第48話 魔国


 邪竜と戦った禿げ山とは打って変わって、青々とした緑に彩られた小高い山々が目に映る。

 清々しい風景に心癒されつつも、俺は装甲車を走らせている。

 ところが、和んでいる俺の隣は、色々と騒がしい状況となっていた。


「なんじゃと! ミストニア軍を壊滅させたのは、お主達じゃったのか?」


「そうニャ!」


 装甲車を運転する俺の左側には、いつものラティではなく、彼女を膝の上に座らせたクルシュが収まっている。

 その横に設置された補助席では、自慢げなロココがテルン平原での戦いについて語っていた。

 クルシュの膝上に座るラティはといえば、どうやら話にも飽きたようで、コクコクと船を漕いでいる。


「迫りくるモンスターを軽々と始末したら、今度は死人がウヨウヨとやって来たニャ。それをサクッと始末して、逃げ惑うミストニア兵に引導を渡してやったニャ」


 おいおい。なんか、みんなじゃなくて、お前が一人で片付けたみたいな話になってないか?


 千切っては投げ、千切っては投げ、みたいな展開になっているのを聞いて、少しばかり呆れて肩を竦めてしまう。


 まあ、面白おかしく話したいんだろうな。好きにさせとくか……てか、語尾が戻ってるし……


 嬉しそうに戦いの場面を語るロココを見やり、他愛もない話だと聞き流すのだが、真面目な表情で耳を傾けているクルシュは、どうやら真に受けているようだ。


「そうじゃな、お主達なら容易いことじゃろうな」


 クルシュは眠りに落ちそうなラティの頭を優しく撫でながら、ロココの話に感心している。

 その雰囲気からして、クルシュは姉の面影を残したラティを愛おしいと感じているようだ。

 そんな彼女の眼差しに、ついつい好感を持ってしまう。

 ラティの方も「お母ちゃんと同じ匂いがするっちゃ」と言って懐いているし、彼女に親族が残っていて、本当に良かったと思う。


 ラティが魔王の血を引いている知ったあと、クルシュから邪竜討伐に出向いた経緯を簡単に聞かされた。

 ぶっちゃけ、ろくでもない臣下だとは思ったが、俺には関係ないので、それには触れなかった。

 ただ、そのままクルシュを放置する訳にもいかず、色々と話し合った結果、臣下の遺体を持ち帰りたいという彼女の気持ちを汲んで、一路、魔都へと向かうことにした。


「それにしても、あの邪竜は、いったい何者だったのかのう。人の姿に変化しおったし……いや、どちらが本当の姿だったのやら」


 クルシュが訝しげな表情で首を傾げるのだが、実は、俺もそれが疑問でならなかった。

 奴の口からでた神族という言葉が、異様に気になるのだ。

 エルソルを知っているかのような口ぶりだったし、最後は満足して逝ったように思えて、余計に不可解に感じている。

 俺とエルソルの関係については、ロココ以外の誰にも話していない。申し訳ないがエルザ達にも話していないし、これからも話すつもりもない。

 だいたい、神に関わってもろくなことはないのだ。だって、触らぬ神に祟りなしっていうだろ?


 それはそうと、俺には、もう二つの疑問がある。

 一つ目は、俺も神族だと言ってきた奴の発言。

 二つ目は、ラティに危険が迫った瞬間に起こった時間停止だ。

 神族については、考えても無駄そうなので棚上げするとして、あの時間停止は何だったのだろうか。


 俺の固有能力には、そんなものはないんだが……


 そう思ってステータスを確認したら――


 なにーーーーーーーーーーーーー! こ、固有能力が変化してるーーーーーーーーーー!


 ――ありました……


 そう、『空間制御』がなくなり、『時空制御』が増えていた。

 その内容を確認しようとしたところで、危うく装甲車を脱輪させそうになり、ラティ、ロココ、クルシュから怒られてしまった。

 よって、とても気になるが、あとでゆっくり確認することにした。脇見運転事故の元だ。気をつけないとな。


 それにしても、固有能力が変化するなんて聞いてないぞ!


