第119話 雅2

 わたくしの名前は河津屋雅、藤五郎の養女でございます。

 藤五郎が良くいっていた科白に「息子は役に立たない。」というのがあります。

 実際、彼には血を分けた実の息子が一人いたのですが、こういっては何ですが、あまり出来の良くない方で、早々に養子に出されてしまいました。


 現在、跡取りと目されている方は、娘と結婚した元番頭で、仕事ぶりが認められて、婿入りした訳ですが、当然藤五郎や娘には頭が上がらす、馬車馬の様に働かされているというのが、実態です。

 実は、藤五郎には私の外にもう一人養女がおりますが、藤五郎がわたくしたちを選んだ基準は、母親に似ていて、更に母親が美しいかどうかと言う、極めて単純なものです。

 一言で言ってしまえば、将来美人になる可能性が高いかどうかという話です。


 ただ、わたくしたちへの教育はかなり熾烈なものがあり、礼儀作法、家事・炊事から始まり、華道・茶道、挙げ句の果ては護身術まで有無を言わさず教え込まれました。

 この目的は、言うまでもなく、それなりの身分の方のところに嫁ぐ可能性を高めるためで、そうして河津屋の役に立てと言うわけです。

 こう言うと、わたくしに同情してくださる方がいらっしゃるかもしれませんが、わたくし自身は幸運だったと思っております。


 もし養女にならなければ、これだけ良い暮らしも出来なかったでしょうし、これだけ多くのことを学ぶことも出来なかったでしょう。

 藤五郎は、かなりの金を私たちにかけてくださった訳ですから、わたくしもそれに報いなくてはなりません。

 この世に、無償で相手に何かを提供して下さる方など、存在するはずがありません。


 藤五郎がわたくしのために、これまでのことをしてくれた以上、それに対する対価を払わなくてはならないのは当然のことだと思います。

 ただ、そうはいってもあまりひどい相手に嫁ぎたくないというのが本当のところです。

 見目美しいなどとは申しませんが、できればせめて人並みの容姿を持ち、わたくしを大切にしてくださる方のところに嫁ぎたいというのが本音でございます。


 そういう意味で、三條茜様を初めて見た時、安堵したものでございます。

 実際、あの時わたくしは品評会に出される商品の様にかなり長い時間をかけて念入りに化粧を施され、わたくしが一番映えると思われる着物を着せられておりました。

 そして、わたくしが見た若き次期領主は、年もさほど違いはない感じで、容姿もそれなりに満足のいくものでございました。


 下手をすれば、かなり歳の離れた方のところに輿入れすることさえ覚悟したわたくしにしてみれば、願ってもない相手でございました。

 幸い相手もわたくしのことを気にいって下さった様子です。

 この調子なら、わたくしとしては藤五郎に対する恩返しもできると、内心安堵しておりました。


 次に茜様と会った時に、茜様は何とわたくしを正室に迎えたいとおっしゃって下さいました。

 本当にもったいないことでございます。

 同時に、それほどまでにわたくしのことを気に入ってくれたのかとうれしく思います。


 これを聞いて、わたくしは藤五郎に最大の恩返しができたと思っていたのですが、どうも浮かない顔をしております。

 話を聞いていくうちに、その理由も追々わかってきたのですが、側室ならともなく正室となると商人の娘では都合が悪いので、わたくしは一旦お武家様の養女に出されるそうです。


 結果、藤五郎の娘という形ではなくなってしまうのがどうも面白くないようです。

 茜様は、形だけだからと説得して納得させたようですが、藤五郎にしてみれば、その形が大事だっということでしょう。

 ただ、わたくしを茜様に娶ってもらうことに同意したうえで、わたしくを茜様の前にお出しした以上、反対はできるはずもありませんし、「正室」という最高の形で受け入れるとおっしゃってくださっているわけで、二重に反対はできないのでしょう。


 どうやらいろいろ話を聞いてみると、藤五郎は私を使って、茜様との関係を強化して、いろいろ食い込みたかった様子です。

 反対に茜様はどうもあまりそれを快く思っていない感じがします。

 わたしくを正室にするということは、それだけわたしくを気にいって下さったというわけで、何とかして手に入れようとなさっていることはわかります。


 だが、あまり藤五郎との関係はある程度の距離はおいておきたい様子。

 わたくしは何となく楽しくなってしまいました。

 というのも、わたくしにとって藤五郎とは、「絶対」に近い存在で、彼をまかすことができるものなどいないと思っておりました。

 実際、隠岐に憧れていた藤五郎はこれまでお武家様を結構手玉にとってきたものです。


 ところが、この目の前の若様は見事に藤五郎から一本とったわけで、更に私を大切にしてくださる様子。

 こんなに心躍ることは、今までありませんでした。

 輿入れ後の生活がどうなるか、とても楽しみでたまりません。

 ただし、ここでそれを露骨に表情にだしては、あとで藤五郎から何を言われるかわかりません。

 何もわかならないふりをしておくのが無難でしょう。

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