断罪1



「この身はシオン様のものと誓ったのです。その誓いを果たすことが許されないくらいなら、今ここで自害します!」


 しどろもどろで要領を得ないエミリア様からようやく自供を引き出し、顔色を失って廊下で泣いていた侍女メイドをほとんど脅すようにして扉を開けさせた時に漏れ聞こえてきたのは、断固としたサラの決意の言葉だった。


「本気で……言っているのか……?」


 毅然としたサラの言葉と対照的にたじろぐ気配が滲むヴィオールの声に、かすかに笑みがこぼれた。


(王弟を圧倒するとは、恐れ入る気の強さだな)


 わずかに安堵し、状況を確認する程度には気持ちに余裕ができる。

 今の張りつめた言動から迂闊に踏み込んで驚いた拍子にうっかり自害されても困るし、気取られてヴィオールに先手を打たれるのも癪に触る。

 見渡した部屋は薄暗い。

 ベッドの天蓋は下ろされ、蝋燭の明かりでゆらめく人影が3つ映し出されている。

 痩せた男と体躯のいい男が手前に立ちすくみ、その奥の影がサラだろう。

 幸い、いまだ3人は私達の侵入に気づいた様子はない。

 エミリア様とヴィオールの息がかかった侍女は扉を開けたままで手を取り合って言葉を失っていた。おそらく彼女らが動くことはないのだろうが、それでも騒ぎ立てて刺激しないようにと小声で指示してから足音を潜めてベッドに近寄り、そっと天蓋をめくる。


「もとよりあの方の誓いに殉じると誓った身。シオン様やヒース様にご迷惑をおかけするくらいなら、このしがない命でもあの人のために捧げることができるなら、悔いも躊躇もありません!」


 壁を背にし、切り裂かれたドレスを左手で必死につなぎ止めたサラは、涙が滲みつつも強い目で男ふたりを睨み付け、自らの胸に短剣を突きつけていた。

 今にも自分の胸に深々と短剣を刺してしまうのではないかと肝を冷やすほどの気迫――いや、サラは気迫ではなく本当に一片の躊躇もなくやりかねないから恐ろしい。


「そんな……虚勢を……」


 だらしない格好のヴィオールこそ、その様子でも必死に虚勢を張っているのだろうと思われた。


「…………っ!?」


 言葉もなく唖然とした体躯のいい男のほうの首根っこをまず後ろから掴んでベッドから投げ落とす。突然のことに目を見張っていているヴィオールも襟を掴み――今すぐに殴りたいのは山々だがひとまずはサラの安全確保を最優先して――こちらもベッドの外に投げ落とす。

 びりりと派手な音をたてながら破れる天蓋を巻き込んで床の絨毯に倒れ込んだ男たちはひとめ私を睨み、続いて悲鳴を上げたエミリア様と侍女を見やり、苦い顔をした。


「………シ……オン?」


 息を詰めていたサラは、ぱちりと目を瞬かせて投げ飛ばされた男達を見てから、吐息のようにかすかに私の名を背中に投げかけた。

 その声には安堵と失意が同時に滲んで、ドレスの胸元をつなぎ止める手が、短剣を持つ手が、痛々しいほど震えはじめる。


 目を覆いたくなるほど痛々しい姿に、大丈夫かと問うことすらできなかった。

 どうせ聞けばサラは嘘でも大丈夫と答えるに決まっている。だが、その細い両腕には手の形がわかるほどくっきりした痣が、首にも、腕にも、赤い斑点のような痣があちこちに残っている。ドレスはあちこちが無惨に切り裂かれて、特に幾筋も切り裂かれたスカートにおいてはどんなに隠そうとしてもそのほっそりとした脚線を隠すことはできていない。スカートの裾に赤黒い染みがあることに一瞬ぞっとするが、香りで葡萄酒だとわかって少しだけ胸をなで下ろす。

 腕には、刃物でひっかかれたような傷がある。傷口から滲む血が玉のようにじわりと膨らんでいくところを見れば、それはまだ新しい。


 およその状況は想像にたやすい。

 1年前の報復としてサラを辱め、私を笑い者にしようという魂胆だったのだろう。しかしサラは身を呈して私を守ろうとした。

 父から庇おうとしたあの日と変わりなく――否、むしろいっそう強い決意を秘めて!


