終 章 May I Help You? 『わが輩は地球獣である』

終 章  『わが輩は地球獣である』

「人民の、人民による、人民のための政府――」


 その言葉が高らかに発せられると、声は風に乗ってどこまでも届くように思われた。

「これは、今を去ること一四年前、ラメリカ大統領レンカーンが、国を破壊する危機に満ちた内戦の最大の激戦場となった地において、戦没者を追悼するために行った名演説の一節でありもす」


 丘の上に急造された演台から、呼びかけるように語りはじめたのはサイゴウだ。

 聴衆である〝革命軍〟は、演台のすぐ前の斜面から遠くの水際までびっしり埋めつくすように座りこみ、黙りこくって耳を傾けている。


 おいらとワガハイは、演台の下にもぐりこみ、一枚のすり切れかかった紙を見つめて頭を寄せ合っていた。

「えーと、われわれの父たちは、勝手に……」

「それじゃヘンだろ! 〝自由の中で〟とかじゃ」

「自由の中で想像され……すべての人は平等に作られているという……何だ、これ?」

「〝主張〟じゃ、〝主張〟!」

「……という主張へ捧げられた、新しい国を、えー……この大陸にもたらした」

 ワガハイがその堅苦しいイグランド語の一節をやっと訳した。


 すると、サイゴウがそれを復唱するように、民衆にむかっていった。

「われわれは、一〇年前、自由の精神の中で考え出された新しい国、人はだれでも平等であるという主張のために捧げられた新国家を、この日ノ本に生み出しもした」

 それをいい終えると、サイゴウはチラッと下を向き、笑みを浮かべておいらたちに小さくうなずきかけた。


「しかし、内外に山積する幾多の困難の中で、生み出した国家をどのように育てはぐくんでいくかとなると、議論は百出し……」

 サイゴウはその後につづけて自分自身の言葉で語りはじめ、演説へと入っていった。

 おいらとワガハイはホッとして顔を見合わせた。



「それ以外に方法があるか?」

 と、リョウマはオオクボ、サイゴウに迫った。

「この枇杷湖ビワコ畔に、蜂起した民衆が大集結しとるのは、なぜだかわかるか? 河合カワイさんや古林コバヤシさんが『ここで重大な決定が行われる』とゆうて足をとどめさせたからじゃ。さもなけりゃ、今ごろもうキョウ大坂オオサカは地獄のありさまになっちょろう」

 宣告するようにリョウマがいうと、その場は粛然となった。


「この幕の外に集まっちょる人々は、主義主張があったり、欲得ずくで来とるわけではない。生きるか死ぬかっちゅう瀬戸際に立たされて、やむにやまれず国を出てきたんじゃ。頭を押さえつけとる政府、役人、軍、金持ち、豪商、それらをぜんぶ血祭りに上げ、破壊しつくさにゃ終わらんだろう。後に残るものは何もない。彼らにも帰る道はないんじゃ」

 外のざわめきはしだいに高まりつつある。

 このまま放置すれば、いつ暴発してしまうかわかったものではない。


「わしらも同じじゃ。ここから無事に出ていくには、彼らに何かを示さにゃならん。さもなければ、テンペストまでたどり着くこともできんのじゃ。では、ここに何がある? ここでわしらにできることは何がある? 時間かせぎに井藤イトウを突き出すか?」

 イトウは、その悪い冗談にもブルッと身体を震わせて青ざめた。


「おいと大久穂オオクボどんが手を結べば、それが時間かせぎになりもそか?」

 サイゴウがいうと、オオクボも同感を示してうなずいた。

 すると、カワイがリョウマの代わりにいった。

「時間かせぎにするか、決定的な解決策にできるかは、あんたたちの覚悟と態度しだいだろうが。百姓、町人と甘く見ないことだ。彼らの真剣さは本物だし、見る眼は鋭い」


 リョウマは、サイゴウとオオクボの間に進み出た。

「なあ。こうやって座を囲んでると、若いころを思い出さんか? 未来に無限の希望を抱いて奔走していたころのことじゃ。夜通し飲み明かし、語り明かしたもんじゃ。藩や幕府なぞ、さっさとなくなりゃええ。そうすりゃ理想の高い者の勝ちだ。おれたちの勝ちだ、と気炎を上げたじゃないか」

