第二章 4 不意の襲撃
おいらたちは知らなかった。
その夜、闇にまぎれていくつもの人影が島に上陸してきていた。
おいらたち以外に人がいるなんて思ってもみなかったから、まったく警戒していなかった。
何度めかにおいらが起き出したときだった。
雨上がりの雲間に水平線の近くを渡っていく青白い月が輝き、強風に震える短い草の波を照らし出しているばかりだった。
用をすませてもどり、戸を開けようとすると、いきなり背後から押さえつけられた。
小屋の両側からたちまち五、六人の人影が現れ、戸口に殺到した。
シンバリ棒がはずされている板戸は、屈強な男のひと蹴りであっけなくふっ飛ばされた。
「リョウマ!」
寝起きの悪いリョウマも、突然起こった騒音とおいらの悲鳴でたちまち飛び起きた。
とっさに剣を引き寄せ、つかに手をかける。
「◎■△〇!」
最初に中に踏みこんだ男が警告するように何か叫び、大ぶりのナイフの刃をおいらの首筋に突きつけた。
おいらは毛むくじゃらの丸太みたいな腕に抱き上げられ、身動きひとつできない。
リョウマは刀の鯉口を切ったものの、それを見て唇を噛んで立ちすくんだ。
その間に、ほかの者たちがドヤドヤと入ってきた。
リョウマに銃口をすえる者もあれば、大きな鉄棒をかまえて威嚇するやつもいる。
残りの者は、すぐにおいらたちの荷物や捕鯨船からもらってきたものを手当たりしだいにあさりはじめた。
暖炉の残り火に照らされて、狭い小屋の壁に化け物どもが飛び跳ねるような不気味な影が踊った。
ナイフを持った男は、リョウマにむかってさかんに大声で牽制している。
かろうじてオルシア語らしいと聞き分けられたが、意味はさっぱりわからない。
だが、どうせ「動くな」とか「子どもを殺すぞ」とかいって恫喝しているにきまっている。
そのとき、視界の端に何か小さなものがすばやく壁をはい上るのが見えた。
男たちは、ネズミか何かだろうとタカをくくっていた。
つぎの瞬間、ナイフの男の真上に天井からボコイが飛びかかった。
頭に乗ったボコイに顔をめちゃくちゃにひっかかれ、男がたまらずナイフを取り落とす。
同時にリョウマの剣がひらめいた。
刀の背で銃口をはね上げると、返す刀で鉄棒の男の腕をなぎ払った。
血しぶきが飛び、小屋じゅうに絶叫や怒鳴り声が交錯した。
ボコイがすばやくおいらをつかまえている大男に飛び移った。
両手がふさがっている男はそれをよけきれず、高い鼻っ柱に噛みつかれて悲鳴を上げた。
おいらは自由の身になったものの、負傷した者やリョウマの剣に怖れをなしたやつが先に出口のほうへ後退した。
外へは逃げられず、暖炉のわきに立つリョウマのところへ走った。
ボコイはおいらの胸にしがみついてきた。
おいらたちが一か所に集まったことで、襲撃者たちがぐるりと周りを取り囲むかっこうになった。
リョウマの剣を警戒して、こんどは全員が手に手に武器をかまえ、ジリジリ接近する。
リョウマは、狭い小屋の中では思うように剣を振り回すこともできず、相手との距離も近すぎた。
すぐ横にはおいらもいる。
どこから攻撃されても対応可能な防御に徹するしかなかった。
だが、いっせいに飛びかかられてしまえば、最初の一人か二人を斬ってもあとの攻撃は防ぎきれない。
ボコイが奇妙な動きをしたのはそのときだった。
頭からクルリと丸まると、さほど大きな突起でもなかった背中の甲羅のようなものが広がり、たちまちボコイの全身をくるみこんでしまったのだ。
一瞬にして、その形は元のボコイとは似ても似つかない卵型をした黒い球体へと変わっていた。
おいらの服の胸に引っかけていた爪がはずれ、手の中にころりと落ちてきた。
外敵に襲われたり危険を察知したりすると、硬い甲羅や殻の中に首や手足を引っこめてしまう生き物がいる。
まさにそんな感じだった。
ところが、ボコイの突然の変貌はそんないじましいものではなかった。
つぎの瞬間においらの腕の中で起こったことは、まさに驚くべきものだった。
ちょうどそのとき、ナイフを拾い上げた男が、ボコイにひっかかれた傷だらけの顔に憎々しげに歯をむき出しながら、ずいっと一歩踏み出そうとしたところだった。
おいらの胸の前で黄色とも朱色ともつかないまぶしい輝きが発したと思うと、その光はナイフの男の胸板に吸いこまれた。
と思うと、たちまちその身体を突き抜け、すぐ後ろにいたひげヅラの大男も軽々と弾き飛ばすと、光の矢は開け放たれた戸口から漆黒の闇の彼方へとまっすぐにひらめいて消えたのだ。
その爆発の反動で、おいらはボコイをかかえたまま後ろの暖炉のわきへ転がった。
いったい何が起こったのか――?
