五章 賭けの行方6

「賭けのことだが。本当に結婚相手がいるのか」

「いませんよ、そんなもの。あれは方便です。せっかく寄宿舎から帰って来たのに、すぐに嫁にやったら父上が発狂しますよ。ま、それでもレカルが結婚に前向きになったんだったら僕がしっかりいいお相手を見つくろってきますけどね」


「俺が貰う」

 間髪いれずにベルナルドは口を挟んだ。


「はあっ?」

 ベルナルドの宣言にエリセオが目を剥いた。信じられないものを見るような目付きでこちらを凝視している。なんとなく驚いた時の表情がレカルディーナと似ていた。


「だから俺が貰うと言ったんだ。彼女を、レカルディーナを俺の妃にする」

 ベルナルドはもう一度言った。

「って、あなた従妹姫と虫以外に興味あったんですか」

「どうしてどいつもこいつも俺とアンセイラをくっつけたがるんだ。彼女とはただの幼なじみで彼女へは尊敬の気持ちしかもっていない」


 エリセオはまだ呆けた顔をしている。しかしすぐに気を取り直したのか口を開いた。


「駄目です。あげませんよ。僕言いましたよね。殿下に預けたのは殿下が女性に興味持たないだろうと踏んだからです。なんだってあんたみたいな根暗にあげなきゃいけないんですか」

「途中で気が変わった。彼女じゃなきゃ駄目だ。あと、根暗で悪かったな」

 ベルナルドは言いたいことは言ったのでそのまま部屋から出ていった。


「あ、ちょっとこら! 殿下! まだ話は終わってませんよ」


 エリセオはまだ何か喚いているが、ベルナルドはしれっと無視をした。

「おい。あいつの相手をしてやれ」

 ベルナルドは近くにいた騎士のひとりに命令をした。


 このままレカルディーナには会わせないでそのまま迎賓館から追い出してしまいたい。

 今はあんなやつの相手をしている暇はない。

 彼女に、レカルディーナに告げることがある。




「本当に今回ばかりは心臓が止まるかと思ったわ」


 ダイラは到着して一目会うなりレカルディーナに抱きよせた。

 右腕に包帯が巻かれているため、体の左側半分に、ぎこちなく腕が回された。

 昔レカルディーナが木のぼりをして、木から落ちて気を失ったときだって泣かなかったのに、と思うと相当心配させた自覚が湧いてきた。銃で撃たれて意識不明という連絡がいったらしい。それは悪いことをした。


「心配かけてごめん」

「本当よ。エリセオ様も相当心配していたわよ」

「それはちょっと信じられない」

 そこは自身の感情に正直なレカルディーナだ。


「あれでもあなたのこと心配しているのよ」

「そうかしら……。わたしお兄様たちに好かれている実感がないもの。ディオニオお兄様もいつも怖いし。ああ、わたしもいよいよお嫁入りか。女優……なりたかったな」


 レカルディーナはしゅんと肩を落とした。

 兄らに好かれているとか、そういうことはこの際どうでもいい。それよりもこれまで頑張ってきたことがこれで無に帰すのかと思うとやっぱりやるせなかった。ベルナルドをかばったことを後悔しているわけではない。あのときは体が勝手に動いたから。


 それでも、自分の夢が終わったという実感をするのが辛かった。

 ううん、違う。


「ほんとうに?」

 ダイラは鋭いな、と思った。


 彼女はいつもレカルディーナの気持ちを読み当てる。

 レカルディーナは窓辺に近寄った。女優になりたい、という想いともう一つ相反するもの。頭の中に冷たくて近寄りがたいけれど、本当は繊細で優しい一人の男の顔が浮かび上がった。


