第41話 旗

 秋山風見が、明らかに怒りながら、青柳新右衛門に近づいてくる。

 「何を考えているのだ。今からでも遅くない。早く北の方に謝って、後継者は勝一様だと言って来い。」

 うつむきながら「もう遅い。」と答える新右衛門。

 「一体何があった。一体どうしてしまったんだ。」風見が新右衛門の両襟をつかんで、つめよる。

 「まさかお前本当に西の方と・・・。」

 「馬鹿なことを言うな。」初めて激しく否定する新右衛門。

 「そんなことがあるわけないではないか。あの方は亡き殿の側室。私ごときがどういうできる方ではない。」新右衛門が苦渋の表情で答える。


 風見はここにいたって、普段殆ど表情を変えない新右衛門が今日は激しく表情を変えていることに気がついた。

 間違いなく何か理由があると思ったが、同時にだからこそ新右衛門の決意は変わらないとも思った。

 それに、さっきはああ言ったが、仮に変わったとしても、今さらあの気位の高い北の方が新右衛門を受け入れるとも思えない。

 既に新右衛門は西の方に取り込まれたと思っておられる。

 であれば、あれだけ西の方を嫌っているお方が、お許しになるはずがない。


 風見はもはや何をいう事はなかった。

 力なく、新右衛門に向かって「そうか」と言うと、厳しい表情をしたまま、離れていった。

 その時彼の頭にあったのは、「秋山家と青柳家が対立するということは、何を意味するか?」ということであった。

 その一方で、麻生辰則の態度を思いだすと、はらわたが煮えくりかえりそうになった。


 新右衛門も基本的に同じことを考えていた。

 「西の方や信三様を守るためとはいえ、克二様を推すということは、結果として領内を2つに割ることを意味する。」

 「それにあの北の方が、あのまま黙っているとも思えない。おそらく何か手を打ってくるだろう。」

 「風見にも私の覚悟は伝わったはずだ。最後は腹をくくるしかないのか。」

 「しかし、あまりにも事態の変化がはやすぎる。昨日の今日では、何の手を打つ時間もないではないか。これが、せめて、もう2,3日あれば、根回しもできたものを。」

 「それに辰則の同調も気にかかる。確かにあいつは克二様側だし、風見のことも嫌っている。しかし、あんなところで自分から発言するような男ではない。何か裏があるような気がする。」


 いろいろなことが新右衛門の頭をよぎる。

 しかし、同時に「事態は動いてしまった。今さら後悔しても仕方がない。」と西の方の顔を思いだしながら考えていた。

 そして、「とりあえず、最悪の事態を想定して、準備しておかねばならぬ。」という結論に達した。


ー - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


 葛川隆明の葬儀に参列しながら、俺は主だったものが誰もいないことに気が付いた。

 というか、中座したまま、いつまでも戻ってこない親族や家老たちを見た家臣団のざわつきで、嫌でも気づかされたといった方が正しい。

 何かが起こっている、皆にそう思わせるのには十分だった。


 俺はふと、以前十蔵と領主について、話をしていたときのことを思いだしていた。

 「戦国」と呼ばれる今、暗愚な領主は排除されることが結構ある。

 当たり前だ。馬鹿の言うことを聞いて戦争に負ければ、自分の命も危ない。

 それだったら当然、そうした領主を先に排除しようと考えるものが出てきてもおかしくない。


 しかし、中には暗愚とまでは言えないかもしれないが、凡庸な領主が、部下に殺されもせずにそのまま領主としてやっていくものも結構いる。

 まともに考えれば、有能な者が領主になった方が家臣のためだし、国のためだ。

 そうであれば、能力のある者がとってかわろうとしても、不思議ではない。


 しかし、そうひどくなければ、皆それなりに領主としてやっていけている。

 正直、俺の父親もその例の1つだ。そして、それは何故かということを俺は十蔵と話し合ったことがある。

 俺たちがたどりついた結論は「旗」だ。

 領主というのはある意味「旗」であり、飾りである。以前の陣取り合戦のようにこれがとられたら負けである。


 だったら、俺たちがやったように、旗を投げる(領主を変える)ということをやっても良いのではないかと最初考えた。

 しかし、実際問題として、誰がその旗を認めてくれる。

 その旗を「旗」とみなしてくれる家臣団がいるから「旗」たりうるのである。


 仮にみすぼらしい、汚い旗だとしても、それを家臣団が認めている以上は「旗」だ。

 旗が汚いという(領主が暗愚だという)ことは旗を変える理由にはなりうる。

 しかし、その旗を破棄して、自分の旗を掲げても、それを家臣団が新しい「旗」とみなしてくれる保障はどこにもない。

 「血なまぐさい旗だ」と思われてはお仕舞だし、自分は新しくきれいな旗と思っても、そう思っているのは自分だけかもしれない。

 それ以上に、これ幸いと、他に旗を掲げるものが出てくるかもしれない。


 下手にそんなことになれば、国が弱体化し、下手をすれば滅ぶ。

 だったら、まだ汚い旗を掲げている方がまし。

 俺たちが考えついた結論はそんなところだ。


 そういう意味で、領主の息子という旗は間違いなく正当な理由をもった「旗」たりうる。

 今回はかろうじて2本立てることに成功したが、当然最後までたっていられるのは1本だけだ。

 「やっとここまできた。これで三川の国を弱体化させることができる。」「後は、何としても克二という旗を立てるだけだ。」俺はそんなことを考えながら、家臣団のざわつきを聞いていた。

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