八章 ⑬『腹をくくった女の子は強い』

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 何が起こったんだろ?


 ザワザワする。その声には人をぞっとさせる、得体の知れない感じがあった。


 あたしはゴミ箱をその場に置き、マーちゃんのところへと走り出した。体育館を回り込んだところで、生徒たちがばらばらと校庭を走っているのが見えた。下校中のはずなのに逆方向へ、校舎の方に戻ろうとしている。制服姿の子も、ユニフォーム姿の子も、何度も何度も後ろを振り返りながら、あわてて校舎に向かって走っている。


 なんか分かんないけど急がなきゃ……そう思って走り出すと、体は風を切ってぐんぐんとスピードを上げる。あたしってこんなに速く走れたっけ?と思ったが、深く考えている時間はない。


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 体育館脇の通路から校庭に飛び出し、逃げるみんなを横切るようにして走り、そのまま用具室に向かって走る。マーちゃんはもちろんそこにいた。入り口を守るようにして、扉の前に立ちはだかっている。


「マーちゃん!」

 あたしは呼びかけた。でもマーちゃんはこっちを見ていない。あたしの右手の方、校門の方向に目をぴたりと向けたままだ。


「マーちゃん!」

 もう一度呼びかけ、そのときにはマーちゃんのすぐ隣に着いた。

「マーちゃん、なにがあったの?」

 あたしが呼びかけると、マーちゃんはチラッとあたしに目をやり、それから視線を再び戻した。校庭の向こう、校門の方をじっと見つめている。それからこう告げた。


……」


 なにが?

 あたしもマーちゃんの視線を追って振り返った。


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 校庭の向こうで夕陽が揺らめいていた。夕暮れはオレンジと言うよりも赤い色。それは今にも沈もうとしていた。一陣の風がつむじを巻き、校庭の砂を空中高く運び去っていった。


 その向こうに人影があった。背中に最後の太陽を背負った、真っ黒なシルエットが何体も何体も見えている。その人数は少なくとも百人くらい。その人影は音もなく、やけにゆっくりとした動きで、校庭を包囲するように、横一線に広がってゆく。


「あたしたち遅かったのよ……最悪なことになっちゃった……」

 マーちゃんは挑むようにその光景を見つめてそう言った。


 男の大半は詰め襟の学制服姿、女の大半はセーラー服姿だった。それは水無月中学校の制服。みんながこの学校の生徒、今日休んでいるはずの生徒たちだった。

 だが集まっていたのは生徒ばかりではない。ほかにもスーツ姿の男の人やエプロン姿の女の人、小学生や、老人や、いろんな年代の人たちが見えた。


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「さっちゃん、右はしのほう、ナナちゃんのお母さんがいるの、見える?」

 視線を右に向けると……見えた。ジーンズにブラウス姿のちょっと背の高い女の人、あの日と同じく、首にスカーフを巻いている。そういえば、ここにいるみんなが何かしらで首を隠していた。

 それだけ見えれば十分だった。いや、一目見てすでに分かっていたのだ。


「見えたよ。つまり、あそこにいる人たちはみんな『吸血鬼』ってことだよね」

「それか、それに噛まれた人、祟られた者、だね」

「何しにきたかなんて、聞くまでもないんだよね?」


 その先頭には金色の髪を燃え上がらせた藤原君の姿があった。すぐ隣には、ひょろりとしたマザキ君のシルエットも見えた。剣道部の四人組の女の子の姿も見える。 


「そ。ついに始まったのよ……」

 マーちゃんは繰り返すようにそう言った。

「……ヴァンパイアたちが攻撃してきたの。あたしたちは間に合わなかった」


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 あたしはマーちゃんを見た。マーちゃんの金髪も夕陽を浴びて燃え上がっているように見えた。メガネのレンズが夕陽を反射して赤いサングラスをかけているようだ。


 マーちゃんもまたあたしを見た。その目の奥で恐怖と勇気が激しくせめぎあっていた。それはあたしの心も同じだった。


 だが絶望を目の前にして、心は不思議と穏やかだった。なんか妙に澄んでいた。それがたぶんあたしの勇気だった。


「それにしてもさ、こんなにいるとは思わなかったよね?」

 こんな時だというのに、あたしは世間話でもするようにマーちゃんに言った。


「あたしも。あの人たち、ずっとこの瞬間を待って身をひそめてたのよ。誰にも気づかれないように、静かに仲間を増やしてたのよ」

 マーちゃんもいつものような調子でそう答えた。腹をくくった女の子は強いのだ。


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「なんかさ、吸血鬼って、そういうこと考えないで行動するんだと思ってた。なんかもっと動物みたいなものかとおもってた」

「あたしもおんなじ。でもそこが間違いだったんだよね。ちゃんと考えてたんだよ。充分に人数が集まって、一気に町を支配できるように、ってさ。実際、こんなにいたら、なにもできないもんね」


 藤原君たちは悠然と校庭を歩いてくる。周りの人たちも、藤原君にあわせてぴたりと付き従っている。


「これからそれが始まるんだよね?」

「たぶんね。ここでさらに仲間を増やして、また次のところに行くのよ。それとも、ほかにもこんな集団が動いていて、すでに町を襲ってるのかも」

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