五節:闇夜の追跡
トラックの荷台にいるスーツの女。追いかけてくる車をそのまま貫こうかという勢いで刃を上に向けた状態で車に構える。
その姿に、山瀬の目は奪われていた。
「な、なんだよあの女……なんで護ってるもん持ってんだよ、おかしいだろ……」
「……理由は分からないが、なんでもいい。とにかく車を横に」
「あ、ああ――」
山瀬がハンドルを右に切ろうとした瞬間、再び目が女の方へと向いた。まるで銅像かのように、その構えを解く気配は無い。
「まさか刀とか飛ばしてこないよな……?」
「……アニメじゃないんだから」
「だ、だよなッ!?」
突然、強い衝撃が車全体を襲った。
「な、なんだッ!?」
咄嗟に揺らぐ車体を抑える様に、山瀬がハンドルに力を入れる。
自然と動く視線。正面へと顔を向けたとき、山瀬の目が大きく見開いた。
それはまるで夢のような瞬間。周りの空気がゆったりと流れる。
――女がボンネットに乗り、刃を真下に突きたてようとしていた。
「下げろッ!!!」
叫ぶ麻祁の声に、山瀬が無意識に頭を椅子へと下げる。
響く銃声、同時に眼前を過ぎる刃先。
散るガラスと共に、再び揺れる車体。
「く、クソッ!!」
正面から吹き荒れる風に、山瀬は左腕を前へと出し、必死に防いでいた。
「これを使え!」
麻祁がザックから透明のゴーグルと小型のインカムを出し、山瀬へと差し出した。
それを受け取り付けた後、山瀬は両手でハンドルを握り締め、今目の前で起きた事をその目で確認した。
車を正面を覆っていたフロントガラス。横一閃にそれは断ち切られていた。
中央には銃弾の通り過ぎた跡として数箇所に蜘蛛の巣状のヒビが出来ている。
「なんだよこれ……。どうなってんだよ!」
吹き荒れる風に山瀬は負けじと声を張り上げる。
耳元で響く声に、同じ透明のゴーグルとインカムを付けた麻祁が言葉を返す。
「あの女が切ったんだよ」
「おんなぁ!?」
トラックの荷台へと山瀬が目を向ける。そこには右手に刀を持ち、立ち尽くす女の姿があった。
「女がどうやってボンネットに乗るんだよ!? ……って、アッー!!」
ある光景が目に入るや否や、山瀬が大声で叫んだ。
オレンジ色に光るボンネットに、二箇所だけ穴が空けられていた。
「穴だ! 穴が空いてるぞッ!!」
「さっき開けられたんだよ。走れているなら問題ないだろ?」
「なっ! なに呑気な事言ってんだよ!! エンジンやられたらお終いだぞ!!」
「広いから致命を追わなかった」
「無駄にだだっぴろいから乗られるんだよ! 普通は乗られるか!!」
山瀬がすぐさまメーターを確認する。異常を知らせる点灯はない、しかし……。
「ろ、六十……?」
スピードメーターを確認した時、山瀬は自身の目を疑った。その速度は本人にとっては思いもしない数値だった。
「なんで速度が……そうか……」
ある事に気づき、再び目をトラックへと向ける。
そこには速度を上げ、車との距離を徐々に開けていく後ろ姿があった。
「合わせられたのか……クソッ!!」
風に掻き消される舌打ちと同時に、ハンドルとアクセルに自然と力が入る。
山瀬はすぐに右へと車を寄せ、そして先を走るトラックの後を追った。
「ああッ! 前が見にくい!!」
「開けよう、少し顔を塞げ」
横から聞こえる麻祁の声に、山瀬はすぐに左腕で口元を覆った。
麻祁は後部座席へと体を回し、身の丈ほどある刀を取り出した。
紺色の布が被された鞘の部分を持ち、まるで長い棒で蜘蛛の巣を取るように、ひびの入ったフロントガラスを一つずつ叩いては、後方へと吹き飛ばしていく。
開かれた視界に現れたのはトラックの後ろ姿。山瀬はハンドルを右に切ることはなく、トラックの後ろへと吸い付くように徐々に距離を縮めていった。
山瀬が荷台へと目を向ける。しかし、そこにはあの女の姿はなく、左側の片方の扉だけが閉められていた。
ヒシヒシと湧き上がる違和感を感じながらも、山瀬はメーターに目を向けた。
――七十五。再び顔を上げ、トラックへと目を向ける。
先ほどの事を恐れ、山瀬は十分にトラックと車との間の距離を保っていた。
しばらく走る中、再びメーターへと目を向ける。……前のトラックが速度を緩める気配は無い。
