エピローグ

アルンレイヒに帰国してから初めての冬。

 少年のように短かったレカルディーナの髪の毛は顎の線を少しだけ越えて、もうすこししたら肩に届きそうなくらいまで伸びていた。


 金茶色の髪の毛には小さな造花とレエスをあしらった髪飾りが結んである。

 もちろん身につけているのも女物のドレスである。


「お姉さま、明日は一緒にお出かけしませんか」

「ええ、いいわよ。そういえばこの時期ミュシャレンでも冬の市場(マーケット)が開かれているそうよ」


 隣に座るエルメンヒルデの問いかけにレカルディーナはにこりと笑った。

 アルンレイヒのアルムデイ宮殿の一室である。


「まあ、市場! 懐かしいですわ。お姉さまが寄宿学校にいらしたころ、一緒にこっそりとお出かけしましたわ」

「そんなこともあったわね」


 授業が終わったあと、市場は夕方から夜にかけての方が盛り上がるから、こっそり寄宿舎を抜け出した。確か、あれは去年の今頃の話。最初は同級生の友人らと画策をしていたのに、なぜだかエルメンヒルデにも見つかって、彼女が同行した。


「あらあら、二人とも見かけによらずずいぶんとお転婆さんなのね」

 二人の思い出話にやんわりと入ったのは王妃カシルーダだ。

「いえ、その……ずいぶんとでは、無いです……」

 レカルディーナは慌てて頭を振った。


 未来の義母を前についうっかり過去の所業を披露してしまった。慌てるレカルディーナだが、カシルーダが彼女に向ける視線は柔らかい。

 レカルディーナの正体を知った時も「あらあら、まあ……」とのんびりした口調で納得した王妃である。現在は義理の息子の花嫁として認めおり、こうしてお茶を一緒に飲むのが日課になっている。


「では明日はミュシャレンの市場にご一緒しませんか?」

「そうね。殿下の許可が降りたら」

 そう言うとエルメンヒルデは目に見えてしかめ面をした。

「そもそも、お姉さまはまだ婚姻前なのですから王宮に住む理由がないのですわ」

「ええと……。花嫁修業中なのよ」

「そんなもの、通いでだってできますわ」


 現在はベルナルドの居住する区画の一つ上の階に専用の部屋を与えられ、ダイラをはじめとする女官らに面倒をみてもらっている。というか、フラデニアで銃で撃たれた後、帰国したのはいいけれど、なぜだかずっと王宮にとどめ置かれている。

 それというのもベルナルドが持ち前の面倒くさがりを発揮し、色々な手順とか順序をすっとばして婚約者としてレカルディーナをそのまま王宮に連れてきてしまったからだった。


 なんだか知らない間に外堀をどんどん埋められている気がしなくもない。


「あの子が本気を出したら、ここまでやるとはわたくしも予想外だったのよ」

 カシルーダも義息子が発揮したやる気に困惑気味だ。

「やる気の方向性が間違っていますわ」


 やる気の方向性といえば。


 兄アロイスの起こした事件は表ざたになることも無く、またレカルディーナの嘆願もあってエルメンヒルデへの過度な縁談はひとまず保留となったらしい。

 その後無事ライツレードル女子寄宿学院に復学をした彼女は現在冬期休暇を利用して初めてアルンレイヒを訪れている。王宮に滞在しているのは持てるコネと実家の名前を最大限に利用した結果だった。大好きなレカルディーナお姉さまに会うために努力しました、と明るく言われたが努力の方向性が斜め上に迷走しているような気がしてならない。ベルナルドはものすごく不本意そうにしていたけれど、エルメンヒルデはどこ吹く風だ。


