第15話 校長先生のあいさつ

 その日もよく晴れたいい朝だった。

 授業が始まる前の平和な一時、様々な雑談にわきかえる小学校。

 その中を突然、一つの怒号が鳴り響いた。放送の始まるチャイムの音とともに、吹き抜けていくのは大音響。


<ピンポンパンポ~ン>


 そのいつもの合図の後に、


「体育館へ来い!!!!!」


 それだけの声がして放送はがちゃりと切れてしまった。

 一瞬の静寂が辺りを包み込んだ後、生徒達は何事も無かったかのように元の雑談に戻った。

 彼らにとっては昨日今日の楽しい話題が重要なのであって、わけの分からない一瞬の放送のことを考える暇などないのであった。

 しかし、どこの世の中にも物好きな人というのはいるもので。

 平口みかはランドセルから教科書を出しかけたところで手を止め、首をかしげていた。好奇心一杯の彼女の耳はさっきの放送を聞き流したりはしなかったのだ。


「なんだろう?」


 そう思ったのもつかの間、さらに放送でもう一押しがあった。


「それから、お前ら静かにしろーーーー!! 以上だ」


 放送はそこでまたぷつりと切れてしまった。周囲の人々は今度はもうはた迷惑な放送に気を取られることもなく思い思いの話に花を咲かせていた。


〈静かにすればいいんだよね〉


 みかはじっと口を閉じてランドセルの中身を机の中に移す作業を再開した。


「みかちゃーーーーん!」


 そこへ篠崎けいこが飛ぶようにやってきて、みかの机の上に手を置いた。


「さっき変な放送があったね。なんだろうね」

「けいこちゃん、どうしたの?」


 いつになく上機嫌な様子のけいこに、みかは不思議に思って訊ねた。


「こう改めて一緒に教室にいると、私たちって本当に同じクラスになれたんだなーって感じするよね」

「うん、そうだね」


 みかの返事にけいこは何故か疲れたように両手をぶらりと下げてため息をついた。


「……みかちゃん、せっかく同じクラスになれてるのに感激が薄いよう」

「あ、うん、ごめん」


 思い起こせば確かに彼女の言う通りなのかもしれない。

 みかにとってけいこと一緒にいるという状況はずっと物心ついた時から当たり前のことだったので、二日目になった今ではもうどうとも思わなくなっていたけど、改めて考え直してみるとずっと一年間違うクラスになっていた可能性もあるのだ。

 そのことを考えてみると背筋が寒くなる思いだったが、結果的には今の状況があるわけである。過ぎた『もしも』を考えることに意味はないと思った。


「ま、それはそうと今の放送なんだったんだろうね」

「みかちゃん、話そらそうとしている」


 明るく発言するみかをけいこがじと目でにらむ。みかは冷や汗を押さえながら言葉を続けた。


「そんなことないけど、なんかどなってすぐ消えちゃったから」


 みかの言葉に、けいこは気を取り直したように視線をゆるめて手を合わせた。


「そうだね。先生ってもっと丁寧な言葉使いすると思ったけど、なんか一方的でよく分からなかったね」

「静かにしろって言ってたからすぐに話を終わらせたかったのかも」

「その前になにか言ってなかったっけ?」


 けいこはそれが何かを思い出そうとするように首をかしげた。


「うーん、一瞬だったから」


 みかも首をかしげた。どうにも不思議な一瞬の出来事であった。

 みかは考えながら首を回し、肩を回し、周囲を見回した。

 と、見慣れた人物の姿を目に捕らえ、みかは目線を止めた。

 ちょうど教室の入り口あたりで立ち止まって何げなくこちらを見ている少女がいる。一緒に登校したはずなのに、いつの間にやら姿をくらませていたゆうなだ。

 みかは離れた場所に立っている彼女に向かって元気一杯に手を振った。


「ゆうなちゃーーーーん!!」


 突然のみかの叫び声に周囲が何事かと目を向ける。

 みんなの注目をあびる中、ゆうなは軽くみかに向かって頭を下げ、そして口の前で指をバツにしてみせた。


「あ、そういえば静かにするんだっけ。もごもご」


 みかは慌てて自分の口を抑える。


「みかちゃん、恥ずかしいよ……」


 みんなの視線が集中するのを感じながら、みかはいつになったら周囲の視線を気にするようになるのだろうかと思うけいこだった。




 それから少しして、担任の先生がやってきた。


「みんなー、覚えているかー。オレが担任の浅見和博だー」


 教壇に立って堂々と発言する彼の名前をみかは初めて聞いた気がした。みかの思いはどうあれ話は続く。


「今日はみんなに自己紹介してもらおうと思ったが、校長先生の話でなー。なんか知らんが体育館に集まることになったー。ほら、廊下にアイウエオの順で並べー」


 さっきの放送はもしかしてこのことを言っていたのだろうか。先生も知らない校長先生の話ってなんだろう?

