第五章 4 暗殺者は神出鬼没

 おいらの肩に乗っていたボコイがくるっと向きを変え、いきなり地面に飛び降りて駆けだした。


(ボコイ……?)

 ボコイは見る間に松の木を登り、枝をつたってピョンと塀の外へと消えた。


 おいらはあわてて塀のそばに寄った。

 するとボコイが、だれかに投げ返されたような妙な姿勢で、むこう側からポーンと宙を飛んでこちらへもどってきた。


 それを受け止めたおいらは、ボコイが先端にカギのついたロープをくわえているのに気づいた。

(そ、そうか――!)

 おいらはロープを引っぱり、むこうからも引く手応えを感じると、急いで塀をよじ登った。

 ボコイがすぐに背中にしがみついてきた。


 リョウマが大きな身体を現せば、どこから目撃されないともかぎらない。

 そうなる前にと、おいらはけんめいにロープをたぐった。

 塀の上の瓦屋根に手をかけ、自力で身体を引き上げる。


 と――

 ちょうどむこうからも人の頭がのぞいた。


「お、おまえ!」

 そいつはギョッとして、あやうく屋根から滑り落ちかけた。

「シーッ。やかましい。声をたてるな!」

 おいらは声をひそめて警告した。

 なんとその相手は、ワガハイだったのだ。


 すばやく塀を乗り越えてむこう側に飛び降りると、ワガハイはリョウマの両肩にへっぴり腰で足を乗せ、なんとか塀によじ登ろうとしていたことがわかった。


「おお、コトコ。無事じゃったか!」

 リョウマがとびついたおいらを抱きしめた。


「どうしてこいつがいっしょなんじゃ?」

「連れていけといってきかんかったんじゃ。足手まといになるにきまっとるが、おかげで道中怪しまれずにすんだし、退屈もせんかったがな」

 のん気なことをいってるリョウマの横で、放置されたワガハイが塀にしがみついたまま足をジタバタさせている。


「じゃあ、屋敷の反対側で起こったでかい音は何じゃ?」

 爆発音は、まだ屋敷のあちこちでたてつづいていた。

 聞きおぼえのあるバババババッという射撃音も聞こえてくる。

「ああ、象山先生が土産にくれた投擲弾じゃ。連発銃は、テンペストの格納庫の奥に押し込まれとった。ヤタロウめ、気をきかせてくれたつもりじゃろう」


「でも、だれが撃ってるんだ?」

「心強い味方じゃ。……おっと、ぐずぐずしとられん。早く安全な場所まで逃げて、あいつらに合図せんと」

「わ、わが輩を忘れてるぞ!」

 背中からワガハイの声がした。

「そうか。やっぱり足手まといになりおった」

 うっかり行きかけたリョウマが、苦笑しながら塀からワガハイを抱きおろした。


 すると――


「現れたな、坂元」

 おいらたちの背後から、挨拶でもするような口調で声をかけてきた者がいた。


「お、熾田オキタ総司ソウジ……!」

 ワガハイが最初に気づいた。

 無造作にはおっただけのような着流しに、顔をなかば隠したサラリと長い髪。

 またもや暗殺者オキタが現れたのだ。


「おんしこそ、いつもこちらの都合の悪いところに現れよるな。神出鬼没とは、まさにおんしのことじゃ」

 リョウマも平然とした声でいい返したが、一刻を争う事態だ。

 すぐに腰の剣に両手をそえ、油断のない構えに入った。


「それはおれも同感だな。どこにいようと、何をしていようと、どこからかあんたの情報が入ってくる。都合のいい通行証などもいっしょにな。雇い主は金があるだけじゃなく、恐ろしいほど地獄耳でかなりの権力もあるらしいぜ」

「ますますその御仁に会いたくなってきたのう」

「まあ、無理だな。あんたとおれのどっちかが死ぬしかない。どちらが死んでもそれはかなわぬ望みになる……」


 オキタの声にわずかな高ぶりが混じった。

 青白い光を放つ剣が、スラリとその腰から抜き放たれた。


「まっこと、残念なことじゃ」

 リョウマの答えにも決意の響きがこもった。


 おいらとワガハイは、じりじりと塀際に後退した。

 ボコイは向かい合う二人をキラキラする小さな眼で見つめたまま、おいらの肩にしっかりしがみついている。


 クローク先生はボコイに『神意のようなものを感じる』といったが、神のように高みから見下ろすというより、ボコイでさえサムライ同士の混じり気のない闘争心に押され、よけいな手出しなどとてもできない、とでもいうようだった。