「なにはともあれ、義息子がやっとやる気を出してくれたのだもの。わたくしも一安心よ。ちょっと、面倒なところもある男だけれど、見捨てないでやってね。レカルディーナ」

「いえ。そんな。殿下は優しいですし、面倒だなんて」

「お姉さまが甘やかすから、付け上がるんですわ」


 エルメンヒルデはまだレカルディーナの結婚に納得がいかないのか、この滞在中も何かとベルナルドといがみ合っている。


「ちょっと、あなた。仮にもアルンレイヒの王太子殿下に対して、不敬なのではなくて」


 ここでもう一人の令嬢がようやく口を開いた。

 赤茶色の巻き毛を編み込み、左右のりぼんでとめている、ファビレーアナだ。

 さきほどから会話には混ざっていないが、唇をきゅっと引き結んでお茶会に参加をしていた。


「あら、ファビレーアナ様。まだいらっしゃいましたの?」

 エルメンヒルデは不思議そうに首をかしげた。

「なっ……」

 その態度を目にして、ファビレーアナは口を引くつかせた。一見するとおっとりのんびりな印象を人々に与えがちなエルメンヒルデだが、実は肝が座っている。


「わたくしは王妃様にお呼ばれしましたもの」

 ファビレーアナはぷいと横を向いた。


 帰国したのち、レカルディーナは正直にファビレーアナに本当のことを打ち明けた。覚悟はしていたけれどその正体が女性で、しかもパニアグア侯爵家の娘レカルディーナであることを知ったファビレーアナは案の定というかものすごく怒った。怒ったけれど、最終的には泣かれた。このとき、これからは安易に男装はしないでおこうと心に決めたレカルディーナだった。


「あら、そうですの」

「別にわたくしはレカルディーナに会うために来たのではありませんわ。王妃様がいらっしゃいというから」


 ファビレーアナは横を向いたままごにょごにょと言い訳をした。この場にファビレーアナを引っ張り出したのはカシルーダの功績によるものらしい。ぎくしゃくした関係を続けていくのは嫌だな、と漏らしたレカルディーナの言葉を覚えていたのだろう。


「今日はありがとうファビレーアナ嬢。こっちこそごめんね、色々と。まだ許したくない気持ちはわかるから」


 レカルディーナの声を聞いて瞬時に顔を赤く染めるファビレーアナである。まだ色々と割り切れないのか、先ほどからちらちらとレカルディーナの方を見ては下を向いたり横を向いたり。そのくせエルメンヒルデが過剰にレカルディーナにすり寄れば、鬼のような形相をしてにらみつける。


「ファビレーアナ様はお姉さまの良さが分からないのです。そもそも女性同士ならではの楽しみ方というものがありますもの」


 と言ってエルメンヒルデはレカルディーナの腕に自身のそれをぎゅっと絡めてきた。

 ファビレーアナは目を見張っていた。そしてなにかぶつぶつと小さく唱えながら頭を振ったり、二人を凝視したりと忙しい。何か間違った道に足を踏み出しかけた瞬間だった。


「女同士だからっていいわけないだろう。おまえさっさと自分の国に帰れ」

 いつのまにか入室していたらしいベルナルドがレカルディーナからエルメンヒルデを引きはがした。


「まあ! 何をなさいますの!」

「殿下」

 エルメンヒルデの抗議の声をしれっと聞こえないふりをするベルナルドはレカルディーナに声をかけた。


「ベルナルドと呼べと言っているだろう」

「ベルナルド様。まだ執務の時間では?」

「今日の分は終わらせた」

「その割には、その……廊下の方が騒がしいようですけど」


 レカルディーナは窺うようにベルナルドへ視線を向けた。遠くの方から、イスマエルの声が聞こえてくる、ような気がする。もしかしたらまた抜け出してきたのかもしれない。


「気にするな」

 ベルナルドは少しだけバツが悪そうな顔をした。


 数カ月前とだいぶ変わったな、とレカルディーナは思った。

 侍従姿でなく、ドレス姿でベルナルドの隣にいて、カシルーダと可愛い妹のようなエルメンヒルデと、自分の感情に素直なファビレーアナと一緒にお茶を囲んでいることが不思議だった。


 それでも、すぐ近くに大好きなベルナルドがいてくれる。

 それがとてもくすぐったくて、レカルディーナは淡く微笑んだ。




 その日の夕食後。

 ベルナルドはレカルディーナを連れ出した。可能な限り一緒に食事をしようと、言われていてここ数日はその席にエルメンヒルデも加わっているからとてもにぎやかだ。


 食後のお茶の時間をベルナルドはエルメンヒルデから奪い取ったのだ。

 レカルディーナはベルナルドの私室へと連れてこられた。

 婚約者として王宮に部屋を与えられて以来訪れるのは初めてだった。侍従をしていたころは、なんの抵抗も無くベルナルドの寝室に入ることができたのに、今は彼専用の応接間に入るだけでも心がざわりとしてしまう。


