終節:依頼終了
雲ひとつない青い空。太陽が照りつける坂道を、一台の車が駆け上がっていた。
黒のボディに横長の車。リアガラスには蜘蛛の巣状のひび割れを数箇所作り、ボンネットには小さな刺し傷が二箇所。フロントガラスは砕け散り、外から二人の姿が窺える。
まるで町の片隅に捨てられていたかのような姿。弱々しいエンジン音を上げながら、トコトコと坂道を進み、そして車はある小さな門の前で動きを止めた。
「やっと……やっとついたぞ……」
山瀬が大きなため息を吐き、ハンドルへと寄りかかる。
「ごくろうさん、よく帰ってこれた」
「……ったく、本当だよ。よく警察に見つからずにここまで来れたものだよ。途中、コンビニに寄った時なんて一番怖かった。全員がこっちを見てくるんだぞ? 通報されるかと思った」
「普段からやましい事をしてるから、態度として出て来るんだよ」
麻祁は腰を屈め、足元に置いてあるザックを開けては、席の横に置いてあったコンビニの袋を入れる。
「態度もなにも、こんな廃車のような車だぞ? 誰がどうみたって怪しいだろ」
「はだかの王様と同じだよ。どれだけ抜けた姿でも、本人が毅然とした態度でいれば、周囲はそう見えて気にもならない」
「……それ、王様がまぬけだったって話だろ?」
「権力と虚栄心を逆手取った詐欺師の話。はい、これ」
麻祁がザックから一つの封筒のような袋を取り出し、山瀬へと渡した。
「詐欺師? ……ああ」
山瀬はそれを受け取り、袋を膨らませては中身を見る。そこに袋いっぱいに詰められた札束が入っていた。
「こ、これなんだよ、急に!?」
「お給料。出しておかないと後で文句を言われるだろ?」
ザックと刀身の折れた刀を片手に持ち、車から麻祁が降りる。
「おお、あ、ありがとう。……でも、こんなに貰ってもいいのかよ」
「仕事は果たしたのだから問題はない。ちなみに、必要経費でいくつか差し引いているから、そのつもりで」
「経費? ……ああー!!」
山瀬がある部分に触れた時、声を上げた。
袋の下の部分。上部のような厚みのある札の触感ではなく、硬貨のような硬いものが数十枚入れられている。
袋の口を大きく開け、覗きこむ。
端の底には窮屈に居座る数十枚の硬貨が見え、更には寄りそう札束の数十枚は別の色になっていた。
「経費ってなんの経費だよ!? 俺は用意してくれとはいってないぞ!?」
「車のガソリンやスーツは私の方で支払ったが、それ以外で消費されたものは経費として落している。例えばパンクした車の修理代とか」
「パンクはおまえが勝手にやった事だろ! 俺がやったんじゃねぇーよ!」
「私がやったと言う証拠は無い。せっかく直したんだ、まあ、乗る気がないならそのまま置いて、これで帰るといい。むこうのは処分しておくから」
「な、何言ってんだよ! あれがなきゃ仕事出来ないだろ!!」
「なら、車はその道を左に曲がった先の駐車場にあるから、御自由に。鍵はトランクの中。この車はそこに置いていい、こっちで処分しておく」
麻祁が門を開け、閉める。と、同時に何かを思い出したかのように動きを止めた。
「あっ、あと、トランクに積んである服は持って帰るの忘れずに。要らないならそれも処分しておくから」」
左手を上げ、軽く振りながら学校へと歩き去って行く。
「なんだよそれ……ったく……」
小さくなる麻祁の背を見送った後、山瀬は大きなため息を吐き、鍵を抜いては車を降りた。
給料袋と鍵をポケットに入れ、トランクを開ける。中には黒のスーツカバーが二つ。中を開け、自分の服を確認した後、それを手に取りトランクを閉める。
「あっ」
山瀬がある事に気づき、思わず声を出した。
ポケットに入れていた鍵を取り出し、目を向ける。
「どうすんだよこれ……」
少し悩んだ後、再びトランクを空け、もう一つ横にあったスーツカバーの上に鍵を置いた。
「……誰も盗まない……」
顔を横にずらしリアガラスへと目を移す。蜘蛛の巣状にひびの入ったガラスの向こう側は何も見えない。
「よな……これじゃ」
バタン、とトランクを閉じた後、麻祁に教えてもらった駐車場を目指し歩き出す。
道を左に入ると少し広めの道路に出る。左には高いコンクリートの塀があり、右から葉音をさせながら吹き込む風がそこに辺り、風の道を作り出す。
