第五章 エンパス・システム
一
遥かな過去から人は、目に映る様々なものに対して名と意味を贈り続けてきた。
その中において色にまつわるそれは最も古く、多様性に富んだものの一つであったことだろう。
そして、そんな無限とも言える色彩の一つに“青”と名づけられた色がある。
晴れ渡った昼の空が見せる色であり、その下に広がる大海原を象徴する色だ。
そう。人間にとって青とは、いわば“世界”そのものをあらわす根源の色彩であった。
中央において地球軍の軍服が青を基調としているのも、地表の70%以上を海としている地球の姿を象徴しているからなのだ。
だが、優人たち木星圏の人間たちにとっては少し違う意味合いを持つ。
地球から遠く離れ、その青を映像でしか知らぬまま世代を重ねてきた彼らにとって青は、物語の中で語られる幻想の色に近いものであった。
一生涯を通じて目の当たりにすることはないのであろう青き故郷への羨望と憧憬を込めて、鈍色の人造世界で生きる木星圏の人々は青という色を、穢れなき世界の象徴として敬ったのだ。木星圏における婚礼衣装の色が白無垢ではなく、透き通るような青色であることなどは、まさにそんな美意識のあらわれであるのだろう。
そして、だからこそ木星圏の人間は武器を始めとした他人を傷つける可能性がある機械や器物に青を用いることをひどく嫌った。
木星軍が、ブラッディ・ティアーズを含めた兵器の塗装に青を使うことを軍規で禁じているのもそんな木星圏の世相を配慮してのことなのだ(水色や紺など亜種色は適用外。宇宙空間における青色は迷彩効果が薄いことや、敵機認識をテレパシー能力で行うブラッディ・ティアーズにとって、機体色による敵味方判別の重要度が低いなどといった背景も絡んでいる)。
だが、そんな人々をあざ笑うかのように“それ”は現れた。
木星圏の人々が生み出した“力”の象徴―――ブラッディ・ティアーズの姿をした”青”が、だ。
これは報いなのだろうか。
そんな考えが優人の脳裏をよぎる。
授かった力を、本来は同胞であるはずの地球圏へと向けた愚か者どもに下された、母なる地球の裁きなのではないのか。
青という色から連想する地球の姿を、眼前の青きブラッディ・ティアーズに重ね見ている者は恐らく、優人だけではあるまい。
そして今、自分たちが禁忌に等しい何か決定的な瞬間に立ち会ってしまったのだろうという予感で身震いしている者も……。
* * * * *
二体の青きブラッディ・ティアーズが、睨み合うかのように対峙している。
宝石の輝きと、生物のごときフォルムを持つ二体を優人は心底美しいと思った。
その姿を横目に操縦桿を操作し、損傷が著しくパワーダウンした機体をどうにかグレイティガーへと向けてゆく。
自機が抱えるアンディ機からの応答はない。テレパシーで感じる反応が弱いことから、気絶しているのだろうと察した。
戦闘など、感覚を深く同調させている最中での機体損傷は自分の肉体へのそれと錯覚しやすい。モニターを失い、テレパシーを目として戦っていたアンディは特にそれが大きかったのかもしれない。
わずかな推力しか生めない機体を慣性で流れるに任せ、優人は正面モニターに映る背部カメラからの映像へ目をこらすのだった。
二
青きブラッディ・ティアーズたちが虚空を疾しる。
空間破砕振動をまといし長盾に身を隠し、背のアクティブ・スラスターが描く十字を細かに変化させながら後退するコールドアイへと、フューリーが小刻みに機体を振りながら追いすがってゆく。
ライフルを構え、しかし一発も撃つことなく後退を続ける敵機がかけた急上昇を前に、逃がさじと背の大型推進器三基を噴かしたフューリーが加速した。
推進力はフューリーに分があるのか、はたまた後進姿勢のためコールドアイの加速が鈍いのか、その差がみるみる縮まってゆく。
フューリーの右手が、かまえたリニアレールガンの引き金を引いた。
電磁力によって加速された200ミリの弾丸が描く三つの光跡はしかし、一つは外れ、二つがコールドアイの長盾に防がれる。
「防御だけ? どういうつもりだ」
戦うそぶりを見せない敵機にレイジが眉をひそめる。
フューリーのFRE増幅機能をもってしてもテレパシーで敵機パイロットの思考を捉えられない。やはり同系機故に、パイロットの思考を外部から遮断する機能を備えているのだろう。
いぶかるレイジに答えを提示するかのごとく、ヘッドアップ・ディスプレイから警告音が上がった。三次元レーダーを見やれば、遠く静観をしていたはずの敵艦が前進を始めている。
「陽動か」
自機をエサにフューリーを艦から引き離そうとしているのだろう。ブラッディ・ティアーズと指揮官を失った現在のグレイティガーでは逃げられない。思うが早いかレイジの左手がファンクショントリガーを操作し、プログラム動作を実行させた。
フューリーがシールドを敵機にかざし、左右のアクティブスラスターをせり上がらせつつ噴射口の向きを前面に変え制動噴射をかけた。
