第六章 3 火を噴く実験

 ボコイの火の噴き方――

 ギエモンさんのいちばんの関心事はそれだった。


 ボコイが吐いた最初の炎は、ほんの一センチほどの太さの黄色っぽい光の矢で、オルシア人の男の厚い胸板をたちまち突き抜け、直線的に夜空へと消えていった。


 クローク先生とヒジカタが拳銃と剣を突きつけ合ったときには、炎は火柱のような赤くて太い棒状に吹き出し、両方の武器をたちまち灼熱させた。


 千波道場の前でサナコさんや子どもたちの剣に取り囲まれたとき、彼らの眼をくらませたのは、白く強烈な輝きを放つ火の玉だった。


「そうすると、炎の形状や色はまったくまちまちなわけですな。もっといえば、その状況に合わせて、ボコイがとっさにそれば使い分けとるとさえ思える。クローク先生という方が『神意のようなものを感じる』とおっしゃったとも、あながち不当な見解とはいえんかもしれません」

 ギエモンさんはいちいちメモをとり、その場の状況や果たした効果といった注釈もふくめて、詳細な一覧表をつくり上げていった。


「ヒグマを脅して追っぱらったときは、ボコイ自身が大砲の弾のように飛んだんじゃ」

「うん。あのときは、猛烈な爆風が足元のクマザサを吹き上がらせたけど、炎のようなものはぜんぜん見えなくて、うすい煙が後を引いただけだった」


 リョウマとおいらは、ギエモンさんに問われるまま、記憶をたどり返しながら答えた。

 ワガハイは、興味津々のおももちで、おいらたちの会話をじっと横で聞いていた。


 翌日から田仲タナカ製作所で実験が始まった。

「職人はたいがい信用のおける者たちですばってん、昼間は客や出入りの業者がおります。気をつけるにこしたことはありません」

 ギエモンさんの提案で、実験はひと気の絶えた真夜中近くから行うことになった。

 さいわい、田仲製作所には、店の裏にキューポラを備えた溶鉱炉など、人眼につかずに危険な実験をおこなうことが可能な場所がある。


 マッチの代わりに小さな火をともしたり、タイマツ代わりの照明にするやり方は、孤島にいたときや北海堂を旅しているうちに、おいらが経験的に覚えていったものだ。


 球体に変身しても、何もしなければボコイは火を噴いてくれない。

 最初は表面をそっとなでてみることからはじめた。

 火を噴かせることに成功すると、つぎは炎の大きさを変えることを覚え、持続させる時間を調節することもしだいにできるようになっていた。


 武器にしようというような考えは、もともとリョウマにもおいらにもなかったが、いざというときの護身用に役立ってくれるかもしれないとは思った。

 それと、いったいどれくらいのことまで可能なのかという興味は当然あったから、人の眼がなく火事の心配もいらない北海堂ホッカイドウの原野や海岸などで、ときどき思い切って挑戦してみたこともあった。


「だけど、なんていうか、おいら怖くて……ボコイがどうかなってしまうんじゃないかとか……何かとんでもないことが起こるんじゃないかとか……」


 おいらがそのときの心境を正直に告白すると、ギエモンさんは深くうなずいた。

「わかりますよ、その気持ちは。おいやって、せっかく丹精して作り上げたもんば、最後の最後で粉々に壊してしまった経験が何度もあります。ましてや家族同然に寝食をともにしてかわいがっとる動物となれば、ね。無理ばさせることはやめましょう」