 オキタは剣を抜きはらったまま斜めにぶら下げるように持ち、リョウマも下段にかまえている。

 形だけ見れば、どちらも本気で斬り合うつもりがあるようには思えない。


 キチッ――

 軽く剣先を触れ合わせる音がしたと思うと、噴き上がるように一気に殺気が放たれ、どちらの姿も毛ほどの隙もない構えへと移行していた。


 ブォン――

 オキタの剣が斜めに宙をなぎ払った。


 リョウマは顔をほんの数センチ傾けてその軌道を見切り、通り過ぎた剣を追うように突きを放つ。


 オキタも身体をわずかに斜めにしただけでその突きをかわし、返す刀でリョウマの剣を弾き返す。


 ガッ――

 リョウマは手首をひねって刃の背でそれを受け、撥ね上げられた力を利用してグルリと大きな円を描いて横なぎの斬撃を放った。

 オキタは後方へ跳びすさってかわし、ようやく剣戟に間が空いた。


 ここまで声はまったくないが、研ぎすまされた殺気は尋常ではない。

 まるで、肌を刺すような濃密な別の空気が二人を取り巻いているようだ。


 ワガハイは真剣同士の斬り合いをはじめて目の当たりにし、小刻みに震えている。

 おいらだってそうかもしれない。

 だけど、オキタの動きを一瞬も見逃すまいと視線をすえている。

 おいらがちゃんと見張っていれば、それはリョウマに伝わって二倍の注意力になるはずだと、そんな気がした。


 つぎはリョウマが仕掛けた。

 ススッと踏み込むと同時に、大上段から渾身の力で振り下ろす。


 その大胆な動きにオキタは一瞬ひるみ、かわしきれずに袖口を切られた。

 が、そんなことにはいっさいかまわず、オキタは踏んばった足でクルリと身をひるがえすと、リョウマの剣を軽く叩いておいて横に跳んだ。

 そしてリョウマが剣を引く間をつき、下段からシャラッと肝の冷えるような音とともに斜めに斬り上げた。


 ありえないことに、リョウマはその斬撃に合わせて剣を引き上げ、途中から押さえつけるように力をこめてオキタの剣先を横にそらした。


 そこからは、おいらにはもうオキタの動きも剣のひらめきも追いきれなくなった。


 キンッ、ガキン、ガシッ――


 どちらが仕掛け、どちらが受けているのかも区別がつかない。

 息つく間もなく両者の剣が打ち合い、身体がくねり、そらされ、足が土を蹴る。


 火花が青く赤く散り、あたりにはいつの間にかツンときな臭い異臭が立ちこめている。

 勝負に勝つ、というより、相手を斬り殺そうという意志のぶつかり合いだ。

 オキタの剣からはメラメラと燃え立つような光が、リョウマの剣からはそれ以上の力で弾き返そうという意志を込めた青白い鋼のきらめきが発している。


 ケモノの闘いとちがうのは、たがいの身体がほとんど触れ合わないことだけだ。

 それはあまりにも絶妙な呼吸をともなっていて、まるで練達の踊り子同士のみごとな舞いを見るようでさえあった。


 そこに異音が混じった。


 道を走るいくつもの足音だ。

 司令部が襲撃されたことを知って駆けつけた兵士たちが、こちらの剣戟の音を聞きつけたにちがいない。


「ボコイ!」

 おいらがあわてて肩のボコイに手をやると、ワガハイがそれを手で制した。


「わが輩にまかせろ」

 いいながら懐から黒い塊を出し、塀の角を曲がって姿を現した兵士たちにむかって投げつけた。

 生意気なセリフに反して投げ方はなってないし、塊は案のじょうヒョロヒョロと力なく飛んで兵士たちには届かず、道に落ちて転がった。


 と思うと、いきなりそれが爆発した。

 猛烈な白煙と土ぼこりが上がり、兵士たちは悲鳴を上げて立ち往生する。

 オキタも背後からの衝撃と煙にまかれ、思わずたたらを踏んで咳きこんだ。


 もちろんリョウマはその効果を知っている。

 ワガハイが塊を投げるとすぐ、剣を引いてオキタの前から身をひるがえした。

 すばやくおいらを肩に抱え上げ、道の反対側にむかって走りだす。

 ワガハイが必死にその後につづいた。


「ボコイに炎を上げさせろ。それが引き揚げの合図じゃ!」

 リョウマが声を弾ませていう。

 うなずきながら、おいらはやっと助かったことを実感した。

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