「私は……こんなふうに君を追いつめ死なせるために婚約したわけではない! 私は一緒に生きてほしいと願い、君はそれを了承したのではなかったのか!!」


 押さえきれない激情を叩きつけられて目を丸めているサラの手から短剣を毟り取り、外套コートでその見るに耐えないほど哀れな姿を包む。


「……ごめんなさい」


 外套の襟を握りしめ、そのぬくもりに頬を寄せたサラは、絞り出すような小さな声で呟き、かすかにほほえんだ。

 ギシ、と胸が軋んだ。

 胸が千切れるかと思うほどに。

 勢いでつい責めてしまったが、そんな死んだほうがマシだと本気で決意をするほど辛い目にあったばかりなのに。

 どうしていつも酷いことを言ってしまうのだろうかと、己の短気を呪う。


「……怒鳴って悪かった。君が謝ることではないのに」


 謝罪すると少し表情が和らいだサラの肩を抱き寄せる。

 細い肩はひやりと冷たくて、小さな痣が視界に入ると、もう、泣き出したいほど切なかった。

 けれど今は泣いている場合ではない。

 魂が抜けたようにぺたりと座り込んだままの、本当にサラに謝罪すべき男達に意識を向けた。


「殿下、1年前に我が居城で紹介したと思いますが、もう一度紹介が必要ですか?」


 くるりと手の中で短剣を弄びながら、男たちを睨む。


「彼女はこの私、シオン・イグナスの妻となる女性――名はサラ。律儀で慎み深いが……しかし躊躇なく自害するほど剛胆な我が妻に、言うべき言葉はないのか?」


 途中から言葉が荒くなっている自覚はあったが、こんな卑劣極まる男に敬意を取り繕うのも腹立たしく、訂正する気にはなれなかった。


 ヴィオールはひきつった顔のまま、私の持つ短剣を見つめて言葉を失っている。


 この短剣はおそらくサラを盾にして私を牽制するために準備したものだろうが、私がいなくてもドレスを切り裂かれているところを見ると、この男はそういった残虐な性癖もあるのかもしれない。

 だとしたら、サラはどれほどの恐怖を味わっただろう。サラは剣を見ることすら怖がっていたのに。

 サラに剣をつきつけて脅す――その様を想像すると、サラの目の前ではとようやく押さえている殺意を解き放ってしまいそうで、思考を切り替えるためにもうひとりの男に視線を移す。


 その、もうひとりの男を見て、一瞬我が目を疑った。


 忘れもしない、その男の名はカラム・デジェル。

 社交会にはあまり顔を出さないから会話したことはほとんどないが、去年の競技会の決勝で私の優勝を阻んだ男だった。

 屈指の強さと人望で若くして騎士団長に任命され、《グラドの盾》と称される堅実な男と聞いていたし、怠慢甚だしい騎士達の中で唯一手応えのある男だと思ったのに!


「カラム……もう少しまともな人間かと思っていたが、かよわい女性に男二人掛かりで――ましてや王弟と騎士団長が――暴行を加えるなど、騎士の名誉が、国の威信が廃るとは思わないのか!!」


 怒りに、声が震えた。

 今にも殴りかかりたいと求める拳を、サラを強く抱きしめて押さえた。


「はっ、デジェル家は代々王家に仕える忠臣だ。そんな世迷い言に惑わされるものか」


 誇らしげに鼻を鳴らして答えたのはヴィオールだ。

 カラムは押し黙り、サラと、サラの手首の痣を静かに見つめた。


 完全に開き直っている主人とは違い、自分の行いを恥じる程度の良心は持ち合わせているらしい。

 だが――それだけで許せるほど、私は寛大ではない。


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