父と子1




 主役であるからか化粧直しをしたからか、シオンは最後だったらしくお兄様方とその奥方様とお子様方は既に席について談笑を繰り広げている声が食堂の扉の前に立つと聞こえた。


「大丈夫、兄上達もきっと君のことを気に入ってくれる」


 緊張で足が固まってしまった私の手を取りながらシオンは言ったけれど、幾分緊張しているように見えるのは気のせいだろうか。

 けれど否応なく、食堂の扉は開け放たれる。

 食堂には燦々と昼下がり日の光が降り注いでいて、細長いテーブルの上に私が届けた花が飾られているのを照らし出していた。それだけでも気恥ずかしいような気がして、お兄様方の顔を見るより先に俯いてしまう。


「お。主役がきたな」

「シオンおにーさまー!」


 手を引かれて俯いたままテーブルに向かって歩いていると、気さくに声をあげた青年が立ち上がる音がした。続いて元気のいい子供の声と足音、行儀が悪いと窘める女性の声――。


「ねぇあそんでー!」

「食事の後なら喜んで」

「おたんじょうび、おめでとうございます」


 真っ先に駆けつけてきた幼い貴公子――おそらく4才くらい――はそのままの勢いでシオンに抱きついた。私の手を離したシオンは少年を抱き上げ、続いて6才くらいの小さな淑女がスカートをつまみ上げて挨拶を述べ、なんともかわいらしい。

 お子様達に頬を緩めている間に貴人方に囲まれていた。


「誕生日おめでとう、シオン。おまえも19か、この間まで甘えん坊のお子様だったような気がするのになー」

「私が物心つく頃には兄上達がここを離れたせいでそう感じるだけでしょう?」


 朗らかに笑いながらシオンの背中を叩いたのは、次兄のセオス様だ。シオンの口調はいつもより堅いけれど、でも笑みはいつもどおりの穏やかなものだ。


「相変わらず中身が伴ってないのに無駄に歳ばかり重ねている」


 続いてヒース様によく似たいささか厳格な空気をまとう長兄アゼル様が苦笑混じりに祝辞と思われる憎まれ口を述べながらシオンを小突く。

 彼らに続いてそれぞれの奥方様とお子様達も、隣にいる私に会釈してからシオンに祝いの言葉をかけていく。

 ふたりの兄もその妻子も、その間ずっと私がシオンの隣にいることに嫌な顔ひとつしなくて、幾分胸をなで下ろしながらそれを聞いていた。


「それで、君が噂の?」


 一通りシオンに祝辞をかけ終わった後、改めて私に目を留めて呟いたセオス様にシオンが盛大に眉を寄せ、セオス様は朗らかな笑みに苦みを走らせた。


「あぁ、ごめん。悪気はないんだ。とても綺麗な子だという噂だけど噂に違わないなと思ってさ」

「この街で花屋を営んでいるディアとナタリーの娘でサラと申します」


 教わった通りにドレスをつまみ上げ畏まった挨拶を口にするが、氏がないのでどうにもちぐはぐな感じがしてしまう。それに緊張からどうしてもギクシャクしてしまって、おそらくは先程シオンに挨拶したご令嬢のほうがよほど優雅だっただろうと思う。

 居心地悪い思いをしている私をまじまじと見つめたセオス様は、にっこりと笑った。笑った顔が少しシオンに似ていて、いくらか胸をなで下ろす。


「どことなく、母上を思い出すなぁ」

「母上のドレスを着ているせいだろうな」

「あぁ、そうかそうだ!」

「え……このドレス、サーシャ様のものだったんですか?」


 唐突にアゼル様が口を挟み、セオス様はぽんと手を打った。

 どこから用意したのかと思っていたが、まさかシオンが生まれた時の産褥の床で亡くなったというサーシャ様の持ち物だったとは。


「確かにそのドレスも髪飾りもネックレスも全部、父上がとても大事に保管していた母上のものだ」

「……お借りしてもよろしかったのでしょうか?」


 死後19年も遺品がこれほど綺麗に保管され続けているということは、それだけ大事にされてきたということだ。

 いくら急な話だったとはいえ、私などに着せてもよかったのだろうか?