 彼のそばにいることができなくなった。

 女優の夢が霞んでしまうくらい、いつの間にか大切になっていたレカルディーナの仕える主。


「女優ね……。あなたは演じることよりも観客として観ている方が合っていると思うわよ」

「ずっと女優になりたかったのよ。それは、本当……」

「でも今は違う?」

「ダイラは……するどいね」


 レカルディーナは力なく微笑んだ。

 その時、部屋の外から扉をたたく音が聞こえた。すぐのち、扉が開いた。


「入るぞ、レカルディーナ」

「ベルナルド様」


 ベルナルドが入ってきた。彼の姿を確認してダイラは立ち上がって礼をした。すでに姉のような表情から宮殿勤めの女官の顔に戻っている。


「おまえにも……心配をかけた」

 ベルナルドはダイラにも謝罪をした。

 ダイラは居心地が悪そうに小さく身じろぎをした。


「レカルディーナとは姉妹のように育ったと聞いている」


ダイラは殊勝な態度のベルナルドに小さくお辞儀をしてそのまま部屋から出ていってしまった。レカルディーナは思わずダイラを呼びとめようとしたが、間に合わなかった。

 レカルディーナは途方に暮れた。

 ベルナルドと二人きりでいるのが辛かった。




「起きていて平気なのか?」

 レカルディーナのすぐ近くへとやってきたベルナルドが気遣わしげにレカルディーナに声をかけてきた。


「ええ。熱も下がりましたし、ずっと寝台にいると退屈なんです。腕だって、ちゃんと包帯巻いてますから見た目ほどひどくないんですよ」

「つい最近まで熱で意識がもうろうとしていた人間の言葉なんて当てになるか」

「あれは、なんていうか……ちょっと体がびっくりしちゃっただけです」


 レカルディーナは反論した。別に全部が銃に撃たれたせいではない。確かに傷口が熱を持ち、レカルディーナも数日床に伏せたが、回復した今は元気が有り余っている。


「ほら、こっちへ来い」

 ベルナルドはレカルディーナの背中にそっと手を当て、ソファへ連れて行った。


(殿下近いです……)


 最近の気まずいことその一。外出禁止令が出されているレカルディーナには現在逃げ道がないこと。

 近しい距離に別の意味で熱が上がりそうだ。顔が火照っていくのが自分でもわかるくらいに。


 明らかに雰囲気の変わったベルナルドを目にするとレカルディーナは逃げ出したくなる。そのままレカルディーナはベルナルドに連れられてソファに座らされた。当然のようにベルナルドは隣の位置を陣取った。体温が伝わってくるような距離感にレカルディーナは戸惑いを隠せない。


「顔が赤い。やっぱり熱がぶり返したんじゃないか?」

「……気のせいだと思います」


(というか、殿下のせいです。これ)


「何か欲しいものはないか」

 気まずいことその二。何故だかベルナルドが優しい。


 こちらを覗きこんでくる薄茶の瞳の穏やかさにたじろいでしまう。この頃、熱心にレカルディーナのことを見つめてくるけれど、そのどれもが以前とは違ってとても優しい顔をしている。


「だ、大丈夫です。みんな、良くしてくれますから。あ、でも……強いて言うなら、外出禁止令を解いてほしいことくらいでしょうか」


 おずおずと切り出してみれば、彼の顔が陰った。眉根を寄せる仕草におもわず懐かしくて嬉しくなってしまう。


「駄目だ。大体、まわりは男ばかりの環境なんだぞ」

「そりゃあ、わたしもつい最近まで殿下の侍従してましたから」

「殿下と呼ぶなと言っている。ベルナルドと呼べ」


 気まずいことその三。急に名前で呼べとか、本当に意味が分からない。

 今までずっと殿下、と呼んでいたのに。

 気まずいことは他にもいくかあるけれど、代表的なものはこのくらいだ。


「何度も言っていますけど、今まで殿下と呼んでいたのに、いきなり名前で呼べるわけないじゃないですか。不敬罪で連行されます」

 レカルディーナはもう何度目になるかもわからない言い訳を再度口にした。不敬罪の前に恥ずかしくて無理だった。


「呼び続けていればすぐに慣れる」

「そんなすぐに慣れないですって。……じゃなくて、外出禁止令のこと。はぐらかさないでください」

「……考えておく」


 ベルナルドは苦虫を噛んだような顔をした。不本意、という言葉が顔に浮かびあがっている。


「ありがとうございます。……もうすぐみんなともお別れだから、ちゃんと挨拶しておきたかったんです。結果騙すような形になったので、謝りたいし。シーロもカルロスも隊長もわたしに対して怒らなかったし、みんな、いい人たちですよね」