 婚約者だが節度を保つよう女官らが目を光らせているので二人で会う時はもっぱら共通のサロンを利用している。


「最近はあまり二人きりになれない」


 ベルナルドは少し不満そうだ。

 レカルディーナのことを胸の中に引き寄せて、彼女の頬に手を添えて上向かせる。

 触れるだけの口づけが落ちてくる。


「だ、だめです……。ベルナルド様」


 はずかしくて、レカルディーナは小さく抗議の声を上げた。

 彼の胸を押し返すように両手に力を入れると、ベルナルドはレカルディーナの唇から、自身のそれを離し、今度は頬や目じりに口づけを落としてきた。

 一応、自重してくれているらしいが、あまりに距離が近いとレカルディーナの心が持たない。それでなくても、心臓がうるさく鳴りっぱなしだというのに。


「わたしは、エルメンヒルデに会えて嬉しいです」

「分かっている」

「あまり喧嘩しないでほしいです」

「……それも、考えておく」

「それにしても、どうして殿下の私室へ?」


 レカルディーナは不思議に思って尋ねた。

 サロンでも、人払いをして二人きりになることくらいできる。

 ベルナルドは引き出しの中から箱を取り出してレカルディーナに渡した。


「なんですか、これ」

「贈り物だ。開けてみてくれ」


 精緻な文様の描かれた小箱を開いてみると、中からは首飾りと耳飾りが現れた。

 大ぶりの青い石と金細工が複雑に絡み合った美しい宝飾品だった。


「ええと……」

 レカルディーナは目の前の宝石とベルナルドを見比べた。彼の意図がつかめない。


「今度の晩餐会に出席することになった。俺の婚約者として正式に皆の前で紹介をする。その時につけてほしい」

「殿下、あれに出るんですか? この間は出席する必要性が分からないとかおっしゃっていたのに」


 年の暮に行われる王家伝統の晩餐会である。カシルーダからやんわりと今年はあなたも出席してほしいのだけれど、肝心のベルナルドが出席拒否をしていてね、とか言っていた気がする。どんな心境の変化があったのか、いきなり二人で出席ということになっている。


「ベルナルド、だ。何度言ったら分かるんだ」

「う……」


 まだ気を抜くと殿下と呼んでしまう。

 ベルナルドはおもむろに開いた小箱から首飾りを取り出して、レカルディーナへそれを取り付けた。首の後ろに手が触れるとそれだけで心臓の鼓動が跳ね上がる。


「ん……」

 首の後ろに指先が当たり、レカルディーナは吐息をもらした。


 ベルナルドはそのまま耳元に唇を寄せてくる。相変わらず言葉は少ないけれど、レカルディーナに自身の気持ちを告げて以降、それを埋めるかのように触れてくるようになった。


「レカルディーナ、気持ちを聞かせてほしい」

 吐息が耳朶をくすぐる。

「き、もち……?」


 抱きか抱えられるような格好になり、レカルディーナは彼の胸の中で苦しそうに喘いだ。

 耳元で言葉を吐かれると、それだけでぞくりとして、力が抜けてしまう。


「好きとは聞いたが、求婚の答えを貰っていないことに気がついた」


 レカルディーナは回らない頭の片隅で必死に考えた。

 そういえば、「好き」とは言ったけれど、結婚しますとは言っていない気がする。

 ああでも、ああいうときってそういうのもひっくるめての「好き」なのではないだろうか。


「ええと……。改めて言うの恥ずかしすぎて……」

 彼の腕の中から逃れようとじたばたもがいてみるけれど、ベルナルドは逆にぎゅっと抱きしめてきた。

「だめだ」

 彼の強い意志を感じてレカルディーナは観念した。


 どうやら返事をしないと解放してもらえないようだ。それでも、なんて言おうか逡巡していると、なかなか口を開こうとしないレカルディーナに対して、ベルナルドの顔が少しだけ曇った。


 レカルディーナは悟った。おそらく彼も不安なのかもしれない。求婚の返事の仕方なんて寄宿学校では習わなかった。よい妻になるためには、なんてことは事あるごとに諭してきた教師に言ってやりたい。妻になる前に気のきいた求婚の返事についての授業の方が必要だわ、と。


 けれどレカルディーナは昔彼に伝えた。だから、大丈夫。今だって同じこと。


「わたし、ずっと殿下の側にいます。前にも言った通りです」


 それを言ったらなぜだかベルナルドは拗ねたような顔をした。

 あれ、なにか違ったみたい。

 レカルディーナは考えてもう一言肝心のものを付け加えた。恥ずかしいけれど、顔から火が噴きそうだけれど、なんとか言葉にして絞り出すことができた。


「好きです。ベルナルド様。ベルナルド様のお嫁さんに、……もらってください」


 今度はちゃんと正解だったようだ。

 ベルナルドは口の端を持ち上げた。薄茶の瞳のやわらかい眼差しがレカルディーナを映している。


「ああ。俺の妃はおまえだけだ。レカルディーナ」

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