「父上に許可は取ってあるんだろう?」


 萎縮している私と、どこか威圧的な空気の漂うアゼル様に見つめられたシオンは破顔する。


「許可を取ったというか、父上が使えと」

「それはまた、父上もずいぶん君がお気に召した様子だなぁ」

「ははは、セオスは昔母上の遺品に触って随分怒られていたな」

「母上と言えばさ――」


 昔話に花を咲かせて笑いあう3兄弟は、決して仲が悪いようには見えない。

 ……けれど、なぜだろう。

 わずかな違和感を覚えた。


 歳が離れているせいだろうか。

 それとも、亡き母の思い出をシオンが持っていないせいだろうか。


 シオンとふたりのお兄様達の間には、薄い水の膜が張っているような、ごくわずかな隔たりがあるように、思えた。

 シオンの言葉遣いがいつもより畏まっているのはそういうものなのかもしれないけれど、お兄様方と話しているときよりさっきティナと話していた時のほうがずっと楽しそうに見える。

 そういえば最初に会った時、歳の離れた兄達よりティナ達を家族のように感じて育ったと言っていたけれど……。


 考える間に給仕が食事を運びはじめ、執事が席につくように促した。

 全員が席につきすべての席が埋まったのに、ヒース様の姿がないことに気づく。


「シオン様、」

「兄上達には気を遣わずシオンと呼んでくれ」


 いつもは上流階級の人前においては訂正を要求されないし、自分だって畏まって話しているくせに、今日はいつもより苛立たしげだった。


「……ヒース様の姿が見えないのだけど……?」

「あぁ、あの人は多分執務室で仕事をしている。いつものことだ」

「いつものこと?」


 思わず聞き返してしまった。

 ヒース様の人柄ならば急務があれば息子の誕生日より仕事を優先させそうだとは思うけれども……いつものこと?


「例年誕生日には私に休みをくれる代わりに父上は仕事をして、顔も見ない。贈物とカードが一方的に部屋に届けられるだけだ」


 にわかには信じられなかった。

 ヒース様は口数は少ないけれどとても実直で優しくて、細やかな気遣いができる人なのに。


「……父上にとっては息子の誕生日である以上に妻の命日で、私の顔も見たくないんだろう」


 けれど食前酒に口をつけているシオンの笑顔の中に潜む寂しさを嘘や冗談のようにも思えず、言葉に詰まってしまう。


「だから代わりに兄上達が毎年帰省して祝ってくれる」


 シオンは時々ヒース様のことをあの人と他人のように呼ぶ。以前は厳しくて冷たい人だとばかり思っていたとこぼしたこともあった。

 急に、それが現実味を帯びて聞こえ、ひやりとしたナイフの刃を押し当てられたような気分がした。




「このお花、とってもキレイね。なんていうお名前なのかしら?」

「サラに聞くといい。これは全部彼女が育てた花だから」

「このお花、全部そちらのお姉様が育てたの?」

「そうだよ、すごいだろう?」


 不意にセオス様のお嬢様が尋ねてきて、シオンが自分のことのように朗らかに胸を張った。

 結局侍女達が飾り付けをした本日の花のメインは薄紫の一重の楚々とした花――シオンだ。


「ありがとうございます。この花の名はシオンといいます。シオン様の名前とお揃いなのでこの日のために育てました」

「このお花、シオンお兄様とお揃いなの!」


 少女はきらきらと目を輝かせて、羨ましそうにシオンを見上げた。


「ねぇねぇ、花言葉はなに?」


 お嬢様でも街の女の子でも花を愛でる心は変わらないものなのだろうと思えるかわいらしい質問に、自然と口元が綻ぶ。


「シオンの花言葉は『君のことを忘れない』とか『遠くにいる君を思う』です」

「……君のことを忘れない、遠くにいる君を思う……か」


 シオンは目を伏せて珍しく自嘲の笑みを浮かべた。


「それを知っていてつけた名ならば、君とは母上のことだろうな。母上の命を奪って生まれた私に、母上への想いを背負えと」


 その呟きに、ふたりのお兄様方が揃って軽く目を伏せたような気がした。


「………そうなのですか?」


 いつも朗らかなシオンらしくない呟きに、気がつくとお兄様方に問うていた。


 本当に、そうなのだろうか。

 いくら亡き妻が大事だったとしても、その死を息子の名に背負わせるなんて。


――母は自分の命と引き替えに私を産み落とした。


 あの時シオンの言葉に滲む寂寥に、生まれなければよかったと思っているのだろうかとうっすら思った。

 そんなわけないと、思っていたけれど。


「名の由来は知らなかったな。興味がなかったというか」

「そうだな。あの頃は母上を亡くした悲しみに、シオンを避けていたからな」


 薄かった水の膜が、ぐっと厚みを増したように思えた。


「12歳と10歳の子供が母親を失ったんだからからそれも仕方ないだろう。今はこうして誕生日の祝いに帰省してくれたり、とてもよくしてくれてる」


 シオンは飄々と笑って、お兄様方を庇った。

 それがなおさら、もの悲しかった。


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