その出力割り当ては左足のフットペダルだが、踏み込みは半分ほどで全開制動はしない。強すぎる慣性は機体の動作を鈍らせ、小型とはいえ菱形盾を振るうことに支障をきたすからだ。攻撃への回避機動分の余力を残しておかねばならない。
慎重に、ゆっくりと制動噴射をかけるフューリーと敵機との差が大きく開いていく。
と―――。
敵機がアクティブスラスターを十字に戻して全開制動をかけた。同時に一筋の光条がフューリーに伸びる。
敵機砲口をマークし割り出された射線に従い、フューリーは自動的にシールドで右腕を隠す。シールド表面で光弾がはじけた。
空間破砕振動が物理的衝撃をはじく軽いショックで生じたブレを、フューリーは自動的に両足の
続く次弾、次次弾。いずれも右肘を狙った射撃に機体が震える。
「さすがだね。こちらの右腕を封じるつもりか」
射撃を防ぐためにかざしたシールドが右腕の動作の妨げになっていた。どれほど機体を振ろうとも、正確すぎる射撃はコンマ以下の精度で同じ位置を狙ってくる。
制動から推進に移った敵機が距離を詰めてきた。
レイジは射撃による牽制をあきらめ、リニアレールガンを腰部後ろの懸架機構へ戻す。
ファンクショントリガーを引き、右下腕外側に手首を基点として肘側へ折りたたまれていた幅広の高周波ブレードを引き起こした。
高振動でうっすらと白く発光するブレードを腰だめに構える。
レーダーの相対距離表示が3桁を割った。
敵機がライフルをシールド裏に収め、長い銃身のハンドガンを取り出す。
フューリーの制動が終わった。
敵機のハンドガンが連続して火を吹き、ほぼ同時に四肢へと放たれた350ミリの銃弾たちがフューリーに牙を剥く。
フューリーが全開噴射に移った。同時に脚部バーニアを右に全開噴射、時計回りに側転して下半身への銃弾をかわす。上体への銃弾はシールドで防いだ。防ぎきれなかった幾つかの銃弾が右肩と左腰など数箇所をかすめ、装甲表面を削り取っていく。
敵機が全開噴射をかけた。弾切れしたハンドガンをシールド裏のウェポンラックに突き入れ、弾倉を再装填する。
ジリジリと二機の差が再び迫る。総合推力ではフューリーが勝っているものの、回避運動分の余力を残さねばならないことがそれを相殺していた。
ヘッドアップディスプレイから警告音が上がった。敵艦から発進した三機のBTに二機のザンサスが包囲されてしまったのだ。優人がSSTシールドをかざして必死に牽制してはいるものの、破損し出力の落ちたザンサスでは捕獲されるのも時間の問題だろう。判断と即断にレイジの目が細まる。
「やむを、えないよね」
敵機とヘッドアップディスプレイを交互に見やり、苦々しくレイジは呟いた。ファンクショントリガーを引いて、コントロールを自動防御に切り替える。一つの覚悟で喉を鳴らし、見上げた天井の先にあるフューリー頭部の内を透かして思う中で呟いた。
「ごめん」
その謝罪は誰に向けたものなのか。レイジの声が憂いで陰る。
「僕はまた君の―――」
言葉とともに右手を操縦桿から放す。そうして伸ばした右のアームレストでは、取手のないスライド式レバーの基部が赤い燐光を明滅させていた。
「――――君の怒りを利用する」
高ぶる感情にFREが警告音を上げ始め、震える声が尻すぼみに途切れた次の瞬間、レイジの意識は真っ白に拡散した。
三
「データにない機体。それに―――速い!?」
ヘッドアップディスプレイの機体照合結果を目端で捉えつつ、優人は自動防御の対象を正面の2機へポイントした。ザンサスの背部両腕が構える盾が中心から割れ、それぞれが独立した動きで敵機の攻撃を捕捉しだす。
「だめか。条件が悪すぎるッ」
敵機の一機により敵艦へと牽引されていくアンディ機を追おうとした先に青いブラッディ・ティアーズ達が立ちふさがった。
だが、青とはいえフューリーやコールドアイのような特殊性は感じられない。重厚な装甲の青は塗装によるものと一見してわかったし、その外観も生物的なフォルムとは程遠い無骨な量産機然としたものだったからだ。
やや小型なフューリーに似た形状の固定式推進器を背に一つ備え、埋め込まれた回転式の円盤型推進器が両肩と腰、脚部からせりだした格好でのぞいている。左腕に装備した分厚い円形盾は耐熱コーティングで青光りしており、SSTとしてでなくとも高い防御力を持っていることが見て取れた。
「なんなんだこいつらは」
簡略化と単純化を図られる量産機にありがちな面の少ない外観に似合わず、各々の動きは個性とメリハリが利いていて、熟練の戦士の匂いを感じさせる。
「このスキのなさは―――!?」
一機が浅い一撃を見舞っては急速に離脱し、そのスキを埋めるようにもう一機が突っ込んでくる。そんな攻防が十を数えた。SSTシールドがそれを弾くたびに、優人のなけなしの精神力が削られていく。
狼の狩りを彷彿とさせる包囲網になすすべもなく翻弄される中で、優人機の腕部人口筋肉が過熱で悲鳴を上げ始めた。高熱により、神経を成す光ファイバーケーブルの断線アラームが、ヘッドアップ・ディスプレイのエラーメッセージに加わって点滅を繰り返す。それとともに、激しい機動を支え続けていたバランサーも調子を落とし始めた。衝撃のブレを補正しきれず、機体が小刻みに暴れ出す。