 心中で愚痴を吐き出すと、久々に音声ヘルプのエルが登場した。


『それは、あなたの強い願いが形となったのです』


 う~~ん、全く意味が解らん。てか、ご都合主義もはなはだしくないか? だって、願うことで固有能力が増えたり変化したりするくらいなら、誰でも固有能力に目覚めそうな気がするぞ?


『それは不可能なのです。なぜなら、固有能力とは、神の力ですから』


 またまた言っていることの意味が解らない。だって、もし固有能力が神の力なら、能力者は神になるじゃんか……


『良いでしょう。丁度良い機会だとも思えますから、少し説明しましょうか』


 おお、今日はノリが軽いじゃね~か。てか、ここまできたら、もうヘルプ機能じゃないよな。これ……


『放っておいてください。そんなことより、わたしはまもなく力を使い果たして消滅します。だから、少しだけお伝えしておきます』


 ええええええーーーーーーーーーーーー! マジか! 今度は消滅するのかよ!


『はい。あなたの召喚を邪魔する時に、大きな力を使いましたから』


 ぐはっ、俺の所為かよ……てか、もう、ヘルプ機能のエルだと偽る気もないみたいだな。


『うぐっ……それはそうと、わたしが勝手にやったことなので、あなたが気に病む必要はないです。それに、その時には、もう殆ど力が残ってなかったですし……』


 要は、力が殆どなかったところで召喚を妨げた挙句、神器をザクザク作ったからということか。


『いえ、それだけではありません。あなたに持たせた固有能力が、大きな力を使った一番の原因です』


 うぐっ。どちらにしろ、俺なのね……


『もうお解りかと思いますが、固有能力とは神の力です。ですから、固有能力保持者は神の使徒と言っても過言ではないでしょう』


 そう言われると、納得できる気がする。

 綾香の能力なんて、創造神以外のなにものでもないからな。


『はい。その通りです。彼女が持つ固有能力は、創造神たる私の力を分け与えたものです。だから、邪竜が言ったように、あなた達は神族だと言えるでしょう』


 うむ、何となく理解できた。でも、何でそんな神の力を分け与えるんだ?


『それは、わたし自身が決めたルールだからです』


 なんでそんなルールを?


『本来、召喚者は異空間と時間の旅人です。その者達が現実世界に定着するには、何らかの力が必要となるのです。例えば、あなた達召喚者が、固有能力を持っていない状態でこの世界に舞い降りると、この世界に定着できずに消滅してしまうのです』


 それは、嫌な話だな……


『しかし、世界の成熟を考えた時、この世界に召喚者を招き入れることは、大きなメリットとなります。だから、わたしはそのルールを作ったのです。そして、一度作ったルールは、神であるわたしですら破ることができません』


 それが、この世界の法則なのか……


『その通りです。そして、わたしは長い年月の間、そうやって召喚者を招き入れてきました。それにより、この世界は、大きな実りを得たのです。しかし、残念ながら害も生まれました』


 悲しいかな、人間の存在がなせる摂理だよな。


『おっしゃる通りなのかもしれません。でも、人間とは良い面も沢山持っています。だから、わたしは最後の力を振り絞って、あなたに託したのです』


 うわ~~~、ちょ、ちょ、ちょっと、待ってくれよ。託されたって……初めに言った通り、そんな重大任務なんて熟せないぞ?


『うふふっ、わたしも初めに言いました。気にせずに好きなようにしろと。確かに、あなたに未来を託していますが、わたしの願いを聞き届けて欲しいのではありません。一種のギャンブルです。わたしが勝手に賭けただけですから、全く気にする必要はありません』


 それは、かなりギャンブラーだぞ。俺に賭けるなんて、宝くじより低確率のような気がするんだが……てか、それで、固有能力の変化はどういう理由だ?


『あ、あ~~~もう時間のようです……頑張ってください。あなたに幸多からんことを……』


 お、お、おい、またかよ、また中途半端で終わりかよ! お~~~~~い!