 みかの好奇心は刺激された。担任の先生の指示の下、生徒達はみんなで廊下に並び、体育館へと歩いていく。


「校長先生の話ってなんだろうね?」


 みかは期待に目をキラキラさせながら前を歩くゆうなに話かけた。兵藤ゆうなと平口みかは丁度アイウエオの順で前後ろだ。


「つまらない話じゃないの?」


 ゆうなの答えはそっけない。しかし、それで諦めるみかでもない。


「つまらなくは無いんじゃないかなあ。だって、つまらない話ならわざわざこんな朝早くからみんなに聞かせようなんて思わないはずだもん。きっと自信作なんだよ」

「自信作かあ。良い話だといいね」


 ゆうなは口元に軽く笑みを浮かべて答えた。みかはあいかわらずの笑顔で話を続けていった。新しくできた友達と話をするのは楽しかった。

 そんな二人の前の方では、けいこが一人、生徒の波に飲まれてとぼとぼと歩いていた。


「二人とも何話してるんだろう」 


 気になって後ろを振り返ってみるが、みか達とは少しばかり距離が離れているし、大勢の人の波に逆らうこともできず、ただ流されていくのだった。

 せっかく同じクラスになれたのに、なんだって小学校というのはこんなに人が多いんだろう。

 幼稚園のときも並ぶということはあったけど、こんなに大勢の人でごった返すなんてことは無かった。

 けいこはその日初めてアイウエオの順を憎んだのだった。




 そして、全校生徒が体育館に集まった。周囲はやっぱりがやがやと大勢で騒がしい。全校生徒が集まっているのだから、その音量もかなりのものだ。

 そんな中、周囲の雑踏を気にすることもなく、みかは期待に目をキラキラさせながら、前の壇上を見つめていた。


「校長先生って、どんな人なんだろう。かっこいい白馬に乗った王子様だと良いなあ」


 みかは頭の中にかっこいい白馬に乗った王子様の姿を思い浮かべた。


「白馬がかっこよければ、王子様は不細工でも良い?」


 みかの妄想に、珍しくゆうなの方から突っ込みをいれてきた。難しい質問だ、とみかは思った。腕を組みしばし考える。


「うーん、王子様もかっこいい方が良いけど、馬が不細工なのよりは王子様が不細工な方が良いかも。だって、変な馬なんて嫌だもん」

「みかちゃんは人よりも馬の方が大切なの?」

「え、えーーーと。そんなこと無いけど、人は外見じゃないって言うか心が大切だし馬はかわいい方が良いし、もちろん人も美形なのにこしたことは無いけど、かわいい馬さん好きだし、コイさんも大好きだし、犬や猫や孔雀やアメンボや動物大好きだし。ゆうなちゃんは何の動物が好き?」


 どっちがどっちと比べていくうちになにがなんだか考えがごっちゃになってわけが分からなくなってきて、みかはゆうなの方へと話題を振った。


「竜」


 みかの長い話に翻弄されることもなく、ゆうなは短い言葉で即答した。

 みかは目を丸くして目の前の少女を見つめた。さっきの今で頭がぐるぐるとからまっているような感じがして、うまく言葉がまとまらない。

 ゆうなは黙ってみかの顔を見つめている。みかの返事を待っているように……

 少し経って言葉の意味を飲み込んでから、みかは自分の気持ちを落ち着けようと意識しながら返事を返すことにした。周囲の状況は相変わらずさわがしい。校長先生はまだ来ていないようだ。


「そっかあ、竜さんかあ。竜さんフサフサでかわいいもんねえ」

「フサフサ? かわいい? そうかな」


 ゆうなは不思議そうにそう言った。そんな彼女がどことなく嬉しそうに見えて、気を良くしたみかはさらに自信たっぷりに言った。


「うん! 竜さんフサフサでかわいいよ!!」


 その時、周囲のざわめきが大きくなった。もしかして自分が大きな声を出したせいだろうか。

 みかは慌てて自分の口を抑え、周りをきょろきょろと見回した。

 どうやら原因は自分のせいでは無いらしかった。校長先生が来たようだ。

 ゆうなは落ち着いたしぐさで前の方を振り返った。みかも前方の壇の方へと目を向けた。

 校長先生はゆっくりとその姿を現した。

 ステージの横の階段に足をかけ、一段づつ登ってくる。階段を登りきり、中央へと歩み寄り、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 どこかで見たような人。と、みかは思った。でも、どこで会ったかは思い出せなかった。