山瀬はアクセルを踏み込み、ハンドルを右へと切――衝撃。
思わぬ音に山瀬が声を上げた。
真横を突然、荷台の扉が大きな音を上げ通り過ぎ去った。
すぐさま衝撃は風で掻き消されるも、耳の奥では今だにその音が響いている。
山瀬が視線を左へと向ける。そこには、以前あったであろう扉の場所に手を置き、こちらを覗きこむように見る女の姿があった。
徐々に視界からはその姿が消えてゆき、助手席の窓からは轟々と音を上げながら回り続けるタイヤが現れた。
麻祁が銃を外へと出し、タイヤに向ける。
その後ろ姿に一瞬目を向けた後、山瀬は正面へと顔を向けた。
真っ直ぐ伸びる闇の先を、等間隔に置かれたオレンジ色の照明灯が道を作る。
ふと、ある場所に視線が集中する。
横を走るトラックに付けられたサイドミラー、その横にある窓から突き出て見える折れた太い右膝。それが真っ直ぐと外へと伸ばされた。
その光景を不思議そうに見ている山瀬。麻祁は銃口をタイヤに向けたまま、タイミングを窺う。
そして、掛けてある指に力を入れる――その瞬間。
「……ッ!!?」
山瀬がある事に気付く。
開かれる拳、そこから散る幾つもの小さなつぶて。咄嗟にアクセルを緩め、すぐさま左へとハンドルを切った。
麻祁はバランスを崩し、椅子へと押し倒された。
アクセルを踏み込み、再び、トラックとの間の距離を保つ。
「……っ、ったく何があったんだ? もう少しで暴発だった」
体勢を戻した麻祁は椅子へと戻り、銃の安全装置を降ろした後、横へと目を向けた。そこにはまるで恐ろしい何かを見たかのような表情で目を見開いたまま、両手でハンドルを握り締める山瀬の姿があった。
「……わ、分からない。突然腕を伸ばして、開いたと思ったらキラキラと光るものが……」
山瀬の表情をじっと見た後、麻祁は後部座席へと目を移す。
暗闇に包まれる後部。等間隔で差し込むオレンジ色の明かりにより、そこに映り出されたのはいくつもの蜘蛛の巣状の模様を作ったリアガラスだった。
麻祁はそれを目にした後、すぐに顔を正面へと向きなおす。
「血、頬に血が付いている」
「血……あ、ああ……」
その言葉に山瀬は軽く頷くだけで、ハンドルから手を離さなかった。代わりに、正面から吹き荒れる風が、山瀬の頬に付いた血を何度も拭い去っていく。
車は以前と距離を詰めずに、距離を保っていた。
荷台にはあの女の姿と視線。車は同じ速度で走り続ける。それはまるで見えないロープにより、トラックでけん引きされているような光景だった。
麻祁が運転席へと目を向ける。そこには、前のめりになる勢いでハンドルをぐっと握り締めている山瀬の姿があった。
正面を見据えたまま見開いた目。しかし、その視線は正面の女でもなく、トラックの荷台でもなかった。ただじっと、どこを捉えていていいのか分からず、ただじっと前だけを見ているだけのようだった。
「……仕方ない」
ふと呟く言葉とため息を風に紛らわせ、麻祁は椅子から転げ落ちていたペットボトルを探し、拾っては蓋を開け、窓の外へと出した。
「作戦を変える」
ペットボトルをひっくり返し、中の水だけを風に流し始める。
「…………」
麻祁の言葉に山瀬は何も答えない。
「……作戦を変えるぞ」
半分だけ水を捨てた後、窓を閉め、山瀬の肩を軽く叩く。
「……っ!! あ、ああ……」
眠りから覚めたかのように肩を振るわせた後、力の無い声で言葉を返す。
それを耳で聞いた麻祁は、ザックの中に銃を入れ、変わりに中から小さな透明の袋に入った白い粉を取り出し、それをペットボトルの中へと入れ振り始めた。
粉は水と合わさり、そしてペットボトル全体が白で覆われた。
「なにやってんだよそれ? 何する気なんだ?」
手に持つ不思議な物に、山瀬は問い掛けるも麻祁は答えず、今度は椅子の横に立てかけていた刀を取り出し、被せていた紺の布を外し始めた。
「タイヤが無理なら私が乗り込む。速度合わせは任せるぞ」
「速度合わせ? 乗り込むだと?」
麻祁の言葉に今だ上の空でいる山瀬がその流れを考え始める。だが、見出せないのだろう、複雑な表情を浮かべながら麻祁に聞き返した。
「乗り込むってどうやるんだよ? どうやってあんな所に乗るってんだ?」
「あいつらと同じ手を使う」
「同じ手? 同じ手って……」