「グワワワワワァッ!」
ナイフの男は驚きに眼を丸く見開き、苦しげに胸を押さえてわめいた。
その指の間から、なんとブスブスと煙がもれている。
背中からは炎さえ吹き出してきた。
戸口に倒れた大男は服が燃え上がり、もじゃもじゃひげにも火がついた。
異様な状態でのたうちまわる二人を眼にして、仲間たちはたちまち恐怖にとりつかれた。
武器や奪ったものを放り出し、先を争って外へ逃げ出した。
「な、何が起こったんじゃ?」
敵に気をとられてボコイが起こした奇跡を見逃したリョウマは、当惑してふり返った。
「いや、あの、その……」
おいらにはとても説明できなかった。
ボコイは、倒れたおいらの胸の上で、また魔法のようにクルリと回転して元の姿にもどった。
「いや、待て。そんなことは後まわしじゃ。ここでぐずぐずしちょったら、おれたちもこいつらみたいに丸焼けになっちまうぞ!」
リョウマがわめいた。
二人のオルシア人の身体から吹き出した炎は床に散乱した枯れ草に燃え移り、たちまち燃え広がった。
早くも壁を火がつたいはじめたところもある。
もう一刻の猶予もなかった。
おいらはボコイを抱きしめ、リョウマは刀のさやごとおいらをわきにかかえ上げた。
今や炎の塊と化している二人の男の身体を跳び越えると、リョウマは戸口から飛び出した。
リョウマは油断なく周囲を見まわしたが、下の入江のほうへ向かう入り乱れた足音と怒鳴り合ういくつもの声が聞こえた。
リョウマはおいらを横抱きにしたまま、入江を見晴らせるところまで走った。
ザブザブと水に入っていく音がして、ボートが一艘、島の外へつづく水路へと漕ぎ出したところだった。
月明かりで五つの人影が見分けられた。
「あれで全部だ。もう敵は残ってないよ」
おいらがそれを確かめると、
「ああ」
とうなずいて、リョウマはようやくおいらを地面に下ろした。
やつらが乗ってきた船は沖合いにでも停泊しているのだろう。
水の補給に立ち寄ったかしておいらたちの存在に気づき、ついでに襲ってやろうということになったのにちがいない。
いずれにせよ、もう二度と襲撃してくることはないだろう。
ホッとしたのもつかのま、背後をふり返れば、小屋はもう盛大すぎるほどの猛火に包まれていた。
かろうじて救い出せたのは身体ひとつ。
荷物や着替えはおろか、毎日少しずつたくわえてきた食料も燃料も、すべて焼きつくされようとしていた。
小屋のほうにむかって歩きだそうとしたが、身体がまるで自分のものではないように感じられた。
力がまるで入らず、その場にクタクタとへたりこんでしまった。
それが〝絶望〟というもののせいだということを、おいらは生まれて初めて知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます