第174話 覚悟を決めること

 董卓の一軍を大樹の陰より見送った呂布は無言のまま長安へと歩を進めていた。

 貂蝉の向かう郿塢城とは真逆の方向である。

 彼は一軍を追いかけることはせずに屋敷へと引き返すことにしたのだ。


 気が狂いそうなほどの心をたずさえて道中を進んでいると、その道中で、とある人物に出会った。


「おやっ?呂布将軍ではないですか?こんな所でどうかなさいましたか?」


「・・・王允殿か。貴殿こそどうしてここに?」


 呂布はうつまなこで王允を見つめた。

 王允はそんな彼とは逆に、しっかりとした眼で彼を見つめて返答した。


「おやおや、ご存じありませんか?ここは私の別荘の竹裏館ちくりかんの目の前ですぞ。」


「そうであったか・・・知らなかった。」


「董卓太師が郿塢城へと帰還すると聞いたので、竹裏館の門前でお見送りしていたのでございます。そして、辺りを掃除していると将軍がこちらにやって来たというわけです。」


「なるほど・・・理解した。」


「・・・将軍。随分とお疲れの様ですが・・・大丈夫ですかな?」


「大丈夫だと?俺が大丈夫に見えるのなら医者を紹介してやるぞ。医者は貴殿を診断してこう言うだろう。『もう手遅れですな。』と。」


「・・・将軍。ひとまず私の別荘にお越し下さい。そこで話をしましょう。」


「・・・おう。」


 王允は一切の笑いを許さぬ雰囲気を醸し出す呂布を屋敷へと案内することにしたのであった。


 竹裏館は長安郊外にある幽邃ゆうすい(=景色などが奥深く静かなこと。)な王允の別荘であった。

 その竹裏館の客間にて、呂布は思いのたけを王允にぶつけた。


「・・・王允殿。俺は空しい。・・・いや、悔しいのか。俺は生まれてこの方、これほどの屈辱を味わったことがない。・・・無念だ。」


「無念でございましょう。・・・しかし、将軍。私も将軍にも劣らぬ屈辱を太師より味わっております。」


「貴殿もか?」


「左様です。娘を将軍の元に嫁がせることが出来たと喜んでおりましたのに、太師はそれをはばんだのです。その結果、娘は汚され、将軍に恥をかかせることになりました。・・・屈辱です。・・・呂布将軍。誠に申し訳ありませぬ。私が至らなかったばっかりに・・・。」


 王允の謝罪に呂布はカッ!と目を開き、声を荒げて返答した。


「いや、王允殿に罪はない。悪いのは全て董卓である。確かに貴殿の言う通り、俺は恥をかかされた。・・・しかし、俺はこのままでは終わらない。この恥は必ずそそぐ。そう・・・奴を・・・。」


「奴を?」


「・・・いや、何でもない。」


 呂布は言葉を詰まらせた。

 これ以上の言葉を口に出すことは許されない。

 口に出してしまえばもう後には引けなくなる。

 それが分かっているからこそ、彼は口を噤んで言葉を止めたのだ。

 しかし、王允にとっては彼にその言葉を発してもらうことが全てであった。

 そのために愛娘である貂蝉を犠牲にしたのだ。

 王允は呂布にその言葉を発してもらうために、一言、悪魔の囁きをした。


「もし将軍がをおやりになれば、将軍は歴史に名を残す英雄となりましょう。董卓太師の暴政から万民を救った英雄であると。」


 王允の囁きを聞いた呂布は目を閉じて完全に黙った。

 しばらくすると、彼は目を開き、無言のままに部屋を出て、竹裏館の庭に赴いた。

 そして、彼は貂蝉のいる郿塢城の空へと目をやった。


 ときは夕暮。

 空には雲がちらほらと。

 寂しくも美しい茜色の空であった。


 ときを同じくして、貂蝉は郿塢城の自室より窓から空を眺めていた。

 彼女が見ている空は、王允のいる竹裏館の空であった。

 彼女の目にも呂布が見ているのと同じ茜色の空が映っていた。


 呂布と貂蝉。

 2人の目に涙があふれる。


 涙の意味は違えども、悲しみを含んでいるという点は同じであった。


 そして、さわさわと風が吹く竹裏館の庭にて、呂布は王允に宣言した。


「董卓を殺す。」

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