9話 純愛

「かあ……さん?」

「えぇ、そうよ! アシュー!」

 強く抱きしめる母と名乗る女性の目からは涙が雨のように伝う。

 黒いローブに見えたものは、汚れてボロボロになった布切れで、そこから覗く肌は病的に白かった。

「母さん! 母さん! 会いたかった」

 アシューも涙を流した。抱きしめられる柔らかい感触、匂い、優しさ――すべてが、消えかかっていた母との思い出を鮮明に思い出させる。

 しかし、それを見て、感動の涙を泣かさない者もいる。

「アシューの母親か? 本当にか?」

 これは、単なる疑問ではない、”疑い”だ。

 シードが、逃げ出したのは黒いローブを着ているものが追いかけてくる、という雑な理由だけではない。

 確かに感じていたのだ。あの時――遠い100年前の過去に感じた”憎悪に満ちた魔”を。

 だが、抱きしめ合い、再開を喜び合う親子を見て、これ以上、疑いの思考を凝らすことなど、シードにはできなかった。

 この親子を離れさせてしまった根源は、世界を救えなかった自分にあるのだから。

「再開、喜んでるとこ悪いが、立ってくれ」

 アシューとその母が抱き合い涙を流すのは、魔族が行きかう魔王都の正面玄関。

 フードを被る怪しげな3人には、嫌でも不審がる視線を注がれる。

 だが、その視線に紛れる不敵な視線に、この時、シードとアシューが気づくことはなかった。


   ***


 何とか、魔王都の先、森の奥深くにあるシードの家までたどり着いた3人は、木製のテーブルを囲みあう。

 アシューとその母が隣り合い、向かい側に葉巻を吹かしながらシードが腰かける。

「不自然なくらいに、突然の登場ですけど、お名前は?」

 シードは、乱暴に問い、居心地が悪そうに葉巻を吹かす。

 眼前、さっきの涙が嘘かのように笑顔を振りまく母と子。自然といえば、自然なのかもしれないが、シードには違和感のほうが強かった。

「あ、ごめんなさい。 私の名前は、ミルテア。 アシューの母です」

 さっぱりとした口ぶりが、より、シードの中の違和感が増した。いや、これは、シードの無意識の願望なのかもしれない――娘のようにかわいがってきたアシューを離したくないという願望だ。

 そんな無意識の願望など、気づきもせずに、シードは、依然として、ミルテアに鋭い視線を投げつける。

「シード! 母さんに乱暴しないで! 何が気にくわないの!」

「母親だとしても、一度、お前を突き放した人だぞ。 それに……あまりにも不自然すぎるんだ」

 全ては、魔王都でアシューを助けたことが引き金となっているのだ。

 魔王教からの襲撃に母親と名乗る者の登場。

 それに、さっきから感じる違和感も同様だ。

「違うんです!」

 ミルテアは声を張り上げ、シードの顔を見た。

「突き放したなんかじゃありません。 この子は、見てのとおり褐色……あなたなら、その意味が分かるんじゃありませんか。 灰色の勇者様……あなたのせいです」

 シードは、背筋が凍りつくような感覚に襲われた。

 まるで、蛇に睨まれた蛙のように身動きができない。

 なんとか、動かすことのできる唇を微かに震わせ言葉を振り絞った。

「すま……ない」

 無意識の恐怖だ。

 世界を救えなかった勇者に対する追及は、シードに無意識の恐怖を味合わせる。

 尖った耳に褐色の肌という望まれぬ容姿で生まれた子――本来ならば、親と離れるべきではないのだ。

 しかし、そうさせたのは、紛れもなく”竜のあざ”を持つシードだ。

「あなたが何を思って、この子を魔王都で助けたのかはわかりません。 でも、それがあったから、私は娘に会うことができたのです。 それは、お礼を申し上げます。 しかし――」

 依然として、恐怖に竦むシード。

 そこへ、躊躇なく言葉が投げかけられる。

「娘を返してください。 いいえ、返してもらいます」

 ミルテアの手は微かに震えていた。

 灰色の勇者は裏切り者、世界から憎まれるそいつの前で、娘を返せと叫ぶのだ。

 力なき人間ならば、恐怖するのが当たり前だ。

 

 ――俺は、ただ、アシューに幸せになってほしかった。

 ――俺は、アシューにさみしい思いをしてほしくなかった。

 ――それは、言い訳なのか?

 ――これは、罪滅ぼしなのか。


 最後の問いの答えは明確だ。

 シードは、無意識のうちに自分の罪を幼い少女で償っていたのだ。

 この少女の親代わりになることで、自分の罪悪感を拭っていたのだ。

 今までの、無意識の謝罪を、今、言葉にした。

「アシュー。 すまなかった」

 だが、すでに森の奥へと母に手を繋がれ消えてしまっていた少女になど、言葉が届くはずなかった。

 

「なに、その顔。 葉巻の吸いすぎかしら?」

 手で顔を抑え、うなだれるシードへ声が届いた。

 それは、すべてを見透かしたような声でため息も交じる。

「エリス……」

 声の主は、片手を腰に当て、もう片方の手で葉巻の入った袋を持ったエリスだ。

 シードは、唯一の仲間にすがるよう、語りかけた。

「アシューに申し訳ないことしちまった。 俺の勝手な罪滅ぼしのために……くそ」

 エリスは、おっさんにもなってみっともなく鼻水をたらし涙を流すシードを胸へ抱き寄せる。

「シードはよくやった……よくやってる。 一人で背負いすぎだよ、リリクのこともアテナのことも世界のことも」

「俺は……誰も救えねぇ! どうすればいんだよ」

「今は、泣けばいいの。 私が、そばにいるから」

 曇天の空は、日が沈んだからか漆黒に染まる。

 太陽は、再び顔を覗かせるのか、それとも、もう見ることはできないのか――

「それにしても、あの”褐色”の女。 本当に、母親なのかしら?」

 エリスもシードと同様の違和感を感じていた。

 しかし、シードのほうが先にその違和感の正体を掴み取った。

「おい! アシューの母親の肌は……白だぞ」

「そんなことない。 確かに褐色――」

 エリスが、言葉を言い切る前、シードは2人の間の認識の違いの原因をあっさりと見つけた。

「ダークエルフの得意魔法は、”幻影”……」

 ダークエルフのみが使えるという”幻影”。他者に異なるモノを見せることができる魔法――肌の色を白く見せ、弱弱しい女に成りすますなど容易い。

 ”幻影”は、心の闇の隙間に入り込み幻を作り出す。

「アシューが、あぶねぇ!」

 どうやら、快晴の空を眺めることができるのは、もう少し後になりそうだ。

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