そんな獲物の消耗を好機とみたのか、敵機が満身創痍の優人機へと襲いかかった。
左右から迫る細身の両刃が、極端に反応の鈍った背部両腕を切り飛ばす。
「殺す気がない? こいつら、この機体も捕獲するつもりなのか」
ミキサーのような激しい振動に内臓が、脳が揺さぶられる中で、遠のこうとする意識をつなぎとめようと優人は懸命に歯をくいしばる。
推進器である四肢が切断された。
「しま―――ッ」
バランスを失い、糸の切れた凧のように回る中で、機体の安全装置が働いてジェネレーターが非常停止し核融合炉が停止シーケンスを開始する。
電源が内蔵バッテリーへと切り替わり、機体がみるみる機能を停止してゆく。制御を失い、慣性のまま薄明かりのコクピットで振り回されながら必死に口元を押さえ、喉に込み上げる灼熱感を飲み下す背を新たな衝撃が突き抜けた。前に投げ出されかけた身体が固定具に締めつけられて軋みを上げる。両の鎖骨が鈍い音を立て、激痛で息が詰まった。
(どうする。せめて自爆で相打ちを狙うか……いや、ダメだ。全て読まれている。下手な動きをすればコクピットをつぶされるだけだ)
激しく咳き込む中で見た正面ディスプレイに敵機のセンサースリットが映っている。触れんばかりの距離からこちらを覗き込む頭部の、球面のような顔面で、碁盤目に刻まれた六つのスリット奥で踊るセンサーたちの光跡までもがはっきりと見えていた。自機が
「まだ、だ……」
伸ばした手の先にあるはずの操縦桿がぼやけている。緩慢に、ようやく触れた手は痺れ、指は曲げることも出来ない。もたれる手のひらをすり抜けた操縦桿が、手ごたえなく左へと
「僕は、まだ答えを聞いていない……アンディに……アン……デ……」
全身の感覚が遠のいていく。絶えがたい睡魔に抱きかかえられた意識が沈んでいく。
(あれは?)
そんな、視界に落ちかかる
赤光は膨れ上がり、燃え上がる深紅の炎と化してゆく。そしてそんな、炎の中に浮かび上がる異形の人影を認めた途端、凄まじい灼熱感が優人の意識を刈り取った。
「
目に映る一瞬の赤き姿に向けて、かすかなうめきとともに優人は意識を失った。
四
後退の最中で、執拗な狙撃に反撃をあきらめたフューリーが高周波ブレードを抜き放つ。
その動作にかすかな焦りを見取ったライトニングは、左手のファンクショントリガーにかけた小指を引き絞った。
それとともに自機が右手のハンドガンから空カートリッジを破棄し、銃床を左腕シールド裏で起き上がった予備カートリッジに押し当てて再装填する。
三次元レーダーの相対距離表示を目端にすえ、慎重にフューリーとの距離をはかる。着かず、離れず牽制を続けることにより、僚機が目標を回収する時間を稼ぐために、だ。
接近戦に自信がないわけではない。総合的なパイロットとしてのレベルもレイジより数段上という自負もある。だが、ライトニングにも計り知れぬ要素の存在が、フューリーへの対応を必要以上に慎重なものとさせていた。
「まだだ……」
見極めねばならなかった。
「まだ今は……」
フューリーに隠されている恐るべきポテンシャルの底を。そして何より、ライトニング自身も知らないコールドアイというブラッディ・ティアーズの真価を、だ。
「まだ今は、決着の時ではない……」
淡々と、戦闘という作業をこなす中でライトニングは呟いた。
正確に。確実に。機械的なまでの精密さでフューリーの牽制に終始するライトニングの操縦は、まさに冷徹という言葉そのものだ。
もともとFREによる感情抑制を受けるブラッディ・ティアーズのパイロットは精神的な要因によるミスをしにくいものだが、彼はそれ以上に持ち合わせた強靭な精神力によって、どのような状況下でも冷静さを失うことはなかった。
と―――。
母艦から目標捕獲の通信メッセージが入った。それによれば一機はすでに回収し、二機目も完全に沈黙しており、ただちに牽引作業へ移るとのことである。三次元レーダーに目を落とすと、団子のように重なる三機がゆっくりと母艦に向けて動き出すのがわかった。
(そろそろ潮時か。……うん? どういうつもりだ)
接近を警戒し、SSTシールドとともにかざしていたブレードをフューリーが収めた。
一応は盾をかざし、防御の姿勢を見せてはいるものの明らかに動作が鈍い。進路のズレすら修正せず後退を続けている。
不可解なフューリーに眉をひそめるライトニングの背筋を、戦慄が冷たい汗となってつたい下りた。それを裏づけるかのように、ヘッドアップディスプレイが
そしてディスプレイのメッセージパネルが、コールドアイら限られたシリーズ機にしか表示しえない一つのメッセージを浮かべ始めるのを見た瞬間、ライトニングの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。
「貴様!? まさかエンパスシステムを―――-」
突如として沸き起こった、まるで脳が焼けるような痛みにライトニングが苦悶する。
