

 食事を終わらせて、食後にお茶が運ばれてきた。

 西大陸と呼ばれる地域から南へずっと下ると、アルンレイヒとはまるで違う気候の古い王国があるという。そこで栽培されている茶葉を船を使って輸入しているのだ。

「ベルナルド様はお茶にお砂糖と牛乳って入れますか?」

「たまに牛乳を入れることはあるが」

 基本的には何も入れない。

 コーヒーを飲むときもそのままだ。

「わたしは両方入れるのが好きなんです。お砂糖をさらさら~って入れるのを見るのも好き。なんだかきれいじゃないですか? 真っ白なお砂糖が赤い色をしたお茶の中に入っていって溶けるの」

 レカルディーナはそう言って砂糖の入った小さな容器のふたを開けて小さな匙で砂糖を掬う。

「寄宿舎にいたころ、紅茶に牛乳を先に入れるか後に入れるかで喧嘩している子がいたんです。ものすごくこだわりがあるみたいで」

 レカルディーナは楽しそうにおしゃべりをする。

 ベルナルドは彼女の声を心地よく受け止める。

 レカルディーナはベルナルドの分のカップを引き寄せた。

「今日は牛乳入れますか?」

「え、ああ」

 ベルナルドはびっくりした。

「じゃあ声かけてくださいね」

 レカルディーナはそう言ってベルナルドの分のお茶に真っ白な牛乳を注ぐ。

 彼女が侍従に変装していたころにだって、こんなことされたことない。一瞬、時間が停まったかのようにベルナルドは体を硬直させた。

「もういい」

「はあい」

 レカルディーナは色の薄くなったお茶をベルナルドの前に差し出した。

 そのあとに自身のお茶の中に砂糖を二杯ほど入れてかき混ぜる。

「今日はこれだけにしておこうかな」

 ふうっと息を吹きかけたあと、彼女はお茶を口に入れる。「うん、甘くておいしい」と感想を漏らした。

「わたしの両親って、というか母親なんですけど。年中べたべたしていて。母はよく父の飲むお茶やコーヒーにお砂糖とか牛乳とか入れてあげるんです」

 レカルディーナはカップに口をつけながら話し始めた。

 彼女の両親とは一度会っている。

 レカルディーナを婚約のどさくさに生じて王宮住まいさせると伝えたときのことだ。あのとき、パニアグア侯爵は激高した。よく覚えている。引きこもりにうちの娘はやれるか、とか言われたのだ。

「母は父の好みを知っていて、子供心に不思議だったんです。どうしてその日の気分に合わせて砂糖や牛乳を加減できるんだろうって。母は愛の力よ、なんて年甲斐もなく惚気るんですけど……」

 思い出話をするレカルディーナは穏やかな顔をしていた。

 ベルナルドでもなく、どこか遠くの、それこそ過去の情景を追いかけるように瞳を細める。

「だから、その……。わたしも、これからはベルナルド様の好みとか、知っていきたいなって思って」

 そんな風に言われて、ベルナルドは急に恥ずかしくなった。

 レカルディーナが不意打ちをするからだ。

 彼女は、仲の良い両親に倣ってベルナルドのお茶に手を加えようとした。

 それは要するに、彼女なりの愛情表現なのではないか。

「あ、ああ。俺はあまり手を加えない。だが……たまには牛乳を入れるのも悪くない」

「はいっ。わたし、あなたの好きなものとかもっとたくさん知っていきたいです」

「明日も、明後日もずっと一緒に食事を取ろう」

 自分でも驚くくらい穏やかな声を出したベルナルドの言葉に、レカルディーナは嬉しそうに「はい」と返した。

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