「衝撃を利用して乗り込む」
「衝撃……なんだよそれ……」
頭の中で今まで起きた映像をまき戻す。そしてある場所にたどり着いたとき、山瀬は目覚めたように声を上げた。
「あっ! お、おいまさか……」
思い当たる点、それは最初に受けた衝撃の瞬間。
「ぶつけてきた衝撃で乗るってのか……」
山瀬が確かめるように麻祁の方へと顔を向ける。だが、麻祁は何も答えず、ただ刀を椅子の前に立て、正面を走るトラックだけを見つめていた。
「正気か!? もう一回相手がやってくると思うのか?!」
「分からん。だが、このまま追走し続けても仕方ない。それならもう一度横を走ってタイヤを撃ち抜くか?」
「……いや……それは……」
山瀬が表情を曇らせる。左頬に付いた傷跡を軽くさすった後、首を横に振った。
「絶対にダメだ。次上手く避けれるとは……」
「なら、方法は一つだ。このまま進めばもう少しで出口へと向かう。だが、相手は盗人だ。追跡されているのにわざわざ出口に向かうとは思えない。必ず別の脱出手段を取るはずだ」
「そこがチャンスなのか? その時を狙うのか?」
「それもいいが、その前に相手が行動に出るだろう。もしこのままの状態を維持したとして、用意していた別の手段を使ったとしても、また追跡されては話にならないからな。私ならもう一度同じ手を使って車を完全に止めるか、更に弱らせるかだ」
「……上手くいくのか」
「さあな、やってくるかは相手次第だし、もしやられたとしてもそれを受けるのは運転手次第だ。煽れば乗るんじゃないか相手も」
麻祁の言葉に山瀬は小さく舌打ちをした。目を軽く逸らし、そしてトラックの荷台へと向け直す。
オレンジ色に照らされる荷台。そこにはあの女が相変わらず立ち尽くしたままこちらを見ている。
吹き込む風が強さを増す。
「……本当に……るのか……」
「何? 聞こえない」
「本当にやるのか!? もしミスっ……りしたら……」
吹き込む風に負けじと、山瀬は振り絞るように声を張り上げた。
「ミス? 結果は後から来る。問題はそれを、やるかやらないかだ」
「――ッチ! んなことは分かって……るよ! そうじゃねーだろ!! 映画じゃないん……ぞ! んな事が上手くいくなん……考えられねーよ!!」
「さっきから何を言っている? それをやろうとしているのは私、自身だ。何も車で直接ぶち当てろとは言っていない。たださっきと同じようにすればいいというだけだ。この車なら出来るだろ?」
「…………くそ!! どうなってもしらねーぞ!!」
まるで憑きものが落ちたかのように、山瀬の握るハンドルに力が入り込んだ。麻祁はその言葉に合わせ、刀とペットボトルを手に持ち、フロントガラスに残るガラスを刀で落した後、銀髪をなびかせながらボンネットへと体を乗り出した。
「よし、やるぞ!」
山瀬が掛け声と同時にアクセルを踏み込む。
割れたフロントガラスに二つの傷を付けたボンネット。上には左手で鞘を掴み、もう片方の手でペットボトルを持ちながら刀を押させる麻祁の姿。
異様なその光景に、荷台にいる女は表情を変えないものの刀をゆっくりと構えた。
車はトラックとの距離を徐々に詰めて行く。
その様子に気付いたのか、今度はトラックが速度を徐々に落し始めた。山瀬はその変化に気付き、軽く速度を落すものの、トラックとの間の距離を保ち続けた。
「速度が落ちている! そろそろ来るぞ!」
山瀬の声に、麻祁は更に身を屈め、ぐっと全身に力を入れた。
徐々に落ちる速度。八十……七十五……七十……六十五……七十――。
「来るッ!!」
声と同時に強くアクセルを踏み込んだ。高鳴るエンジンと同時に正面からトラックの荷台が一瞬で迫ってくる。
――衝撃音、麻祁が飛んだ。
「――ッ!!?」
荷台にいた女が思わず声を上げた。自分の真横を一人の人間が風のように一瞬で通り過ぎた。すぐさま迎え撃とうとふり返り刀を振り上げる。
――刹那。女の振り下ろした刀が空中へと投げられたペットボトルを捉え切り裂いた。
激しい破裂音、重なり白い煙が辺りを一瞬で覆いつくす。
一瞬怯んだ女はすぐに体勢を戻し、刀を構えたまま真っ直ぐと正面だけを見つめていた。