フューリーから凄まじい規模の精神感応波がほとばしっていた。業火のように熱く、そしてコールタールのような
吹き荒れる激情の渦中で、フューリーの装甲が色を変じだしていた。冴え冴えとしたサファイアの青をたたえていた装甲が、まるで熱にあぶられたかのように陽炎を吹き上げながら、ルビーのような深紅へと塗り替えられてゆく。
いや、そうではない。
それは文字通りの炎だった。
煉獄の炎を思わせる紅蓮がフューリーの装甲各所から吹き上がり、その深紅で機体を染め上げているのだ。
炎が放つ赤に包まれたフューリーの左腕で
正確にはシールド裏に折りたたまれていた5基のロボットアームが手先側へ起き上がり、伸長することでシールド片を指先とする巨大な烈火の鉤爪を形成したのだ。扇状に広がるアーム間を膜状の燐光で埋めたそのシルエットは巨大な鬼の手そのものであり、ブラッディ・ティアーズという一機械兵器が持つものにしてはあまりに生々しい。
「やはり貴様か。貴様なのか。バケモノめッ……」
FREの感情抑制を受けてなお消しきれぬ、畏怖を込めたライトニングの目にはフューリーと重なる少女の幻影が映っていた。肩まで届く髪をなびかせた少女の、おぼろな輪郭の中で炎を宿した瞳が怒りをたたえて輝く。
「!!」
突如、フューリーがコールドアイに背を向け全開加速に移った。
追ってスロットルペダルを一杯に踏み込んだライトニングを尻目に、暴力的な加速をもって一気にコールドアイを振り切ってゆく。その先にあるのは、よろめきながら自艦へ優人機を牽引している2機のブラッディ・ティアーズたちだ。
高速接近する敵機に気づいて向き直りかけたものの動きが鈍い。フューリーが放つ圧倒的な精神感応波によって、搭乗者が精神に甚大なダメージを負ったのだろう。まともな迎撃がとれる状態ではないのは明らかだった。
「さ、させんぞ……」
脳裏に走る
コールドアイがハンドガンをシールド裏に収め、同所からライフルを取り出した。
一振りして構えると、伸縮式の銃身が伸びて全長を3割ほど増やす。左腕でシールドが、腕先から肘元へとスライドし、あらわとなったコネクター状の先端が銃身の左横面に接続され、固定支持されることで全長十メートルのスナイパーライフルが完成する。
「ターゲット―――ロック」
右顔面のスコープが冴え冴えとした燐光を放ち、それを通した画像がヘッドアップディスプレイ上でフューリーの背を映し照準された。
「ファイアッ」
間髪いれず引き絞ったトリガーと同時に銃身内が電磁励起され、フューリーのそれを遥かに上回る長銃身による電磁加速距離が、450ミリの徹甲弾を迅雷の速度で撃ち放つ。
透明な黒のしじまに一瞬の光跡を描いた弾道は、ライトニングが意のまま一直線にフューリーの背をとらえ、炸裂し、爆光を花ひらかせた。
爆散によるプラズマの仇花が宇宙に咲き誇る。ディスプレイを埋める白光にライトニングは勝利を確信した。
「!?」
だがしかし、直後に衝撃がコールドアイを襲った。
赤い閃光が視界をかすめたと思った瞬間、ライフルが半ばからへし折れ、同時に左腕シールドへ加わった強烈な一撃がコールドアイを吹き飛ばす。
全身の
(な……なぜだ……)
操縦桿を握る右手も、ファンクショントリガーのキーを押しかけた左手も、スロットルペダルにかけたままの足も、フューリーと視線をかわす目さえも、金縛りにあったように動けなかった。
恐怖ではない。
そういった感情に起因するものではない。
陳腐極まる表現だが、ライトニングは今まさに蛇に睨まれた蛙だった。
抗いえぬ絶対的な強者を前に、意志とは関わり無く本能が屈服を選んでしまった弱者そのものだった。
(レイ……ジ……)
理性が感情を下回ることのないFRE抑制下であることも災いしていた。
己が状況への理解が、ライトニングから戦闘意欲を著しく削いでしまっていたのだ。戦闘中における戦意喪失など、勝敗以前に死を受け入れたも同然の体たらくである。そうして動きを止めるコールドアイへと、フューリーが左手を伸ばした。
SSTシールドが変形して形作られた手はしかし、その指を三本に減らしている。
消えた人差し指と中指はどこへ――――その答えは、ライトニングのすぐそばにあった。
赤熱し、オレンジ色に発光する爪がコールドイアイのシールドへと突き刺さっていた。その基部は鈍色のワイヤーらしきものでフューリーの左手とつながっている。
「爪だと?」
その意味は一つ、コールドアイを襲った衝撃は、この爪の刺突が起こしたものだったのだ。
いかなる仕組みなのか。炸薬も、推進器も、可動翼さえ持たぬ爪はしかし、理論上は突破不可能なはずのSSTフィールドを容易く破り、シールドに突き刺さるなどという驚異的な威力を発揮していた。しかも、数百はあろう距離の的をライフルも使わずに命中させるという離れ技をやってのけた上で、だ。
「なんだそれは。そんな……そんな、ふざけた
なんという常識を外れた兵器なのか。なんという理不尽な力なのか。