(あ、まずい……)


 お別れ、という言葉を口にしたら急に涙腺が緩んできた。

 しかし。ダイラが到着したということは、兄のエリセオもルーヴェに到着したということで。おそらくベルナルドとはすでに面会をしているに違いない。


「兄も、すでに到着しているんでしょう? 本当、家族のごたごたに殿下たちを巻き込んでしまって申し訳ございませんでした」


 レカルディーナはベルナルドに謝罪した。

 安静にしている間、ベルナルドからはとくに事情を聞かれなかった。レカルディーナも聞かれないことに甘えていて、こちらからあえて口にしなかった。


「俺の方こそ、黙っていて悪かった。エリセオから事情は聞いている。女優になりたかったと聞いた」

「お兄様ったら、殿下にしゃべり過ぎ……」

「ベルナルド、だ」


 間一髪突っ込みを入れてきたベルナルドにレカルディーナは笑みをこぼした。

 こんなにも近しい距離で、二人で会話が続いていることが不思議だ。言葉はぽろぽろとこぼれてきて、こうしてずっとお互いのとりとめもない話ができたら、と思った。


「でしたら、もうこのあとのことも御存じなのでしょう?」

「……ああ」

「わたしはここから去らなくちゃ。兄の決めた縁談が待ってますから」

「それでいいのか?」

 ベルナルドの低い問いかけに、レカルディーナはくしゃりと顔をゆがめた。


「女優に、なりたいんだろう?」


 レカルディーナはベルナルドを見つめた。

 彼はとても真剣な目をしていた。じっと、こちらを、レカルディーナの心の奥まで貫いてしまいそうな眼差しだった。


「そ、それは……。それは、もういいんです」

 レカルディーナはかろうじてそれだけ言った。

 自分の膝を見つめる。いいんです、と言ったのに、心の中は穏やかだった。


「いいって、なんだ」

「侍従になって色々とあったせいか、最近自分の進路に迷いがでてきちゃって」


 最後は笑ってお別れをしないと。

 そう思うのに、気持ちとは裏腹にさっきからちっとも込み上げてくるものがひっこんでくれない。


「ここの職場、本当に楽しくて。みんなとってもいい人だし、優しいし。仕事はちょっと、きついけれど、それでも楽しい方が全然上で。それに……でん、ベルナルド様のそばにいるのが……、たの……しくて。だから……ずっと、傍にとか……」


 なんだか最後の方はベルナルドのそばがいい、みたいな感じになってしまってレカルディーナは慌てた。

 心の中がばたばたしていると、ふわりと頭に腕が回されて、ベルナルドの方に引き寄せられた。


「俺は……おまえがずっとフラデニアに行ってしまうと思っていた……。だから、今回も言葉を飲み込もうとした。おまえがそれでも女優になりたいのなら、どんなことをしても協力する、と……。自分に言い聞かせて……」


 ベルナルドは苦しそうな声を出した。

 どうして、彼がこんなにも辛い声を絞り出すのだろう。


「殿下?」

「レカルディーナ、縁談なんか進めるな。ずっと俺のそばにいたらいいだろう。俺が貰う。俺のところに嫁に来い」

 レカルディーナの頭は真っ白になった。


(嫁って? 嫁って聞こえたけど。なにこれ、嫁ってあの嫁? もしかして、新手の冗談。殿下、わたしを励まそうとして……)