 校長先生が軽く手を挙げ、周囲を見渡す。生徒達は相変わらずにぎやかに雑談をしている。その様子に、校長先生の怒りのオーラが燃えたような気がした。

 不満げに顔をしかめて、マイクを手に取る。


「諸君!! 静粛に!!」


 大声で呼びかけるが、そんなことで静かになる子供たちでもない。ザワザワとそれぞれの雑談に精を出している。

 校長先生はさらに不満そうに生徒達を見回した。

 せっかくの自信作をみんなに聞いてもらえない気持ちは分かるけど、みかはこんな注意よりも、早く校長先生の面白い話が聞きたかった。

 校長先生は悔しそうに何回か辺りを見回すと、再びマイクを口に当てた。


「諸君! 学校は学びの場である! くだらぬ雑談などにあけくれず、静かに勉学に打ち込むべし! そして、もう一つ! 旧校舎には絶対に近づくな! 以上だ!」

「先生! どうして旧校舎に近づいたらいけないんですか?」


 みかの他にも校長先生の話を聞いている生徒がいたのだろう。どこかから質問の声が上がった。

 みかが声が上がった方へ背伸びをして目をこらすと、質問したのは彼女のよく知った親友、篠崎けいこだった。


「うるさい!! お前らはただ黙ってわしの言うことを聞いていれば良いんだ!!」


 けいこのささやかな質問に校長先生は激しいどなり声で答えた。けいこがぶるっと身を震わせるのが見えた。

 彼女のために何か言ってやるべきなのだろうが、ここで騒ぎを起こすことはけいこの望むことでは無いと思って、みかは黙っていることにした。

 それに校長先生がこんなことを言うのにも何か理由があるはずだ。だいの大人がなんの考えもなしに子供を怒るとも思えない。


《あの旧校舎にいったい何があるんだろう》


 みかは昨日見たばかりのその建物の様子を頭に思い浮かべた。ぼろぼろに朽ちたこの世の物とは思えない荒野にひっそりとたたずんでいる木造の旧築物。

 あそこに何があるのだろう。何かあると言われるとなんでもありそうな気がする。

 先生が怒るほど注意するのだから、かなりの危険もありそうな気もする。でも、みかはそこに一体何があるのか知りたいと思った。

 そんな彼女の思いをよそに、校長先生はそれっきり何も言わず、不機嫌そうにステージから降り、そのまま体育館から出ていった。

 一瞬周囲のざわめきがやみ、また新たなざわめきに包まれる。先生達も戸惑っているようでお互いに何か話しあっている。


「旧校舎って、あの旧校舎だよね。あそこに何があるんだろう」


 みかはその疑問を目の前に立っているゆうなにぶつけてみた。


「お化けでも出るんじゃないの」


 ゆうなの答えはそっけない。確かにあの旧校舎ならお化けが出ても不思議じゃないかもしれないけど、もう少し感激して返事をしてくれてもいいのにとみかは思う。


「お化け、かあ……怖いけど、でもでも! お化けさんなら宇宙人さんの居場所知ってるかもしれないね」

「どうしてそうなるの」

「だって、お化けさんも宇宙人さんも未知の存在だもん!」


 みかは胸を張って答えた。なんとなくそう言い切ってしまうとその考えは絶対であるような気もしてきた。


「そっか」


 ゆうなは少し考え事をするように目をふせた。そして、再びみかの目を見つめ直して言葉を続ける。それはごく何げない口調に聞こえた。


「みかちゃんにとって、お化けさんと宇宙人さんは同種の存在なの?」

「同種って……同じってことだよね。うーん、どっちも会ったことが無いからよく分かんないけど、多分違うよ。だってわたしの会いたいのは宇宙人さんだもん!」

「そっか。やっぱり、みかちゃんの会いたがっているのは宇宙人さんなんだね」


 ゆうなはそう言ってフフと笑った。

 みかも嬉しくなって大声で宣言した。


「わたしの会いたいのは宇宙人さんだよーー!」


 みかの大声にゆうなは驚いたように目をパチクリさせた。そして嬉しいような悲しいような複雑な表情をするのだった。宇宙人のことで頭が一杯になってしまったみかがそれに気づくことは無かった。

 やがて、先生達の話し合いがまとまったようだ。結局その場はこのまま解散ということで、生徒達はそれぞれ自分達の教室へと戻っていった。

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