動けないライトニングの眼前で、残る指のうち二本―――薬指と小指が射出された。
軌跡を追うことすら出来ぬそれはしかし、コールドアイを襲うことなく虚空へと消える。
その直後、ヘッドアップディスプレイの三次元レーダーから僚機2機の反応が消えた。爆発すらしない。おそらくは、コクピットのみを瞬時に貫かれたのだ。部下を殺された怒りよりも、ただただ、その威力と精密性に驚嘆する。ザンサスが無傷なことにも驚いた。
「まさか意識を失っていないのか? エンパスシステムを……幻想機を制御しているというのか」
四爪を引き戻したフューリーが、残された獲物を引き裂かんとコールドアイへ
「まだだ。俺はまだ……」
超高速で迫るフューリーとの相対距離表示が一桁飛ばしで減っていく中、震える手をようやっと動かし、ライトニングはFREをカットした。なまじ敵の心に感応してしまうから飲まれてしまうのだと判断したのだ。
開放された感情が
「まだ……」
半ばから切断されたライフルを放った右手が、シールド裏から
勢いのまま伸ばされたフューリーの右手が、圧倒的なパワーでコールドアイの左襟首を掴み寄せた。そして頭上へ高々と振り上げられた巨大なる悪鬼の左手が、五指を鍵型に折り曲げてゆく。
「まだだ! 俺は死ぬわけにはいかん! いかんのだ!!」
降りかかる死を理解した生存本能が、無数の記憶をフラッシュバックさせてゆく。
刹那以下の速度で流れてゆく時間旅行の果てで、ライトニングは叫んでいた。
フューリーへ、ではない。
それは、記憶の中でたたずむ、おぼろげな少女と青年のシルエットへ向けた悲鳴まじりの絶叫だった。
「ぐぅうあッ!?」
突然、まるで脳が焼き尽くされるかと思うほどの灼熱感が頭の中を駆け巡った。
スイッチを切ったはずのFREがひとりでに再起動し、フューリーの放つ強大な精神感応波による過負荷がライトニングの脳を直撃したのだ。
苦鳴を上げてのけぞるライトニングの右手元を光が照らし出している。見れば、シートの右アームレストに備わった基部しかない
(これは……そうか。これか。これなのだな。レイジ)
ヘッドアップディスプレイのメッセージパネルに文字が表示された。『READY?』。覚悟は出来たか? と。
(覚悟だと? くだらん質問だ。そんなもの、とうに出来ている)
ともすれば意識が吹き飛びかねない苦痛の中で、ライトニングがホログラムレバーへと震える手を伸ばす。
だが、結果としてそれへの返答は未遂に終わった。
時間にして1秒にも満たないそのやりとりが行なわれようとした途端、フューリーに異常が現れたのだ。
まるでコールドアイを恐れるかのように、その内に眠る何かに気圧されたかのように、機体の各所からスパークと煙を上げ、みるみる炎が沈静してゆく。赤熱していた装甲色が青色へと戻るにつれて左手もまた形を崩し、菱形のSSTシールドへと戻っていった。
機体の異常で動きをとめたフューリー。
パイロットの失調で動けないコールドアイ。
組み合ったまま苦悶するように機体を振るわせる両者の内、いち早く動いたのはコールドアイの方だった。アクティブスラスターを噴かし、反転を始めた母艦へと一直線に帰投してゆく。
追ってフューリーもスラスターを噴かす。だが先程までとはうって変わり、精彩を欠いた動きだ。機体自体の出力も低下しているのか、オートバランサーによる姿勢制御さえもおぼつかない様子だった。
と―――。
敵艦からの砲撃をかわしきれず、フューリーはSSTシールドに一撃を受けた。損傷はないが、大きく吹き飛ばされたことで自身の消耗を悟ったのか、追撃を諦めて宙を漂うザンサスへと翔けてゆく。
「これほどのものだったとはな」
それを尻目に、自艦の艦載機射口の構内で片膝をつかせたコールドアイのコクピットでライトニングは荒い呼吸を繰り返していた。
「俺の負け、だな。偽物よ。それが中央を相手に、おまえをここまで生きのびさせた力か?」
見やった右アームレストにホログラムのレバーはすでに無く、ヘッドアップディスプレイのメッセージパネルからもメッセージは消えている。
大きく嘆息し、ライトニングはFREを切った。ヘルメットのバイザーを上げ、一瞬の酩酊感に続いてあふれてくる涙をぬぐう。
「レイジ……」
疑問と憐憫にまみれた独白がこぼれる。このときライトニングの脳裏をよぎったのはフューリーのパイロットたる少年ではなく、記憶の中で挑みかかるような眼差しを向け続ける青年の、どこかライトニングに似た面影をもつ顔だった。
五
まどろみの中でアンディは夢を見ていた。
なつかしい、物心ついたばかりの幼い頃の夢だ。
父がいて、母がいた。
白いペンキで塗られたログハウスのテラスから二人が、緑の芝が生い茂る庭で犬と遊ぶ幼いアンディへと笑いかけている。アンディも笑っている。
フルート奏者だった母はいつもアンディに吹奏してくれた。いつも最初に吹く曲は決まっていて……。
ハーモニカの音が聞こえる。どこか寂しげなメロディが、耳朶を叩く濁流のような騒音の中でもはっきりと耳に届いていた。
(コンドルは飛んで行く……?)