 エルソルが消滅したかどうかは分からない。だが、それ以降どれほど声をかけても、まったく返事がなかった。

 ヘルプ機能に関しても、使用は問題ないのだが、音声ヘルプ機能が消滅していた。


 そうか……逝っちまったんだな……さようなら、エルソル、何だかんだあったけど、本当に助かったよ。あんたの願いを叶えることができるかは、定かではないし、約束もできないけど、精一杯頑張ってみるよ。


 少しばかりしんみりとしつつ、召喚されてから今日まで助けてくれたエルソルに、心の中で感謝の言葉を綴った。









 エルソルと別れを告げた次の日、特に問題もなく魔都へと到着した。

 目にした魔都はというと、想像と違って至って普通の都市だった。


 いや~~~~~、もっと禍々しい街を想像したんだが……


 有りの侭をクルシュに伝えると、思いっきり呆れた顔で「愚か者じゃな」とダメ出しされた。

 ただ、とても驚いたことが一つある。

 それは、魔国だけに魔人ばかりかと思いきや、普通の人間族や獣人族が街の中を行き交いしていることだ。


「魔国って、魔人族だけじゃないのか?」


 そんな素朴な疑問を口にすると、クルシュはその美しい表情を顰めて憤慨した。


「魔人族が邪悪などと、愚かなことを吹聴しているのはミストニアだけじゃ。我が国は心ある者なら誰でも受け入れておるのじゃ。いや、それだけではないのじゃ。人種差別などなく国民を公平に扱っておる」


 おお~。魔国って、めっちゃ立派な国だったんだな。てか、それって実現するのは、言うほど簡単なことじゃないぞ。間違いなく一朝一夕じゃ無理だし、きっと、歴代魔王達も素晴らしい人物だったに違いないな。


「そっか~。魔国って、素晴らしいところだったんだな」


 素直にこの国を褒める。

 ところが、なぜかクルシュの美しき面差し影が射した。


「妾もこの国は最高の自慢じゃ。素晴らしい大魔王達が作り上げた自慢の国なのじゃ。だがじゃ、やはり反発する者はでるのじゃ。ここ最近では、貴族の中に『魔人こそが最上位種だ』という選民思想を謳う輩が現れる始末じゃ。今回の邪竜退治を言及したのも、そんな輩のボスなのじゃ。まあ、早まって戦いを挑んだのは、妾の愚かしさじゃがな」