しばらく歩くと、左側に開いた空間が現れた。
いくつも止まる車。山瀬が辺りを見渡すと、その中に紛れ込んでいる一台を見つけた。
白の車体。中を覗くと、運転席に『個人』と書かれた黄色の行頭が置かれている。
後ろに回ると、トランクが微かに開いていた。
中を開けると、鍵だけがぽつんと置かれている。
「これこそ盗まれたらどうするつもりなんだよ……」
再び出されるため息。鍵の代わりにスーツカバーを置き、トランクを閉める。
運転席へと移り、席に置いてある行頭を助手席に移動させた後、エンジンを掛け、走り出した。
駐車場から右へと曲がり、先ほど歩いた道を進む。
左へとウインカーを出し、顔を覗かせては左右を確認する。
その時、ふと視界の中にあの車が入ってきた。
刺し傷を付けたボンネットに割れたフロントガラス。山瀬の頭の中に昨日の出来事が映像として流れる。
「…………」
まるで寂しそうにこちら見てくる視線に、山瀬は取り込まれ、目を逸らさずにいた。しかし、その空気を拒むように、車内ではカチカチという音が忙しく鳴り続けている。
じっと見続けていた山瀬は鼻で深く息を吐き、
「おつかれ」
ハンドルを左へと切った。
――――――――――――
太陽が傾き、辺りの木々をオレンジ色に染める、夕刻。
木々に囲まれたそこには、古びた小さな小屋があった。
暗い室内には、年老いた男と若い男が二人。
年老いた男は腰を据え、目の前で燃え上がる炎をじっと見つめ、その横で立っていた男も片手に金槌を持ち、同じく炎を見つめていた。
忙しく年老いた男が左手に掴んでいる取っ手を前後に押し、風を炎へと送る。
数回それを続けた後、吹き上がる炎の中から、赤く燃える鉄の棒を取り出した。
若い男の前にそれを置くと、二人は交互に叩き出し、鉄を打ちつける音がリズムとして室内で響き出した。
響いては止まり、響いては止まりを長い時間繰り返し、そして年老いた男が一人小屋から出てくる。
そこへ別の男が一人向こう側から走ってきた。
年老いた男はそれに気づき、立ち止まっては走ってくる男を待つ。
「お客様です」
その言葉に年老いた男は何も答えず、ただ頷き、小屋の横にある長屋へと向かった。
玄関の木の扉を開けると、石造りの少し広めの広場があり、その正面と左は障子で塞がれていた。正面の障子の下には先の細い黒の靴は一足。
年老いた男はその横に並べるように靴を脱ぎ、障子を開け中へと入る。
そこには麻祁がいた。
中央に置かれた掘りコタツ。その左側で足を入れ、新聞紙を広げる。
「待たせた」
男の声に、麻祁は新聞紙を置く。
「待たされた」
その言葉に何も答えず、年老いた男は向かい側へと座った。
それを確認した後、麻祁は自身の左側に置いてあった形の歪んだ紫の風呂敷を持ち、目の前に置いた。
「刃は新聞紙で巻いてある」
年老いた男は軽く頷き、その包みを引き寄せた後、中を開ける。
開いた風呂敷の中には新聞紙で包まれた刃に、その横には刀身の折れた刀が置かれていた。
「無事届いたと目にしたが……?」
年老いた男の目が先ほど麻祁が読んでいた新聞紙へと向けられる。
「その目で確認するしかないな」
その言葉に、男は巻かれた新聞紙を解き、中から折れた刀身を取り出し、全体を見渡し始めた。
表裏、上下。全てに目を通した後、刀身を更に目に近づけ確認する。
「……確かに、葉切一灯だ」
「なら、それが本物だ。無事届いた」
「その新聞紙に書かれている事は嘘だという事か」
「一応トラックの運搬での宣伝として別のもう一台を出していたから、中身はなくとも、届けたという言葉の意味は出来るし、代わりの一本を持ち去ったから、少なくとも嘘ではないな。まあ、真実だろうと虚構だろうと物を包むのには役立つから助かる」
麻祁の言葉に、年老いた男は鼻で軽く笑い、再び刀身へと目を向けた。
流れる波紋に曲線を描く刃。その所々に傷が入っている。
「……全体に刃こぼれが出来ている。争ったのか?」
「ああ、かなり苦労させられた。相手が黙って帰ってくれたら楽だったものを、上手く作りすぎていたから、相手が見極め出来ずに大変だった」
「どうやって諦めさせたんだ?」
「見ての通り、刀を折らせた。うたい文句が効いたな」