ぼんやりと、浮かんだ曲名を胸中でごちる。古い、人類が宇宙に飛び出す遥か昔に作られた時代の曲だ。母が好きだったことを思い出して哀しくなる。
「ここ、は……」
身体が重い。ずっしりとした重みを持った四肢は痺れ、身じろぎすることもできない。
ふと、自分の
うっすらと開いた目に、まっくらな闇に浮かぶ機器の影が映って―――。
「!?」
鋭い破裂音に続いて視界がいきなり白光に閉ざされた。眩しさに目を開いていられない。
突然、全身の拘束感が解け、下に傾いた身体が前に向かって投げ出された。
放り投げられた人形のように、脱力した四肢を揺らせながら流れる身体が誰かに抱きとめられた。ガッシリとした、揺るぎない長身の体躯から漂う鋭い雰囲気に、記憶の人物が重なる。
「ドカト……教……官?」
白濁した意識のままもらした呟きを最後に、アンディは再びまどろみの中へと沈んでいった。
* * * * *
格納庫の床で横たわる、中破したザンサスのコクピットハッチが強制開放された。
次々に弾ける爆裂ボルトによって多重のハッチが次々に吹き飛び、最後の一枚が外れた勢いが、中で気絶していたパイロットまでをも外へと放り出す。
投げ出され、力なく宙を流れゆくパイロット―――アンディを、白いパイロットスーツの男が抱きとめた。そして壁を蹴って降りるさなか、ヘルメットのバイザーごしに眠るアンディの顔を映した鋭い鷹の目が、わずかに険を帯びた。
ライトニング・ヒュエル。若干32歳の若さで、中央の地球における政治拠点防衛を担う中央地球方面軍第七機動大隊を率いていた男である。本来、地球圏を離れることの許されないはずの彼は今、席を秘密裏に編成された特務部隊へと移していた。
「ヒュエル少佐」
背後に控えた数人の宇宙服姿の兵にうなずき、ライトニングは抱えたアンディを押しやった。無重力の宙に浮かぶアンディを、兵達が担架に固定して運んでいく。
それと入れ替わりに、真っ白な軍服をまとった細身の女性が歩み寄ってきた。
白に近い金髪を短く刈った、遠目では美青年と見紛う女性だ。ピンと伸びた背筋とよどみない足運び、凛とした表情が兵達で雑然とした中にあっても一際目立つ。
ローレル・クインシー大尉。この艦の副艦長にして、この部隊の副長である。
運ばれていくアンディを怜悧な瞳で一瞥し、口を開く。
「すでに9号機はパイロットと巡り会えていたようですね」
「ふさわしい、裏切り者にな」
皮肉げに呟き、ヘルメットを脱いで汗に濡れた銀髪を空調の風にさらす。空のコクピットを見上げ、口端を吊り上げた。
「状況は?」
「少佐が11号機を止められたおかげで艦の損傷は軽微です。BT2機の損失は大きいですが、彼が使えるならば十二分に補填できるでしょう。探査機からの報告では、敵艦は資源衛星基地へ入港した模様です」
「そうか」
言葉とともに指し出されたバインダーを受け取り、留められた報告書に目を通す。
「艦の修理が完了し次第、追撃に移る。各員に通達しておけ」
「はっ」
「それと―――」
思案げに顎へ手を当て、残骸と化したザンサスを見やる。
「9号機のコクピットをフレームに移し替えておけ。必要なら、あいつを叩き起こして協力させろ。私は4時間ほど仮眠を取るが、何かあったら起こせ。以上だ」
「はっ」
敬礼するローレルに踵を返し、ライトニングは疲労など微塵も感じさせぬ確かな足取りで格納庫を後にした。
無重力区画の廊下をくぐりぬけ、パスルームから有重力の居住区画の廊下に出たところで大きくよろめく。周囲に人影がないことに安堵の息を吐き、通路奥の自室へ転がり込むと、なけなしの握力で握っていたヘルメットが手から落ちて乾いた音を立てた。
パイロットスーツの前を大きく開け放ち、そのままフラフラとベッドに倒れこむ。
「無様だな。システムを半稼動させただけでコレとは……」
仰向けに天井を見据え、自虐的に呟く。
「レイジ……」
呟いた名に、ぼんやりと彼の知る面影を思い出す。
フューリーのパイロットたる少年ではない。どこかライトニングに似た顔立ちを持つ、二十歳そこそこの青年の顔だ。
「私は、おまえの真実へ近づけているのか?」
苦渋に満ちた独白をもらす視界の中で、幻の孤影が凛とライトニングを見すえ何事かを言い放つ。かつてライトニングの胸裏をえぐったその言葉の痛みは、今も変わらずうずき続けていた。
「レイジ……」
青年の名を反芻する頬に涙の一筋を走らせ、ライトニングは深い眠りへと落ちていった。
六
「なんだか、わけわから~ん。って感じッスよねぇ」
着いたテーブルに頬杖をついて、湯気を立てるスープをスプーンでかき混ぜていたアルがポツリもらした。
「そうね」
向かいの席に腰掛けて、同じく頬杖を着きながら、ぼんやりと窓の外を見つめていたエルが気のない返事を返す。
謎の敵との遭遇から二日。予定していた108中継基地コロニーに入港したグレイティガーは、補給と修理のため五日間の滞在を余儀なくされた。
基地の者は勿論、基地指令にも真実は伝えていない。基地指令は、イクシスが手渡した命令書を渡すだけで全面的な支援を約束してくれた。不可解ではあるが、仮に説明をしたところで一笑にふされるだけだっただろう。何しろ証拠がないのだ。レイジは優人を艦に届けると姿を消してしまったし、中破したザンサスの調査でも特に変わった点は見当たらなかったのだから。
