第二章 2 発明王の魔術

西豪サイゴウの抹殺――それがわれわれの意志だと、決定的に知らしめてやるのです。やつらの怒りは頂点に達することでしょう。薩磨サツマ全土がまちがいなく沸騰します」

 追い撃ちをかけるように、カワジが断言した。


「そこまでやるか……」

「やる必要がありましょう。西豪本人がどう思おうと、戦いにむかって雪崩れをうつ動きはもはや止められなくなります。一方、続発する士族反乱を対岸の火事のように無視し、巨大な重しとなって薩磨を抑えてきた西豪でも、自身の〝暗殺〟という陰謀がきっかけとなって始まろうとする戦いを、他人事のように座して見守ることなどできますまい。やつもかならず起ち上ります」


 力説するカワジから顔をそむけ、オオクボは唇をかんだ。

「内務卿のお心の内は、不肖のおいにも察せられもす。無二の親友であられ、維新の動乱の炎の中をともに歩んでこられた相手に、謀略上のこつとはいえ、死を宣告することのおつらさは。じゃっどん――」

 感情の高ぶりを表すように、カワジの言葉に初めて薩磨弁が混じった。

「いうな。それ以上いう必要はない。……承知した。そのとおりにはかるがよい。私にはいささかの異存もない」

 オオクボは苦しげに声を押し出したが、最後の言葉をいい切ったときには、迷いは完全に振り捨てられたようだった。


「はっ。それから、もうひとつの案のほうは、こちらは薩磨の決起を後もどりできないものにする、いわばダメ押しの作戦であります。帰郷隊の働きによって決定的になった反乱は、この作戦が遂行された数日後には、もはやとどめようのない怒涛のごとき大鳴動となることでしょう。つまり、こちらから開戦のきっかけをつくってやるのです」

「わかった。それについては、後日また聞く。帰郷隊の組織化と再教育には、それなりの時日が必要となろう。まずはそちらのほうを急いでくれ」

「承知しました」

 カワジも、この場でそれ以上オオクボに精神的な負担を強いることは酷と判断したのか、直立不動の姿勢で頭を下げると、制帽を元のようにきっちりかぶって書斎から出ていった。


 オオクボはカワジの後ろ姿を見送ると、机の上にひじをのせてほおづえをつき、しばらく凍りついたように動かなかった。


 おいらは、緊張でのどがカラカラにかわいていることに気づいても、身体が硬直していて用意してあった水筒に口をつけることさえできなかった。

 このわずか一〇分間ほどの間に、サイゴウや〝帰郷隊〟と呼ばれる警官たちをふくめ、何百何千という人間の運命が決まってしまったのだ。

 日ノ本ヒノモトの将来だって、この決定が大きく左右することになるのかもしれない。

 そんな場面を間近に目撃してしまったことに、自分でもあらためて驚いた。


 オオクボは、ロウソクの炎がチリチリと音をたてて燃えつきかけているのに気づき、ようやくほおづえをはずして立ち上がった。

 ひじかけ椅子をきちんと机の下に収め、ゆっくりと書斎を出ていった。


 そのとき、プフウーッと間の抜けた音がおいらの頭のすぐ上で聞こえたと思うと、ただでさえ狭苦しい時計の内部に強烈な異臭がたちこめた。

 おいらは咳こみかけ、あわてて口と鼻を手でふさいだ。

「ぶふぁっ――」

 クシャミともなんともつかない奇声を上げたのは、おいらの上にまたがるようにして立っていた元凶のリョウマのほうだった。


 おいらはたまらなくなって眼の前のガラス扉を押し開け、外へ転がり出た。

「バカヤロウ、死ぬかと思ったぞ!」

 後からノソノソはい出してきたリョウマにむかって、おいらはなじった。

 ひどい臭いが眼にまでしみて、涙が勝手に流れてきた。


「シイーッ……声が高い」

 リョウマはよつんばいのまま戸口まで行き、ドアに耳を当てて外の音に耳をすませた。

 どうやらオオクボは気づかずに去ってしまったようだ。

 ほかに近づいてくる者がいないことを確認すると、リョウマはその場に大の字になってへたりこんだ。


 唯一無事だったボコイは、おいらの涙をなめ取ってくれ、それからぐったりとのびているリョウマのほうにそろそろと近寄っていった。

 ボコイの尻尾で顔をなでられ、リョウマはくすぐったそうに笑った。


「いやあ、まいった、まいった。身動きせずに何時間も突っ立っているのがこれほどつらいとは、思ってもみなかったぜよ。へをこくのも限界までがまんしとったんじゃ」

 リョウマはボコイを抱いてようやく身体を起こし、大きなため息まじりにいった。

「大時計の中にひそんで忍びこむっていうのは、おまえが考えついたんだからな。ギエモンさんの前で、いかにも得意そうに説明していたじゃないか」

「まあな。アイデアとしては最高だったんじゃが……しかし、あれだけ厳重な警戒を楽々とすり抜けられて、しかもそのまま目的とする場所に堂々と居座っていられるような便利な隠れミノなど、ほかにあるはずがなかろうが」