「折れない刀……か」
年老いた男が刀身を置き、その横に置かれていた柄の方へ目を向ける。
「葉切一灯は折れない刀と言われているが、『切れる刀』が正しい。昔、鎧を直接切り裂いた事からそう言われ始めた。だが、その謂れが次第に形を変え、どんなものも断ち切れる刀から、硬い物を切り裂いても変化のない『折れない刀』へと変わり、語り継がれてきた」
「人の言葉はいつの時代も信用できないな」
「それに所詮は刀だ。時間と言う流れで起きる風化は避けられない。それに元々葉切は無数にあった刀の中から見つかった物の一つ。環境的にもとても良い状態だとは思えない、折れるのは当然の事だ」
「それに加え、絶対零度の液体を浴びせ、峰の方から叩きつけた。折れるのは確実だったんだが、面倒なのはやはり人の心を折ることだな」
「向かい合い、刀を握る者同士、背を向ける事は斬ってくれと申し付けるのと同じ事。その刀を仕舞わせるにはどちらの心が倒れるしかない。どうやって心を?」
「相手の真面目さを利用させてもらった」
「利用?」
「簡単なことだよ。自分の力が通用しないとなると、有利に立つ為の有効打を打とうと考える。それは真面目なやつほど深く考え、そして次第に疑心が強さを増す。そうなると終わりだ」
「次の行動が読めなくなるか」
「疑心に満ちた心は、例え足を動かしただけでも何かしらの行動に見えて、警戒を無意識強めてしまう。そうなるともう動くにも動けない。私は折れた刀を手に、左手をポケットに入れて構えた」
「ふっ、それは怖いな」
「私でも怖い。近寄っただけで何をしてくるか分からない、そんなヤツには近づきたくない。更には武器となるはずの刀も折れている、尚更だ。リスクを考え、刀のうたい文句の通りならば、犠牲を背負ってまで折れた刀を拾う必要はない。おかげでそのまま走って帰ってくれたよ、真面目なやつは助かる。刀は折れても支障はないんだろ?」
「ああ、それに関しては最初に伝えた通り、問題は無い。大切なのは刀身の波紋と、鍔と柄。つまり刀そのもの。折れても無くなってないのならそれでいい。刃こぼれも関係はないだろう」
「それは安心した。次からも気兼ねなく行動できる。持ち去った刀が別のものだと気づくのはいつになると思う?」
「さあな、波紋を見比べればすぐだが、ここまで大掛かりな茶番を仕掛け、せっかく手に入れた刀をわざわざもう一度確かめる事は無いだろう。同じ型をした模擬刀を回収し、二つあるのなら話は別だが……。あれは俺が叩いた刀だ、この葉切と比べて見ても劣らない。すぐには気付かないはずだ」
「それはそれは、なら私も一本包丁を叩いてもらいたいものだ」
掘りコタツから足を出し、麻祁が立ち上がる。
「それじゃ私は帰る。報酬の振込みはまた伝えにくる」
「分かった……」
外へ出ようと障子に手を掛ける。その時、年老いた男が声を出し、麻祁の足を止めた。
「一つ聞きたかったことがある」
麻祁は振り返る事なく、答えた。
「なんでも」
少しの間の後、男が続きを話し始める。
「どうしてこの依頼を受けてくれたんだ?」
「…………」
麻祁はすぐには答えなかった。
少しだけ空く間。
「所詮は先行く爺さんの戯言。他には相手にされなかったものを、まだ歳の若いお前は拾ってくれた。それも無茶な内容で命の危険もあるかもしれないというのに……。本当にあると思ったのか? その――宝というものが」
「もしその依頼に嘘があるなら、それを見抜けなかった私が悪いし、もし騙されたと分かったならこちらから手を切ればいい。当然、消されるなら逆に消せばいい。それを見極めるのは全て私の目だ。宝があるかどうかも判断するのも私の目。実際にやってみて、この目で見なきゃ分からない。私は私自身が得になる事しか興味がない」
「……そうか。また情報が入ったら連絡する」
「ああ、いつでも待っている。後、包丁なんかもあれば助かるんだけど」
「ふふっ、時間がある時に用意しておくよ」
麻祁が靴を履き、障子を閉める。
ただ一人コタツに残された年寄りは、木の扉が閉まる音を耳にした後、折れた刀身を再び新聞紙で巻き始めた。
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