 死した臣下のことを思い出したのか、クルシュは眼差しを伏せた。

 彼女の様子からすると、命を懸けて盾となった者達は、とても大切な臣下、いや、仲間だったのだろう。


 ふむ、魔国も色々と複雑なんだな。まあ、人間なんてそんなもんだよな……


「う~ん、みんながこっちを見てるニャ。というか、走って逃げてるニャ」


「なんで、みんな恐れてるん?」


 逃げ惑う人々を目の当たりにして、ロココが驚き、ラティが首を傾げる。

 運転席の前部は全面スクリーンとなっている。それ故に、街の者がこちらを凝視する様子がありありと見て取れる。


「まあ、馬が引かない乗り物なんて見たこともないだろうし、おまけに装甲車だからな。注目の的になってもしかたないんじゃないか?」


「それは当たり前じゃ。妾も始めて見た時は腰を抜かしそうになったのじゃ」


「ああ、確かに、この装甲車を見たら驚くよニャ」


 俺の説明にクルシュが頷くと、ロココは自分が何に乗っているかを思い出したのだろう。腕を組んだままコクコクと頷く。

 まあ、珍しい乗り物だけに、気にするなという方が無理だろう。装甲車なんて、この世界にこれしかないんだし、極めつけはシャークマスクだ。腰を抜かして当然だ。


 その後も奇異の視線を向けられつつも、何事もなく城に到着した。だが、城の門に辿り着いたところでトラブルが発生した。

 門を警備する兵が装甲車を目にして騒ぎ始めたかと思うと、一気に取り囲んできたのだ。


 装甲車を取り囲むとか、自殺行為なんだが……まあ、知らぬが仏という奴だな。つ~か、この場合、俺がアクセルを踏んだら、仏どころか、屍になるんだが……


「モンスターめ! ここは魔王城なるぞ! お前の来るところではないぞ」


 勇敢にも装甲車の前に立った兵士が、槍を突きつけてくる。

 どうやら、乗り物ということすら理解できていないようだ。誰もが戦闘体勢を執ったまま顔を引き攣らせている。

 かなりへっぴり腰なのは、とても残念だとしか言いようがない。

 それもこれも、きっと、悪趣味な綾香のせいだろう。


「気を付けろよ! 食いつかれるかもしれんぞ」


「なんて凶悪なツラだ。どうする。大人しく引き返すとは思えんが……」


 くくくっ。いやいや、シャークマスクはただのデザインだからな? 人に噛みついたりしね~し……全く知識のない者がこれを見ると、こういう反応になるのか……これまで気付かんかったぞ。


「くくくっ。なあ、今までもこれを見た者達から、食いつかれるとか思われてたのかな?」


「えっ!? だって、ただのペイントニャ」


「思うに決まっておるじゃろ! 妾も初めは新種のモンスターかと思うたのじゃ」


 そもそも装甲車やノーズアートを知っているロココは首を横に振るのだが、クルシュはムキになって肯定してきた。


「うちも初めて見た時は、ビビったんちゃ」


 やはり、知らぬものが見れば、ただのペイントでも畏怖の対象となるのだろう。ラティはクルシュに同意して何度も頷いている。


 う~ん、そうなると、消すように言った方が良いかな。だが、きっと渋るんだろうな……


 そうやっている間も、兵士達は槍を構えて騒然としている。

 ただ、クルシュが降りたことで事無きを得る。


「今帰ったのじゃ。臣下の者を直ぐに謁見の間に集めよ」


 槍や剣で武装した兵士達が騒ぐ中、後部ハッチから降りたクルシュが大きな声でのたまった。

 それを聞いた警備兵達は、別の意味で、蜂の巣を突いたように騒ぎ始める。

 結局、そこで装甲車をアイテムボックスに収納し、歩いて城に入ることになった。


 クルシュは兵士達の騒ぎを余所に、「ユウスケ殿も参られよ」と告げると、ラティと手を繋いでズカズカと城の内部に進んでいく。

 キョロキョロと周囲を見回すラティは、クルシュに引かれるまま歩いている。

 現在のラティは魔人の姿を偽ることなく、美しき白銀の髪と浅黒い肌、そして、小さな角を露わにしている。

 こうやって見ると、ラティとクルシュは本当に年の離れた姉妹のようだ。

 そんな二人の後に、俺、ロココ、マルセルが続く。

 ああ、マルセルなのだが、彼女をテルン砦に戻すと、今度はみんなが来ると言い出しそうなので、あれからは戻ってない。

 ただ、後でエルザに怒られそうだ。というか、マルセルから「間違いなく怒られるでしょうね」と言われてしまった。


 ヤバイヤバイヤバイ……


 心中で後々起こるであろう騒ぎに恐怖しながらも、クルシュについて城の中を暫く歩くと、大きな広間に到着した。

 そこは決して高級でも豪華でもないが、とても威厳を感じる場所だった。

 その雰囲気からして、謁見の間なのだろう。

 ただ、奇妙なことに、玉座と呼ばれる場所に知らない男が座っている。


 あれ? クルシュが魔王という話だったが……


 当然ながら、それに気付いたのは、俺だけではなかった。


「デストーラ。なにゆえ、其方は玉座に座っておるのじゃ? お主はいつから魔王になったのじゃ?」


 その声は、恐ろしく冷たい。まさに、氷の剣でも突きつけそうな勢いだ。

 そんなクルシュの表情は、これまでと違って、氷の女王かと思えるほどに冷ややかだ。


「し、し、失礼しました」


 王座でにやけていた男――デストーラは顔を引き攣らせて即座に立ち上がると、慌てた様子で下の段に降りてきた。


「其方、不敬罪で死にたいようじゃな」


「いえ、決して、そんな……」


「黙るのじゃ。いや、まあよい。其方の沙汰は追って決めるとしようぞ」


 何を考えたのか、クルシュは冷やかな表情を解くと、俺達に「参られよ」と告げて、ズカズカと玉座に近付いたかと思うと、その横に立った。


 あれ? なんで、彼女は座らないんだ? もしかして、奴が座っていたから気持ち悪いとかいうオチじゃないよな?