 いつかはオオクボの屋敷に潜入することが必要になるだろうという考えは、東亰トウキョウに着いてまもない頃からリョウマの頭にあったらしい。

 まだ二人だけでブラブラと街歩きなどをしていたときに、このあたりをうろついて真新しい洋館建ての大久穂オオクボ邸を見かけた憶えがある。

 だから、初めてギエモンさんの工房を訪れたとき、リョウマはいきなり「この時計をわしにゆずってもらえんじゃろうか」などといい出したのだ。


 リョウマの注文は、時計としての機能はちゃんと果たしながら、なんと自分とおいらとボコイが中に潜み、外からは気づかれないように改造してほしいというものだった。

「ホッホッホ。それはおもしろい」

 発明家というのは、自分の興味を強く引きつける難題に出くわすと、時間も損得も忘れて熱中してしまうものらしい。

 ボコイの実験と並行してギエモンさんはたちまち設計図を書き上げ、職人を動員して制作に取りかかった。


 難しいのは、後ろに人が隠れていることがわからないようにする工夫だった。

 時計全体の下半分は箱の中がのぞけ、振り子がゆっくり揺れるのが見えるようになっている。

 リョウマと二人で入るなら、ちょうどおいらがしゃがむことになるあたりだ。

 そのままでは姿が丸見えなのはもちろん、つねに眼の前を振り子が行き来することになる。

 眼が回って気分が悪くなるか、へたをしたら重い振り子に頭をぶつけかねない。


「いっそ板でふさいでしまえばいいじゃないか」

 おいらは抗議の気持ちをこめて提案したが、リョウマにあっさり首を振られた。

「それでは、いかにも怪しい者が潜んでますよと宣伝するようなもんじゃ。立派な外観を損なっては隠れミノにならん。のう、蟻右衛門ギエモンさん、なんとかなりませんか?」

「まさに、そこがおいの腕の見せどころですな」

 ギエモンさんはリョウマが持ちかけた無理難題に、ニタリと自信ありげに笑った。


 いちおう形が出来上がったのは、蓮華レンゲ亭の会合の直後のことだ。

「ほう、前より一段と見映えがよくなりましたな」

 リョウマはうれしそうな声を上げ、おいらは、きれいに磨き上げられ、塗装もし直された時計に思わず見とれた。

 前の部分は不自然に見えないていどに開口部が狭められ、新たにガラスがはめられていた。

 だが、中はやっぱり同じようながらんどうで、何も変わったようには見えない。


「いいですかな、よく見とってくだされよ――」

 ギエモンさんはそういうと、パッとガラス扉を開いた。

 そのとたん、なんと中にニタニタ笑って座っているワガハイの姿が現れたのだ。

「こりゃ、魔法じゃ! 何もないところからキンちゃんが出てきよった!」

 リョウマもおいらも眼を丸くした。

「そうそう、これは西洋でいうところのマジックですな。手品の仕掛けですわ」

 ギエモンさんが得意そうにいった。


 よく見ると、中に二枚のガラスの鏡が内扉のように取りつけられている。

 それを閉じると奥にいるワガハイの姿が消え、中の隙間の空間が映って空洞のように見えるのだった。

「なるほどのう。さすがは日ノ本一の発明王じゃ!」


 おいらはドキドキしながら、リョウマにつづいて時計の中に入りこんだ。

 リョウマの二本の脚にはさまれるうえに二重構造にするためによけいに狭くなっていたが、苦しくてたまらないというほどではなかった。

 退屈になったらボコイと遊んでいればいいや……と、おいらはたかをくくっていたのだが、現実はまったくそれどころではなかった。


 金座キンザのギエモンさんの工房から霞ヶ堰カスミガセキの大久穂邸まで、時計ごと箱づめされて運ばれていくだけでもそうとうぐったりした。

 書斎に運びこまれてからは緊張も加わった。「カラクリ蟻右衛門の大時計が届いた」というので、家の者はもちろん、応接室からわざわざ二階に見にくる客もいて、気が休まるひまもなかったのだ。


 とにかく、姿勢を変えられないというのがどれほどつらいものか、立ちっぱなしでいるリョウマでなくても、それは十分すぎるくらい痛感した。


「そうか、今が貴重な活動時間なんじゃ」

 リョウマが時計の針を見上げていった。

 時計から出ていられるのは警備員の見回りの合間だけってことになる。


 リョウマはヒジカタが手に入れてくれた見取り図を見ながら、廊下の曲がり具合だとか、部屋の配置や使われ方を確認しにいった。

 いざというときの逃げ場の見当をつけておくためだ。

 おいらは手洗いを探し、まず水筒に水を補給した。

 それから、時計の台座からはずしてきたタンクの中に溜まっていたものを捨てて洗った。

 ギエモンさんは、身体の位置を変えなくても小用が足せるよう、ホースにつながった簡易トイレまで備えつけておいてくれたのだ。

 ボコイがめずらしそうにおいらの作業をのぞきこんでいた。


 リョウマがもどってくると、見回りが来る前に時計の中に急いでまたもぐりこんだ。

 中は意外に暖かい。

 内壁はワタを中にしこんだ弾力のある布地でおおわれ、ちょうど布団にくるまれている感じだった。

 それは、うっかり身体をぶつけても音をたてないための工夫でもある。

 最初の形ができてからさらに一〇日ほどをかけ、内部の居心地がすこしでもよくなるようにと、いろいろな改良や調整が行われたのだ。

 まったくいたれりつくせりだ。

 ギエモンさんにはいくら感謝してもしすぎることはないと思った。


「さっそくすごいことを聞いてしまったな」

 おいらはリョウマにむかってささやいた。

「ウム。大久穂も河路カワジも本気じゃ。まだまだどんなやつが現れるかわからん。できるだけ寝ておこう。体力をたくわえておかんと持たんぞ」

 リョウマの言葉に、おいらはもう夢うつつの心地でうなずいた。


 何よりもありがたかったのは、ふかふかの羽根まくらも用意しておいてくれたことだった。

 それに頭をあずけていれば、あんなに緊張感に満ちた恐ろしい場面を目撃した後でも、なんとか眠れそうだった。

 ボコイも大きなあくびをした。

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