断罪2


「何が忠臣だ! 主の行いを正すのも忠義だろう!!」


 詰られたカラムは私もサラも主であるヴィオールすら見ることができずに絨毯に視線を落とす。ヴィオールはそれを不快感も露わに眉を吊り上げ、カラムの肩を叩く。


「ふん、下級貴族のくせに偉そうに覇道を説く愚かな父と同じだな。カラム、惑わされるなよ」


 手合わせにおいてはなにがあっても壁のように微動だにしないという印象だった男は、主への忠義と良心の葛藤に揺れていた。


「確かに父の受け売りだ。だが父はいつだって正論を説き、人道に篤く、民に慕われ街を繁栄に導く領主だ!」


――自らが煩わしいと思う場所へ、お前の自己満足であの子を引きずり込むつもりか。傷つくのは、お前だけでは済まん。


 そう。

 あの人はいつだって正しい。

 あの忠告だって。


「父は衰退する王家を見捨てることなく苦言をも呈してきた真の忠臣だろう!! その父を煙たがり、嘲り笑うばかりか……こんな、卑劣な――……!」


 苦い思いを噛みしめて腕の中のサラに視線を落とすと、それ以上の言葉が出なかった。

 左手の薬指にある指輪を守るように右手で包み込み、小さくふるえながら短剣の切っ先を凝視しつづけている姿は、あまりにも痛々しい。


 甘かったのだと歯噛みする。

 1年前、貞操より領主の顔を立てることを選ぼうとこの男に言い寄られるままだった彼女は、今度は領主の体面を保ち貞節を守るために死を選ぼうとした。

 剣を見ることすら怖いくせに、剣を握り、その刃を自分に向けた。

 その決意を思うと、目頭が熱くて、喉が震える。


――あなたのためなら、命すら惜しまない。


 サラはあの時の誓いに殉じようとした。

 私は、サラにそんな決意など要らないと笑ったくせに。

 父の忠告に、それでも幸せにすると応じたのに。

 こんな罠に掛かって、こんな酷い目に遭わせてしまった。


 必ず守ると、誓ったのに。


(……誓ったのに!!)


 身の内に渦巻く後悔に、知らず短剣を握る手に力が籠もる。と、ヴィオールはなにを思ったか、騎士団長という盾の奥に隠れた。


「わ……私は――だ、騙され、そ、その女が私を貶めようと企てたんだ――」

「この期に及んで、サラに汚名を着せようというのか!」


 苦し紛れとしか思えないオドオドとした言い訳に、どれほど押さえようとしても押さえきれない怒りが沸点に達する。


「サラがどれほど切な決意で自害しようとしたと思っている!!」


 サラは頑固で意地っ張りだし、王弟もたじろがせるほど剛胆だけど。

 だけど虚勢を張れるだけで、実際はなんの力も持たないかよわい女の子に過ぎない。

 怖かったはずだ。

 剣も。死も。暴行も。

 どれもが絶対に怖かったはずだ。

 ただ私を守りたいという一心でその恐怖を押さえ込んで、自害しようとした!


 その決意すら愚弄しようとする男に対する怒りのあまり、抱き寄せていたサラを手放し立ち上がった。

 瞬間、サラが心細そうに見上げて私の手を掴み止めようとしたが宙を掻いたのを視界の端に捉えた。潤んだ瞳は行かないでと訴えていて、ちくりと心が痛んだ。


 刹那の迷いはあったが、最終的には怒りがまさる。

 振り切るように木偶の騎士団長の脇をすり抜けるとヴィオールの胸ぐらを掴んで床に押しつけ、短剣の切っ先を心臓の上空に構える。


「これほど健気なサラの決意を理解できない貴様など――生きる価値などない!」

「ひっ!」


 ヴィオールの顔は恐怖でひきつった。


「わ、私に刃向かえばどうなるか、わかって――」

「どうなろうと、構うものか」


 おそれも迷いもひとかけらもない宣言に、ヴィオールは絶句する。


「サラは私を守るために命を捨てようとしたんだ。保身で怯んでなどいられるか!」


 はだけたガウンからのぞくひょろりと痩せた男の胸にぴたりと剣先を押し当てると、そのひやりとした感触に血の気を引かせ、ひぃと悲鳴を上げたのを最後に言葉を失う。


「ヴィオール様!!」

「――動くな!」


 主の危機にさすがに動いたカラムを剣を向けて制する――だけのつもりが、扱い慣れない短剣の軽さに、その右腕をかすった。

 当人はかすかに眉をしかめただけで呻くこともしなかった――この程度の傷など訓練で日常的に負っているはずだ――が、パタパタと数滴落ちただけの血に、ヴィオールが人殺しだのなんだのと喚いて酷く耳障りだった。

 その声が酷く不快で、逆に心が冷えていく一方だった。


 罪悪感は微塵も湧かなかった。

 サラが味わったであろう恐怖に比べれば、あんなかすり傷がなんだというのか。


「喚くな。自分達がサラにしたことをもう忘れたとでも言うのか?」


 怒りに満ちた冷ややかな言葉に男達は沈黙した。


 足りない。

 騎士のくせに弱者を押さえつけるような卑劣漢の罪が、あんなかすり傷ひとつで、贖えるはずがない。

 王の権利を振りかざしてそれを命じたり、怯える少女を嬲ることに喜びを見いだすような男が――。


「シオン!!」


 地獄の縁に立って見下ろすような昏い思想を諫めるように私の名を叫んだのは、サラの声だった。

 はじめて、サラの声を、言葉を、聞きたくないと思った。


(今は……今だけは!)


 意識の外にサラの声を閉め出して、ゆっくりとヴィオールの心臓に剣を向けた直す。


「こうすれば貴様にも、自分の胸に剣を向けたサラの気持ちが少しは理解できるか? ……そのほうがマシだと言ったサラの気持ちを、微塵ほどは理解できるか!」


 男の胸に当てる剣が針を刺したほどの小さな傷を作り、男がひっと小さな悲鳴を上げ、目を回したところで――私の腕を、細い手が強い力で留めた。


「シオン、もうやめて!」

「君はこんな奴らまで庇うのか! お人良しにもほどがある!!」


 必死に腕を留めようと縋りつくサラに――その後ろには腕の傷をミントグリーンのドレスの切れ端で一応の止血処置を施されて困惑しきりのカラムが見えて――つい声を荒げてしまう。


「違う。こんなことをしては、あなたが傷つく」


 意外にも静かな、諭すような言葉に理解が追いつかず、ただ手を止め若草色のまっすぐな目を、見つめ返した。


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