 彼の場合、普段からあまり表情が変わらないから、これもベルナルドなりの励まし方、冗談なのかもしれない。


「い、いやだなあ。殿下ったら。冗談にしてはちょっと、いや、かなりびっくりです」


 頑張って大げさに笑い飛ばそうとしたら、なぜだかベルナルドが盛大に不機嫌顔をつくった。

 懐かしいと思う間もなく、何かが唇を覆った。

 柔らかいものがレカルディーナの唇に触れた。それは一瞬のことだったけれど、その直前にベルナルドの顔が、レカルディーナの至近距離にあったことを考えると……。


「この期に及んで冗談とか……。そんなわけないだろう。おまえのことが好きだ、レカルディーナ。全部本気だ。誰にも渡したくない」


 ベルナルドはじっと、レカルディーナの瞳を見据えた。

 強い口調だった。それでいて、レカルディーナの心を溶かすような、熱を帯びた声音に心がぞくりと粟だった。


「殿下はアンセイラ姫のことがずっと好きなはずで……」

 やっと出てきた言葉は見当違いもいいところだった。

「人が真剣に告白をしているのに、レカルディーナ、おまえまで同じこと言うのか」

「だって……」


 レカルディーナは力なく答えた。

 だって、ずっとアンセイラのことを想ってリポト館に籠っていたではないか。彼女が人々の記憶から薄れてしまうのを怖がって、だからベルナルドは自ら引きこもることで彼女の記憶をとどめようとした。愚鈍な養子よりも亡くなったアンセイラの方がよかった、と。


「前にも言っただろう。アンセイラは従妹として、幼いながらに努力している姿を尊敬していただけだと。俺が好きなのはレカルディーナ、おまえだけだ」

「でも……」

「でも、じゃない。俺の妃になってほしい。エリセオなんかに引き渡さない。俺のそばにずっといろ」


 ベルナルドはレカルディーナの後頭部に腕を回して、やわらかく抱きしめてきた。「愛しているんだ」という言葉がレカルディーナの胸の一番奥の無防備なところに刺さる。


「殿下……、あの、わたし……」

 いまさらながらにレカルディーナは実感をした。

 彼から、愛の言葉を告げられたことに。

「どうした?」

 いつもよりもずっと柔らかい声音に、レカルディーナの心が震えた。


 ベルナルドは彼女を抱きしめていた腕をほどいて、じっとこちらを見つめてくる。

 そしておもむろにレカルディーナの目じりに、唇を寄せてきた。

 柔らかな感触に全身の血がたぎるような気持ちになった。


「……殿下はアン……セイラ姫のこと、まだ好きなんじゃ、ないか……って……、ずっと思っていて」


 突然の出来事が沢山降りかかってきて。

 またしても出てきたのはまったく関係のない言葉だった。


「何度でも言う。俺はおまえを愛している」

「わたし、エルメンヒルデと女子、女子歌劇団の公演を観に行ったのに……、リエラ様のとな……隣で演じたい……って、前みたいに、おも、思えなくて……」


 レカルディーナはぽつりぽつりとつぶやいた。

 自分の心の中を一つ一つ言葉にしていくと、涙があふれてきた。

ベルナルドは黙ってレカルディーナの言葉に耳を傾けていた。その手は休めることなくレカルディーナの髪の毛をやさしく梳いてくれていて、それで余計にレカルディーナの瞳から涙がこぼれてしまう。悪循環だけれど、やめてほしくなかった。


「……ベル、ナルド様の……側に、もっと……いた……いたいって。……思うようになって……いる自分に、気、気がついて……」


 泣きたくないのに、泣き顔なんか見せたくないのに、そんなレカルディーナの気持ちとは裏腹にたくさん涙が溢れるのだ。


「じょ、女優に……なり、ないたいって……おも、って……いたのに」

「ああ……」


 レカルディーナは柔らかく抱きしめられた。今度は赤ちゃんをあやすようにぽんぽんと背中をゆっくりと優しく叩かれた。


「もういい、何も言うな。俺が愛しているのはレカルディーナ、おまえだけだ。俺のそばにいてくれ」

「わたし……も、殿下のことが……す、き……」


 温かな腕に包まれていると、とても安心した。

 子供にするような、落ち着かせようとする振動が背中から伝わった。

 強張っていた体から力が抜けていく。

 ベルナルドはレカルディーナが落ち着くまでゆっくりと背中を撫で続けた。

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