寄航の間、非戦闘員はコロニーのシティへ開放され、アル達クルーは宇宙港の軍施設内での待機となっている。勿論、交代で艦の修理や補給の手伝い、訓練などに当たることにはなっているが、事実上の軟禁状態であった。
「それにしても人、少ないッスね」
「そうね」
地球時間で午前10時という半端な時間帯のせいか、食堂に人影は少なく閑散としている。
「優人のやつ、遅いッスねぇ」
「そうね」
待ち合わせをしている優人は医務室に寄ってから来ることになっていた。
「先輩?」
「そうね」
「………」
何とはなしに出来上がってしまった気まずい雰囲気に嘆息し、アルが大きく伸びをしていると、包帯が巻かれた左腕を首から三角巾で吊るした優人が、軽くびっこを引きながら入ってきた。ようやく話し相手が出来たと、腰を浮かせてアルは大きく手を振った。
「優人! こっち、こっち!」
「アル。それにエル中尉も」
張り上げられたアルの大声に、我に帰ったエルも振り向く。
「またサプリメント? ケガ、治らないわよ?」
アルの隣に腰掛けた優人が持つ、ゼリー状の栄養食が入ったアルミパックを見とがめたエルが眉をひそめる。数字上の栄養価はともかくとして、こういった物は不思議と吸収率が悪く、普段の食卓に上ることは少ない。人が宇宙に進出して数世紀がたつものの、やはり人は地に生きる生き物だということなのかもしれない。
「まだちょっと、スプーンが持ちにくくて」
胡乱げなエルに肩をすくめ、パックを持ったままかかげてみせた右手にも包帯がきつく巻かれている。間を作るように優人はパックを一すすりすると、空いたエルの隣席に顔を曇らせた。
「ミユキは、まだ部屋ですか?」
「えぇ……」
沈鬱な問いかけに、エルも顔を曇らせる。よほどショックが大きかったのだろう。アンディの一件があってからずっと、ミユキは部屋に閉じこもったきり一歩も出ようとしなくなっていた。同室のエルが毎日食事を運んでいるものの、まったく手をつけていないという。
「あのままじゃ、そのうち身体壊しちゃうわ。あの子、アンディのこと―――」
いいかけて、曇る優人の顔を前にエルが言葉を濁す。
「僕なら平気です。ミユキがアンディしか見ていなかったこと、知っていますから」
気づかうエルに、優人は力ない笑みを浮かべて、かぶりを振った。
「ミユキのこと頼みます。正直、僕もショックきつくて」
うなだれる優人の五感には、いまだアンディとの戦いの感触が生々しく残っている。テレパシストゆえに、優人にはアンディの行為がまぎれもなく彼の意思であることを感じ取っていた。
「あいつ、どうしちゃったんだろうな」
とうとう一口もしないままスプーンを置くアルの言葉に、優人はアンディの台詞を思い出す。
『――木星人のおまえは――』
まさかという思いはある。けれど、その他に理由を見出せない。だが、それを認めたくないという気持ちが先立ち、優人は口を開けずにいた。気まずい沈黙が場に立ち込める。
と―――。
「アンディは地球人なのよ」
聞きなれた声が沈黙をやぶった。薄い橙色レンズの眼鏡をかけたミユキが、驚く三人に弱々しく笑んでエルのとなりへと腰を下ろす。血の気のない真っ白な顔には寝不足と精神的ストレスからくる疲労が濃く出ていて、似合わない色眼鏡も涙で腫れ上がった目尻を隠す為だと容易に察せた。
「大丈夫なの? その……」
心配そうにのぞき込むエルに無言でうなずいて、ミユキは小さく上げた両手を握ってみせる。
「いつまでも、メソメソしていられないから」
「なぁなぁ、さっきの――」
「アル。よせよ」
身を乗り出したアルの襟首を掴んで引き戻し、優人が声を荒げた。
「ありがとう優人君。でも、いいの。いいのよ」
消え入りそうな声を発して、うつむくミユキを見る優人の表情が一瞬、複雑に歪む。
「初めて私がアンディと出会ったのはちょうど十年前、9歳の時だったわ」
ポツポツと、うつむいたままミユキは語り始めた。
その声は沈んでいたが、懐かしむ言葉はハッキリと皆にとどく。
「A6コロニーの市長だったパパが、中央の外務次官だったアンディのお父さんを夕食に招いたの」
わずかに視線を上向け、幼いあの日を思い描くミユキは小さな含み笑いをもらすと、遠い彼方を見やる眼差しを虚空に向けた。
「あのころのアンディはとっても気難しくて無口だったわ。私が何を言ってもプイッて行っちゃうの。私はスタスタ歩いて行っちゃうアンディの後ろを一生懸命ついていくばっかりだったわ。でも、あの日―――みんなも、覚えているわよね。突然コロニー中の人達がテレパシーに目覚めて、混乱して、おかしくなって……」
覚えている。いや、木星圏の人間であの事件を知らないものなどいるはずがない。その後の内乱期を含めれば、実に3年以上もの長きに渡って吹き荒れた未曾有の混乱と狂気の傷跡は、深く優人達の心にも刻まれている。
「私のコロニーでも暴動があったの。これは全部中央の陰謀で父はその手先だって噂が広まって、屋敷に人が押し寄せたわ。可笑しいよね。他人の心がわかっちゃうせいで逆に人を信じられなくなるなんて」
あまりにも唐突かつ顕著すぎる覚醒は、人々が”能力を持つ己”を受け入れ、順応する余裕を一切与えなかった。このとき、人々は暴かれてゆく自身の暗部をひたすらに恐れるがゆえに、蔓延する集団的な不安と狂気に共感してしまったのだ。