 オオクボは小さく苦笑し、サイゴウは懐かしそうにうなずいた。


「なぜ百年の友のようにそんなことができたかといえば、わしらは理想以外に何も持たなかったからじゃ。わしらが、自藩への愛着や、主君への忠義立てや、外国からの脅威といった問題がなければ、何を目指していたか。その点ではみなが一致して抱いていた理想があったじゃないか。理想を語りゃええ。こうしたかったと思うことを、そのまんまみんなに訴えりゃいいんじゃ!」

 イトウがオオクボの腕をつかみ、顔を引きつらせていった。

「しかし、われわれはさんざん苦労してサムライどもや異分子を排除してきたのです。ようやく堅固になった政府が、そんなことをしては瓦解してしまいますぞ」

「そう。あんたが期待したような権力は温存されまい。本物の革命家の心を持たぬ者には同意できんじゃろうな。だが、西豪さん、あんたの部屋には、今でもワシンタンとナポリオンの肖像がかかっちょるのではないか? 立場や名声はあっても、それを縛るものは何もない。好き勝手放題がいえるんじゃ。まさに、今がそのときじゃろう」


「……そうか。そう考えれば、千載一遇の好機か」

 リョウマを見るオオクボの眼がキラリと光った。

 オオクボはスッと手をさし延べて無言でサイゴウの手を握り、リョウマがその上に手を重ねた。


 それはたしかに感動的な場面ではあったが、だれにも事態が切迫していることのほうが気がかりだった。

 自然に「ここはやはり西豪サイゴウさんしかあるまい」ということになり、人々にむけてサイゴウが演説することに決まった。

 高まりつつあった不満の声や怒号は、演説の予告でいったん沈静化し、演台の設営作業にかこつけてしばらくの猶予ができた。


 すべてをまかされたサイゴウは、みんなに背を向けて演説の構想を練っている。

 首を振ったりうなずいたりしながらいろいろ悩んでいるようだったが、そのうちお守り袋から何かを取り出し、じっと見入るようになった。


「コトコどん、すまんがこれを見てたもんせ」

 サイゴウが示したのは、茶色に色あせたイグランド語の新聞の切り抜きだった。

「どうもうまく演説を切り出せそうになか。そこで、ふとこの記事んこつを思い出した。訳してもろうたときはえらく感心したもんじゃが、意味をすっかり忘れちょる。できたら、これを冒頭の文句に使いたか。訳して、おいに教えてもらえんか?」



 そこで、おいらとワガハイが演台の下にもぐりこむことになったというわけだ。

「……と、問題はいくつもいくつもありもす。すぐにすべてを解決するということは不可能だ。しかし、それでは今までの政府と何も変わらないことになりもす」

 サイゴウは誠実な口調で語りつづけている。


「おいは、玖州キュウシュウの戦地から、テンペストっちゅう驚くべき飛行器械にぶら下がってここに来もした。大空の上から日ノ本ヒノモトを見ているうちに、だんだんと不思議な心持ちになりもした。人も動物も水も大地も、みな大きな世界の一部じゃ。そこに何も分けへだてがないように、人が平等で自由に生きるのは、なんの疑問もないこつじゃ、と」

 演台の後方に並んでいるリョウマたちはさかんにうなずいている。

 演説がうまくいっているということだろう。


「この旅の途中、一〇年も世界を旅してきたという驚くべき少女と語り合いもした。その子が『メイ・アイ・ヘルプ・ユー?』ちゅう言葉を教えてくれもした。店の者が客を迎える挨拶じゃというから、『いらっしゃいませ』に当たるんじゃと思うが、そのまま訳せば『お手伝いさせていただけますか』という意味らしか……」