 疑問に思いつつも、クルシュから咎められたデストーラへと視線を移すと、奴は平伏しているものの、その横顔に憎々しげな表情を浮かべていた。


 こいつはゴミだな。もしかして、クルシュが言っていた選民思想主義者か?


 俺達がクルシュに続いて玉座の隣に立つと、彼女は頭を下げた。


「直ぐに臣下も集まろう。申し訳ないが、それまで暫く待ってたもう」


 クルシュが頭を下げたことで、既に謁見の間に居た者達が訝しげな視線を向けてくる。

 周りの目を気にして、首肯だけで返答する。


 暫くすると、謁見の間に続々と魔人達が集まってきた。

 魔人族のみならず、人間族や獣人族も居ることに驚く。


 へぇ~~~~。魔人族以外も臣下にしているんだな。なかなかできることじゃないぞ。というか、なんで、みんな驚いてるんだ?


 そう、謁見の間に足を踏み入れる者は、誰もが驚いた表情を見せると、「陛下、御無事でなによりです」と述べて位置に並んでいく。

 言葉こそ似通っているが、臣下の者達がクルシュに見せる態度は様々だ。涙を流して喜ぶ者も居れば、表面上だけの笑顔を見せる者も居た。

 その様子からしても、心から安堵している者と、そうでない者が居るのだと感じられる。


 あ~、邪竜退治に出かけたから、死んだものと見做みなされてたんだな。だから、あのデストーラって男が玉座に座ってたのか。くそゴミだな。さっきの件もあるし、重い罰を与えた方がいいんじゃないか?


 面白くなさそうにしている者達の理由を察し、チラリとデストーラに視線を向けつつ、心中で毒を吐く。

 そんな罵りなど知る由もないクルシュは、何を企んでいるのか、笑みを浮かべたまま謁見の間を見渡して頷く。


「うむ、揃ったようじゃな」


 俺には判断できないが、クルシュの言葉からすると、おそらく全員が揃ったのだろう。

 クルシュは、それまでの笑みを消し、厳かに話しはじめる。


「皆の者よ。忙しい中、良くぞ参った。まずは礼をいう。さて、早速じゃが、本題に入るとしよう。これまで我が国を脅かしてきた邪竜は、もはやこの世におらぬ。少なくない犠牲を出しはしたが、奴を討つことに成功したのじゃ。憎き邪竜を塵に変えてやったのじゃ」


 クルシュが話し始めると、一瞬にして謁見の間が静寂に包まれたのだが、邪竜討伐を成功させたくだりを聞かされると、その静けさは一気に膨れ上がった歓喜で打ち破られる。

 誰もが、感嘆、称賛、驚愕、賛辞の意を露わにしたかと思うと、多くの者が笑顔で足を踏み鳴らし、クルシュを讃える合唱が始まる。

 その震動は、城が揺れているように思えるほどのものだった。


「静まれ! 静まれ! 静まるのじゃ」


 満足そうにしていたクルシュが叫ぶと、一瞬にして謁見の間に静けさが戻る。

 それだけで、彼女の威厳が解ろうというものだ。


「今回の討伐に関して、皆に伝えなければならぬことがある。確かに、邪竜を討伐した。じゃが、それは妾の手によるものではない」


 彼女の言葉を耳にして、今度は誰もが訝しげな面持ちで騒ぎ始める。

 そして、クルシュの言葉の真偽を問う声が上がった。


「陛下、僭越せんえつながら発言をお許しください」


 声を発したのは、叱責を受けて先程まで平伏せていたデストーラだ。

 クルシュは顔色ひとつ変えることなく、頷くことで許可を与える。

 了承を得たデストーラは、先程の件もあってか、おずおずと尋ねてくる。


「陛下であらせられなければ、いったい何者が討伐されたのでしょうか」


 デストーラの問いを耳にした途端、クルシュはニヤリと笑んだ。

 その笑みは、何やら怪しい香りがする。


 なんか、嫌な予感がするんだが……


 不吉な予感に顔を歪ませていると、クルシュが胸を張ったまま臆することなく、一つ頷いてから静かに告げた。


「それは、妾の隣におるこの者達じゃ」


 彼女の言葉で、場内が騒然となる。


 おいっ! 何言ってんだ。内緒にしてくれって頼んだよな!