荷台を包むひんやりとした異様な冷気。辺りに舞い散る白い粉はゆったりと漂い続け、荷台の壁や中央にある割れたガラスケースの存在を隠す。
女はじっと目を細め、両手で握り締める柄に力を入れ……刀を斜めに振り上げた。
漂う冷気を切り裂くように振り下ろされる刃。同時、突如刃が現れ、冷気と共に振り下ろされる刃を受け流した。
一瞬にして払われる空気。すぐさま次の一手が向けられる。
カチンと刃がかち合い、互いに力を見せつけるように、カタカタと震わせながら刀を押し始める。
睨みあう視線。二人は目を逸らすことなく、ぐっと自身の流れへと引きこむようにお互いの目を見続けていた。
麻祁が力の隙を付き、弾く様に刀を強く押した。
その瞬間、刀を握り締める女の手が一瞬後ろへと下がる。しかし、すぐさま振り払うように横へとなぎ払った。
激しい衝撃音。まるでトタンが力強く剥がれたかのように、横にある荷台の壁が一瞬にして断ち切れた。
大きく振りかぶった女。過ぎ去った斬撃の跡に麻祁の姿は無い。
視線を下へと落す。その瞬間、その目を見開かせた。
腰を屈めていた麻祁が立ち上がるや否や、女の腹に向かい肩から突っ込んできた。
吹き飛ぶ二人の体。そのまま風に流されるように外へと飛び出した。
「った!? ま、マジかよ!!」
トラックを押すような形で速度を合わせ走っていた車のボンネットの上に、突然二人の女が飛び乗ってきた。
上がる鈍い音と同時に、山瀬はすぐさまブレーキを掛け、ハンドルを切るや否やギアを変え、アクセルを踏み込んだ。
後輪が煙を噴き上げ、タイヤが悲鳴のような激しい金切り声を上げる。
ボンネットにいた二人の体は、力無く、まるでおもちゃのように道路へと投げ飛ばされた。
「クソッ!?」
山瀬が歪む車体を真っ直ぐと元に戻す。
一瞬後方へと顔を向け、すぐにバックミラーへと目を向けた。しかし、そこに映るのは闇だけで、二人の姿は見えない。
速度の落ちる車を止めようと考えるも、自然と目が前へと向いた。そこにはただ闇へと姿を消していくトラックの後ろ姿があった。
山瀬は一瞬悩むも、すぐにギアを変え、アクセルを踏み込んでは、同じ闇の中へと突き進みトラックの後を追った。
――――――――――――――――――
道路に残された二人の女。
麻祁は右手を地面へと突き立て、体をゆっくりと立ち上げていく。
全身を立たせた後、何かを探すように辺りを見渡し始めた。
「……ったく、追いかけていったのか」
周りは薄闇。上から照らすオレンジ色の明かりが包む闇を変えていた。
地面には転がる一つの刀。スポットライトに当てられたように、オレンジ色の光に包まれるそれを、麻祁はすぐさまかけ寄り手に取った。
刀を持ち、刃先から柄まで見通した後、もう一本の刀を取ろうと探し始める。
ふと、視線の先にもう一本の刀が入り込んだ。
すぐさまそれを取ろうと歩き出す。が、すぐにその足は立ち止まった。
――倒れていた刀が立ち上がった。
オレンジ色のスポットライトの中、麻祁はすぐに刀を前へと突き出し構えた。
しばらくその動きを見た後、瞬時に刀を斜めに構えた。
辺りから虫の鳴き声が聞こえる道路に、刀同士が弾き合う音が一瞬だけ一際響く。しかし、照明灯の明かりには麻祁の姿しか映されてなかった。
麻祁は振り返り、再び前へと刀を突き出し、斜めに構えた。
一閃。それはまるで風のように一瞬にして麻祁の構えた刀を鳴らした後、闇へと姿を消した。
「何度やっても無駄だ。私は目が良いんだよ」
刀を片手に持ち、まるでバカにしたような笑みを浮かべた後、右の人差し指で自身の目元を指す。
その言動に誘発されたのか、薄闇からあの女が姿を現した。
所々が破れたスーツ姿に、乱れた黒の長髪。刀を片手に構え、左手をだらりと垂らしたまま、傷だらけの顔でじっと麻祁を睨むように見つめる。
変わり果てたその姿に、麻祁は刀を構えた。
「さあ、このまま去ってくれよ……」
ぼそりと呟かれた言葉が耳に届いたのか。女は手に持っていた刀の刃先を麻祁に向けた。
「真面目ってほんと迷惑」
再び呟かれる麻祁の言葉。それが耳に届いたのか、女は全てを断ち切るかように、手にしていた刀を目の前で振り払った。
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