 おいらは、自分のことが出てきて驚いた。

 リョウマたちの中にも、意外そうな顔がいくつも見える。


「そんとき、おいは衝撃を受けもした。役人にも、軍隊にも、警官にも……いや、そもそも政府を作っていたおいたち自身に、そういう謙虚な気持ちがまるで欠けていたことに気づかされたのです。おいたちが、打倒した幕府とは決定的にちがうのだと主張できるようになるためには、その精神を持たねばならなかったのではなかか、と――」

 とたんに、ずっと静かだった民衆たちから自然と大きな拍手がわき起こった。


「政府は、軍隊は、役人は、警官はすべて変わらなければなりません。いや、そのような特別な人種が最初からいるわけではなか。その精神を持たないものは、そもそもそこに参画する資格はなかっちゅうことなのです……」

 こんどこそ、満場は万雷の拍手と歓声であふれた。


「改革に待ったはなか。新政府は、国民が必要とすることなら何でも聞き入れもそう。お手伝いさせてくだされ」

 それに力を得たサイゴウがいい切ると、リョウマが大声でいった。

「国民の自由と平等を謳う民主憲法を制定して、国会を開設するんじゃ!」

「わかりもした。やりもそ」


 カワイがそれにつづいた。

「成年男子全員による普通選挙の実施だ!」

 すると、コバヤシが横からすぐにいった。

「いや、男女は同権だ。二〇歳以上の男女全員に選挙権を与えよう!」

「よかごたる」

 いちいちの意見にサイゴウがふり返ってうなずくと、そのたびに大きな歓声がわいた。


「そのためには、まず強力な指導者が必要です。権力を盾にするような傲慢な独裁者ではなく、人に慕われ、虚心に民の声を聞こうとする人でなければなりません」

 オオクボが、興奮のおももちながらも冷静にいうと、

「なら、西豪さんしかおるまい。西豪さんに臨時首相に就任してもらおうぞ!」

 リョウマがそれに応えるようにいった。


 それまででいちばんの大きな歓声と拍手が巻き起こるのを背に、おいらとワガハイは演台の下から抜け出した。

 リョウマやオオクボたちが演台に歩み寄り、つぎつぎとサイゴウに握手を求めてきたからだ。


 聴衆も立ち上がり、整然とではあるが、湖から巨大な波が打ち寄せるように丘を目指して集まってくる。

 おいらとワガハイは、人波から逃げるようにして丘の頂上にたどり着き、ようやく一息ついて草地に腰をおろした。


「驚いたな。すべて思いどおりにやっちまったぞ」

「何をじゃ?」

「軍隊を持たない戦争さ。薩磨サツマに戦争をやめさせ、政府軍を追い返し、列強をまったく介入させなかった」

「そうか。巻きこまれるんじゃなくて、日ノ本じゅうを巻きこんじまったんじゃな。いってたとおりになってしまった」


「ああ。そしてついに、維新政府を倒して、さらに新政府も作っちまった。信じられないことに、わが輩もその片棒をかついだんだ。とても自分とは思えない」

「これで、おまえのひねくれた性格も直るかな」

「さあな。でも、すこしは自分を見直したよ」

「そりゃ、よかった」


「ああ、実におもしろかった。こんな体験はそうざらにできるもんじゃないからな。玖州からここまで飛んでくる間、わが輩がずっと何を考えていたかわかるか?」

「何じゃ?」

「ボコイがいなかったらどうなっていただろうってことさ」

「そうじゃな。ボコイには、さんざんあぶないところを助けられた」


「そう、〝その助ける〟ってことだ。気まぐれのようでありながら、妙に何か悟りすましたような厳しい基準があるようにも思える。よく考えてみれば、わが輩たちがやってきたことで、ボコイ抜きでやれたことなんていくらもない。だいいち、ここまで到達できていないだろ」

