第三章 4 刺青に隠された秘密

「これを見てください」


 ヒジカタはいきなり着物の上半身をはだけると、クルリと後ろむきになった。


「おお、刺青か。なかなか立派なものではないか」

 リョウマは眼を輝かせたが、おいらはびっくりした。


 男のたくましい背中には、墨色も鮮やかな魚の絵が描かれていたのだ。

 腰のあたりから両肩の間にむかって、大魚が身をくねらせて飛び上がろうとしている。

 細かい歯をむき出した口がねらっているのは、あわれな小エビだ。


 今にもパクリと食いつきそうな迫真の図柄はみごとなものだったが、奇妙なことに、小エビの先にさらに糸でつながった黒い塊が描き加えられている。

 孤島で釣りのまねごとをしただけのおいらでも、それが何であるかがわかった。


「どうして浮きがついてるんだ。この魚、釣られちまうのかい?」

「よくわかったな、お嬢ちゃん。眼の前にぶら下げられたエサにつられて、必死にあがいてきたわが身を自嘲したものなのだよ。自分には主義も思想もなく、命じられるまま、上の者に気に入られたいがために、部下を脅し、敵を刀にかけて殺してきた。その姿がいくら颯爽としていようと、けっして誇れるようなものじゃないということさ」

「それが、長い戦いの果てにおんしが悟ったことなんじゃな」

 リョウマは大きくうなずいた。


「いや、もっとよく見てください。背びれのあたりです」

 ヒジカタにいわれて、リョウマは魚の姿をあらためて眼でじっくりとたどり直した。


「そうか、背筋のこの白い線は……剣で斬りつけられた傷じゃな。浮きに見立てたほうの傷は、もしかして銃弾の痕か?」

「ええ。背中に受けた傷はふつう、敵に後ろを見せて逃げた証拠――サムライの恥ですからね。いちいちいい訳するのも面倒だから、刺青をして隠してしまったのです」

「実は逃げたのではないというんじゃな」

「そうなんですが、もっと恥ずべきことかもしれない。味方に後ろからやられたのです」

「なんと……」


 ヒジカタは着衣をもとにもどし、前に向き直った。

匣館ハコダテ戦争の最後は悲惨なものでした。降伏することに頑強に反対しつづけ、玉砕同然の突撃を命じたおれは、敵陣に達する寸前に味方の手で倒されました。おれを追い越していった者はそのまま武器を捨てて投降し、残りの者は散り散りに逃げ去ってしまったのです。瀕死の重傷を負ったおれを救ってくれたのは、敵方の人間でした」

「つらいのう。おんしの生き方を変えた経験というのは、それじゃったか」

「そうです。おれは、いつかそうなるような生き方をしてきたことに、そのときようやく気づいたのです。新殲組シンセングミは、紺藤コンドウさんの人望を慕って集まった仲間でしたが、おれは厳しい規律の徹底と罰則の容赦ない実行をもってその体制をささえていた。殺人機関をまとめていくには、生半可なやり方では不可能だったのです。実際、敵と戦って死んだ者の数より、脱走して斬られたり、隊規違反で切腹させられた者のほうが多いほどでした」

「なるほど、それが新殲組か……」

「しかし、エゾ共和国軍は、理想は高くとも新殲組とはまったく異質な組織でした。そうとわかっていながら、おれは自分のやり方をつらぬくことしかできなかった。その結果が、あの始末です。つくづく自分がいやになりました」


「そうしてなったのが、炭鉱労働者たちの指導者ってわけか」

「エッ。どうしてそれを……」

黒多クロダの馬車が走ってきたとき、おんしが似たようなうす汚れた格好の連中にいろいろ指示をとばしているのを見たのさ」

「そうでしたか」

 ヒジカタは唇をかんだ。


「連中が口々になじったり抗議の声を上げても、黒多はいっこうに動じたようすはなかった。それを見て、おんしはいかにも歯がゆそうな顔をしちょったな。さしずめ、おんしの命を救った敵方の人間とは、黒多のことじゃろう」

「そこまで見抜かれていたとは……。たしかに、黒多はおれを救い、手厚い治療をほどこしたうえに罪に問わず、ひそかに逃がしてくれさえした恩人です。しかし、そのことと、やつが北海堂ホッカイドウ経営と称してやってきたことはまったく別だ。数々の悪辣なやり方や、強欲きわまる私物化は眼にあまる」

「にもかかわらず、その以前のいきさつから、おんしは自分で直接抗議して出ることができんちゅうわけじゃな。まっこと、悩ましいことじゃ」

 ヒジカタは黙って無念そうに下を向いた。


「なあ、肘方よ」

 リョウマは呼びかけ、身体をぐっとテーブルの上に乗り出した。

「富国強兵政策や殖産興業の推進は、わしの見てきたラメリカ、ユーロピアの国々ではもっと広範囲の分野に、もっと高度に極まりつつある。日ノ本ヒノモトは、その後を追っかけはじめたばかりじゃ。矛盾はさらに大きく、ひどいものになるぞ。それがこの国の宿命じゃ」

「おれの抵抗など、無駄なあがきだというのですか」

「そうじゃない。黒多のごとき小悪党を相手に、それもまともにぶつかることもできずに戦おうというのは、二重に愚かなことだというんじゃ」

「では、どうすればいいのです!」

 ヒジカタはいらだたしげに問い返した。


「もっと大きな視点でものを見るんじゃ。もっと広い視野をもって世間を眺めろ。そこでおんしの役割を見つけるがいい。おんしには、それだけの才がある。そしてそれは、黒多なんぞのように勝ち組に入って浮かれちょる小才子より、ずっと純粋で、謙虚で、まっとうな動機をもった才能じゃ。それを活かすことを考えるんじゃ」

「なんだか雲をつかむような話ですな。だが、おれはやはりこういう人間だ――」

 着物に隠した背中を肩ごしに指さし、ヒジカタは自嘲するようにいった。

「眼の前のエサにとらわれてしまうのです。ともに苦労し、戦っている者たちの切実さを眼の当たりにすると、どうしても放ってはおけない」


「では、こうしたらいい。札保呂サッポロを――北海堂をいっとき離れてみるんじゃ。もっと広く、ほうぼうに多くの問題をかかえた日ノ本全体を見渡せる場所に立って、ぐるりと眺めてくるんじゃ。暗殺などといった陰湿で古臭い手段でなく、世の中を変えるもっといい方法を見つけてくるがいい」

坂元サカモトさん、あんた……」

 ヒジカタはゴクリとつばをのみ、眼を大きく見開いた。


「わかっちょる。黒多を殺す気じゃな。そこに立てかけてあるコモ包みは、おんしの愛刀じゃろう」

 リョウマは、ヒジカタのかたわらにあるワラを編んだ包みを指さしてつづけた。

「やめときな。理は自分のほうにあるとしても、それでは昔のおんしらのやり方と同じじゃ。日ノ本も今や法治国家じゃろう。殺人者は英雄にはなれんぞ」

「承知のうえです。覚悟はできている。こうしてあんたと会って話して、積年の後悔にも区切りがついた。ここらが年貢の納めどきです」

 蒼白な顔をして、ヒジカタは決然といった。


 リョウマは腕組みして、そんなヒジカタをしばらくじっと見つめていたが、ふと思いついたように口を開いた。


「肘方よ。おんし、今わしらとこうしておるってことは、襲撃するのは夜がふけてからのつもりじゃろう。じゃったら、その前に今夜、わしと決闘しようぜ――」

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