「私たちはもう、コロニーを出るしかなかったわ。でも、シャトルに乗り込もうとしたときアンディのお父さんが撃たれてしまって……」
今も目を閉じれば、その時のことをはっきりとミユキは思い出せる。シャトルの発着場で、飛び出してきた暴徒が向けた銃口と銃声。胸から血を噴いて倒れる男の姿。そして伏した父にとりすがるアンディの泣き顔を。
「悲しんでいたわ。共感する私たちの胸まで張り裂けそうなくらい。ずっと……」
いまだ耳に残る泣き声の悲痛さが、無意識のうちに握り締めていたミユキの両手を震わせずにはいられなかった。
「それからコロニーを脱出してシャトルで数日している内に、他人が少ないせいか自然に私たちも落ち着いてきて。それから木星軍の隔離施設へ保護されて半年くらい経った日にシールギアを渡されたわ。その頃にはシールギアが木星圏全体に配布されはじめてもいたから混乱もおさまってきていて、やっと私たちは家に戻れたの」
そして、別のコロニーにいたアンディの母と弟も保護され、ミユキの屋敷へ住むようになったのだという。
「その頃から、誰とも口をきこうとしなかったアンディがよく笑うようになったの。タロットカードを持つようになったのも、その頃からだったと思う。きっと好きな物を見つけたおかげで、立ち直れたんだって私たちは喜んだわ。でも、本当は違ったのね」
目を伏せるミユキの頬を涙がつたいおりた。
「本当はテレパシストを―――木星圏の人たちを誰よりも憎んでいたから、許せないままだったから、だからきっと、こんなことを……」
「ミユキ……」
うつむいた顔を覆って嗚咽に肩を震わせるミユキをエルがそっと抱きかかえ、あやすように背をさする。
顔をそむけるアルの口から小さく「馬鹿野郎」とかすれた声がもれ、絶句する優人が力なく、背もたれに寄りかかった。
(大切な人を目の前で……か。わかる。わかるよ。アンディ。けれど……けれど―――)
士官学校で出会ったあの日から、何故か惹かれあったその理由を優人は悟った。
優人にもあったのだ。大切な人間を目の前で失った記憶が。無力と理不尽に歯がみした過去が。恐らくは、無意識の内に互いが秘めたそれに共感し合ったからなのかもしれない、と。
(アンディ、僕たちを裏切ってまで、おまえは何をしようとしているんだ?)
やるせない思いを歯がゆく感じながら、優人は遥かな場所へと去った裏切りの友を思うのだった。
七
「機体のデチューンは上手くいったようだの?」
艦内用の軽量な宇宙服のヘルメットを背に落としたカジバが、プリントアウトしたフューリーのデータシートを留めたクリップボードから目を上げた。
「性能は制限されるが、精神の負荷はかなり軽減されたじゃろう?」
「ええ、でも―――」
搭載スペースの限られる小型艦ゆえに、ブラッディ・ティアーズがギリギリ収納できる程度のスペースしかない手狭な格納庫で、たたずむフューリーを見つめていたレイジが言葉を濁す。
「レールガンの直撃を受けた瞬間は死を覚悟しました。正直、恐ろしい気持ちでいっぱいです。あれで傷一つないだなんて」
「SST装甲のおかげじゃよ。全周囲に空間破砕振動を発して威力の全てを文字通り破砕したんじゃ」
「それも彼女の力……ですか」
振り返るレイジにかぶりを振り、淡々とカジバは告げる。
「おまえと機体の力じゃよ。おまえの心とシンクロしたエンパス・システムの力じゃ」
「僕の心……はたして、そうなのでしょうか」
レイジが眼鏡を外し、素顔をさらした。まっすぐな曇りのない黒瞳。凛としていながら、どこか優しげな印象の目元の面影が、奇妙なほど優人と重なる。
「システムを発動させると声がするんです。はっきりとした言葉じゃないけれど、それはいつも僕にこう囁く。『あなたの思うまま。本当のあなたが望むままに』って。事実コイツは僕の思うままに敵を討つけれど、時々それが僕の意思なのか疑問に思うんです。ひょっとしたら―――」
眼前に持ち上げた右手を強く握り締め、フューリーの顔を見やるレイジは心中の疑念に目を細め、続ける。
「ひょっとしたら全部が彼女の思惑で、僕らの手足には見えない糸がついているのではないでしょうか」
「考えすぎじゃよ。それに、あの娘はもう死んでおる。それはおまえも知っておろう?」
不安を隠せないレイジの肩に、「ありえない」とかぶりを振ったカジバが手をやる。その手を、レイジは憤りとともに払った。
「死んでなんかいませんよ! 彼女はココにいるじゃありませんか!!」
「落ち着け。レイジ。それはあの娘じゃない。コピーとも呼べぬ粗悪な……まがい物じゃ」
「博士!」
「これは兵器じゃ。テレパシスト殲滅を目的に開発された大量虐殺兵器。ブラッディ・ティアーズの形をした悪魔―――幻想と現実の境界を破壊するモノ、“幻想機マイセルフ”なんじゃ」
深い哀しみを宿した瞳がレイジを映す。
「幻想機は全て破壊せねばならん。この”トリニティ・ウィーセル”にある2機は勿論、火星圏で活動を始めた3機とライトニングが持ち込んだ3機、そしてパイロットを持てぬまま月で眠る中央の4機全てをな」
「わかっています。その為に、僕はあなた方に協力しているのだから」
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