第352話 想像力を豊かにしよう

 曹操が呟いた『凶事の後に吉事あり』であるが、その言葉の意味を返せば『吉事の後に凶事あり』と捉えることも出来る。


 年が明けた、建安三年。

 その四月に、許都に一報が届いた。


「なにっ!? 張繍が再度動き出しただと!!」


 曹操は机を叩いて椅子から立ち上がり、机から身を乗り出さんばかりにして間者からの報に耳を傾けた。


 報を聞くに、またしても張繍が劉表といやらしい動きを始めたとのこと。


(・・・これ以上、張繍のアホを野放しにしておくのはまずい。本格的に劉表と手を組まれる前に奴を叩き潰すか?)


『火事も小火ボヤ程度なら消しやすい。』


 曹操は重臣を集めて一議を開き、善後策を講じた。


「どうする?」


「「倒しましょう!!」」


 賛成派多数!はい可決!


 一月後の五月。

 丞相府の大命が発せられるや否や、大軍は西方へ行動を起こした。

 五月は夏の初めなので、気候が良く、行軍にはもってこいの時期である。


『士気は新鮮、軍紀は凛々』


 意気揚々と進む軍の兵たちの足取りは軽く、熟した麦畑の美しい風景を楽しみながら、彼らは何の問題もなく西へと進行していた。・・・と、まぁこういう書き方の後、悪いパターンになるのは、本小説のお決まりのパターンである。


 五月は良かった。しかし、六月はダメだった。


 行軍は五月から六月にかかった。

 この地の六月は、まさに大暑である。

 その暑さで河南の伏牛山脈ふくぎゅうさんみゃくを越える山路の難行は一通りの苦労ではない。


 サンサンと降り注ぐ太陽の熱気により山道は焼け切り、その道を歩むことは、フライパンの上で焼かれるベーコンエッグの気持ちが良くわかるほどであった。


 兵たちは汗をバシャーッ!と滝のように流して地を濡らしているが、その体外に流れ出た分の水分を補給することが出来ずにいた。

 土地が渇き、水が手に入らないからである。


「み、水・・・」


 兵たちが苦しんでいる。

 それも、一人や二人ではない・・・全兵だ!全兵が苦しんでいる!

 多くの兵が倒れ、嘆いている。

 すると、曹操が、突然、馬上より鞭をさして叫んだ。


「皆の者!もう少しだ!この山を越えると、梅木うめきが咲き誇る梅の林がある!」


 この声に、顔を下げて苦しんでいた兵たちが顔を上げる。


「う、梅の林・・・?」


 顔を上げた兵たちに曹操は言葉を続ける。


「そうだ!梅の林だ!そこで好きなだけ梅の実をとれ!梅の実を叩き落して口に頬張るのだ!」


「想像するのだ!すっぱァ~~い梅干を口に放り込む!そして口を塞ぐと、さァ~~~大変だ!お前たちはそれを噛まなきゃいけない!口の中は梅干しで一杯だ!」


「すッッ・・・ッぱいッ!!」


 顔芸を全開にして語る曹操。

 そんな彼の語りに、兵たちは思わずヨダレを垂らす。

 人体の不可思議・・・兵たちの口の中に梅干は無い。なのに口の中は唾液で一杯であった。


「梅でもいい!・・・いや、もう梅じゃないとダメだ!!」


「食べたい!酸っぱい梅を口に頬張りたい!」


「皆!梅の林まで頑張るぞ!!」


「「「ウワアアアアオオオォォォォォ!!!」」」


 先程の苦しみはどこへやら。

 兵たちはいつしか喉の渇きを忘れ、元気よく山道を登り始めたのであった。


梅酸喝ばいさんかついやす。』


 後世の兵学者は、これを曹操の優れた兵法の一つとして褒め称えた。


 こうした難行軍を続けながら、曹操軍はひたひたと南陽の宛城えんじょうに迫って行ったのであった。


 ちなみに、苦しいときや辛いときに出す声を『うめき声』というのは、このエピソードが基になったという説が支配的である。

(民兵書房刊『コミカル曹操列伝』より)

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