「まったくじゃ」


「わが輩たちの危機を察して、ただ反射的にそうしていたのか、それとも『なんてことだ、また助けてやるしかないか』とあわれんだのか……いや、なんかもっと別な動機とかがありそうにも思える。そこで、わが輩はさらに考えた。ボコイが誕生してからのことを、ヴィッケンズみたいなノヴェルに仕立てたらどうだろう、と」

「おお、それはおもしろそうじゃ!」

「しかも、ボコイの視点から描くんだ。『わが輩は地球獣である。名前はまだない』――これが書き出しだ。なんか傑作になりそうな予感がしないか?」

「ぜひ書いてくれ。できるかぎり協力するぞ」


 ボコイは、キョトンとした表情をしておいらとワガハイの顔を交互に見ていたが、ヒューッと口笛のような音がかすかに聞こえたと思うと、いきなりピョンとおいらの肩から飛び降り、どこかへむかって一目散に駆けだしたのだ。

 おいらはあわててその後を追った。


「どこへ行くんだ、ボコイ!」

 ボコイは木立の中を走り抜け、その向こう側に出た。そこまで行ってみると、さらに高い場所で、湖やおいらたちが座っていた草地も見下ろせる。

 ボコイが走っていく先に、奇妙な人影があった。

 薄汚れた白い長衣を着て、西洋人のような細くて長い髪を風になびかせている。

 しゃがんでボコイを手のひらに乗せると、フッとおいらのほうへ視線を上げた。


(あっ……)

 そのニッコリと微笑む表情に、遠い記憶がからみついた。

 薄暗い屋根裏部屋に通じる階段、ロウソクの明かり、おいらの頭に触れた手……


 その手のひらの上のボコイがふり返ったのを見たとき、おいらは一瞬にして悟った。

(あれは、ボコイの……!)

〝飼い主〟、〝親〟、〝主人〟――どういっても当てはまりそうに思えるし、それでは説明しきれていないようにも思える。だけど、たしかにそのようなものなのだ、と。


「どうしたんだ?」

 ワガハイがやっと追いついてきて、息を切らせながらたずねた。

「ボコイは、帰るんだ――」

 そうつぶやくと、おいらの眼から涙がボロボロと流れだした。


 ボコイは〝彼〟の顔を見上げ、〝彼〟もボコイを見下ろし、一瞬目配せし合ったように見えた。

 すると、〝彼〟がいきなりボコイを空中高く投げ上げたので、おいらはビックリした。

 ボコイはくるくると回転しながら宙を舞い、頂点に達したところでパッと翼を広げた。


「うわあ、ボコイがまた飛んだぞ!」

 ワガハイが驚きと歓喜に満ちた声を上げた。

 ボコイは羽ばたかず、滑空しながら丘の上空を優雅に舞った。


 おいらとワガハイが頭上を通り過ぎたボコイをふり返ろうとしたとき、肩を軽く叩かれたような感じがした。

 見ると、ボコイがいつものように肩にとまっていて、クリッとした丸い眼でおいらの顔を見つめてきた。

「ボコイ……」

 胸がいっぱいになったおいらの気持ちなど知らぬげに、ボコイはペロペロとおいらの顔をなめた。


「あれ、さっきの人がいないぞ――」

 ワガハイがすっとんきょうな声を上げた。

 たしかに、ほんのすこし前まで〝彼〟が立っていたところには、人が立っていた形跡もなく、うららかにかすむ湖にむかってなだらかに斜面がつづいているだけだった。


 人々が上げる遠い歓声が聞こえ、春のやわらかな風が萌えだしたばかりの草地を波打たせながら吹き渡っていった――。



                 「地球獣ボコイ」 完

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地球獣ボコイ 松枝蔵人 @kurohdomatsugae

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