 ありえないことだが、これがショウザン先生だったらと考えたら、ちょっとブルッてしまった。

「徹底的に究明せねばならぬ」とかいって、それこそボコイをバラバラに解剖しようとしかねない気がする。

 ショウザン先生の前でボコイが火を噴く機会がなかったのは、幸運だったといえるかもしれない。


 最初は小さな火をともす実験から始めたが、ギエモンさんの驚きは大きかった。

「なるほど、これはすごい」


 球体への変身だけでも何回もくり返させ、その変化の過程のようすを克明に観察して書きとめる。

 炎の長さや温度を測ったり、おいらの手の動きをじっと見て火の大きさの調節方法をメモする。

 ギエモンさんは何ひとつとして手を抜かなかった。


「こんどはキンちゃんにやらせてみようか」

「エッ、わが輩がやってもいいんですか?」

 突然指名されて、ワガハイはたちまち眼を輝かせた。

「かまわんかね、言子さん?」

「う、うん、まあ……」

 おいらはしかたなくうなずいた。

 同じことが他の人間でも再現可能かどうかは科学的実験の大切なポイントだし、リョウマの手は大きすぎて微妙な操作はむずかしかった。


 ところが、ワガハイは勇んで挑戦してみたものの、変身させるのがやっとで、ボコイはうんともすんとも反応しない。

 よっぽど不器用なのか、それとも、さらったときのあつかい方が悪かったのでボコイに嫌われているのかもしれない。


「フム、この動物は人ば見るらしか。やっぱり言子さんやないと無理なようやな」

 ギエモンさんが苦笑しながらいった。

 ワガハイはがっくりと肩を落とし、おいらはホッとしてなんとなくうれしかった。


 ボコイの身体への負担を考慮して、大きくて強い火を吐く実験は、ちょっとでも火の勢いが弱くなったところを目安にその日は打ち切るということにしてあった。

 終わった後は、ボコイはいつもの倍か三倍近い量のイオウをポリポリといきおいよくかじった。


 実験は四日でほぼ完了した。

 ボコイが今まで起こした現象をひととおり再現するという当初の目標が、どこうにかこうにか達成されたからだ。


 オルシア人を火だるまにした殺人光線は厚さ一センチの鉄板さえ一〇秒ほどで貫通することがわかり、ボコイ自身が弾丸のように飛翔した突風の噴射実験では、ボコイを抱いたおいらは後ろでささえているリョウマごと後方に勢いよく吹っ飛ばされた。

 安全のために山積みにしてあったふとんに受け止められたおかげで、なんとかケガせずにすんだ。

 ギエモンさんは、その強力な噴気の威力にとくに興味をいだいたようだった。


「さて、あとは……」

「まだ何か残っちょるのか?」

「どれだけの大きさの火炎ば、どれほど遠くまで届かせることができるとか。こいばっかりは、狭い工場内で実験するとは無理だ……というか、そいは口実ですな。キンちゃんではないが、〝地球獣ボコイ〟が思い切り大きな花火ば打ち上げるとを、おいもぜひこの眼で見てみたいとです」

 ギエモンさんは、いたずらっぽく片眼をつぶってみせた。


 おいらに反対する理由はないし、リョウマはかえっておもしろがったくらいだ。

 もちろんワガハイも大乗り気だったが、そいつは無視することにした。


「しかし、山の手の六儀園リクギエン、そして尽地ツキジの海岸端ときたら、あとは適当な場所がありますかいのう。近頃東亰トウキョウに怪しい鬼火が飛ぶという噂が立って、とくに海岸端などは夜でも警官が見回りしているようじゃが……」

「そうですな。万が一火事など起こしてしまっては大変です。なるべく開けた場所で、何かに燃え移るような危険がないところやないといけませんな」

 いい出したギエモンさんも腕組みした。


「花火というならさあ……」

 ワガハイが横からニヤニヤしながら口を出した。

「なんだ、おまえには発言権はないんだよ」

 おいらはすげなくいった。

 海岸端でもう実験ができなくなったのは、もとはといえばこいつのせいだ。

「そうかい。いいアイデアがあるんだけどな」

「おいも玖州キュウシュウから出てきたばかりや。キンちゃんなら東亰の地理にはくわしかろうな」

 ギエモンさんに助け舟を出されて、ワガハイはここぞとばかりに身を乗り出した。


「うん。花火といえば、澄田川スミダガワさ。澄田川の大花火は、江渡エド時代からの有名な伝統行事だよ。どうせ人の眼は完全に避けられっこないんだから、確実に安全な場所でさえあればいいじゃないか」

「なーるほど。花火が上がる両石リョウゴクあたりなら、方角といい、距離といい、前の二か所とはぜんぜん無関係じゃ。さすがは江渡っ子のキンちゃんじゃな」

「あたりまえさ。だから、もうそのひどい呼び名はいいかげんに……」


 ワガハイがいいかけたときには、ギエモンさんはもうさっそく地図を広げようとしていたし、リョウマもまったく耳を貸していなかった。

 ワガハイの案が受け入れられたのはおもしろくなかったが、おいらはあいつがまだ当分〝キンちゃん〟を卒業できそうにないことで満足することにした。

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