 俺達が邪竜を倒したことは、くれぐれも内密にしてくれと念を押していたのだ。

 ところが、彼女は平然と約束を反故ほごにしやがった。

 腹立たしさから冷たい眼差しを向けるが、彼女は気にした様子もなく、俺とラティの背中をゆっくりと押す。


 なにしとんじゃ、押すんじゃね~。勘弁してくれっちゃ~~! くそっ、動揺しすぎて、思わずラティ語になったぞ! こんにゃろ!


 いきどおりを露わにする訳にもいかず、渋面を作ったまま謁見の間を見やると、誰もがおののきや疑惑の視線を向けてきた。


 なんてこった……これでまたトラブルに巻き込まれるんだな……


 どう考えても、彼女が悪巧みをしているとしか思えない。間違いなく例の選民思想の件が絡んでいるはずだ。

 絶望的な気分で肩を落としていると、それまで驚愕していたデストーラが、動揺を隠せない様子で異議を唱えた。


「そ、その者達は、何者ですか! そ、そんな偽りが罷り通るとでも思っておいでか!」


 恐ろしく動揺しているみたいだな。これって、完全に不敬なんじゃないのか?


 デストーラの態度に呆れていると、再び氷の女王が降臨する。

 恐ろしく表情を顰めたクルシュが、身も凍るほどに冷たい声色で言い放つ。


「妾の言葉が嘘だと申すのじゃな。根拠もなく魔王の言葉を虚偽だと決めつけるのじゃな」


 途端に、謁見の間が凍り付く。

 比喩ではなく、実際にメキメキと音を立てて凍り始めたのだ。


 すっげ~、あっという間に、氷の城になったぞ?


 寒さの所為か、はたまたクルシュの怒声のせいか、デストーラは自分の失言に気付いたようだ。


「し、し、失礼致しました」


 奴は凍り付いた床で平伏する。

 クルシュは鼻を鳴らしつつも、気を取り直すと、直ぐに事情を説明し始める。


「ふんっ! ならば、黙って聞いておれ。さて、この者達じゃがな、この前にも言うたが、妾が探していた者達じゃ。今回の討伐に間に合ったのじゃ」


「恐れながら陛下、どうやって探したのでしょうか」


 クルシュが言葉を切ったところで、今度は別の者が疑問を露わにした。

 彼女はゆっくりと頷き、その問いに答える。


「この者達は、神託の巫女に頼んで探してきてもろうたのじゃ。そして、捜索の任を負っていたのは、妾の姪であるラティーシャじゃ」


 クルシュは説明しつつも、首を傾げているラティを抱き上げた。

 謁見の間にどよめきが走る。だが、彼女は気にすることなく話を続ける。


「ラティーシャは、我が姉ミリーティア、先王陛下の長女の娘じゃ」


 再び場内がどよめくが、今度は喝采の声も混じった。

 ラティは何が嬉しいのか、笑顔で手を振っていたりする。

 ただ、この後が頂けなかった。

 クルシュが核爆弾を投下したのだ。


「皆の者、しかと聞くがよいぞ! 妾は今回の一件で、自身に威厳も、力も、勇気も、何も持っていないことを思い知ったのじゃ。よって、妾は本日を以て魔王を辞めるのじゃ。そして、新たな魔王は、邪竜を倒した、力強き者であり、勇気ある者である、このユウスケ殿とするのじゃ」


 なんだってーーーーーーーー! そんなの、聞いてないよ~~~~~~~!


 驚きで声すら出ない俺の心境など構うことなく、謁見の間では、賛成意見と反対意見が飛び交う大惨事となる。









 この部屋は豪華さこそないが、歴史と格式を感じさせられるサロンだった。

 ここは魔王城の中であり、魔王のみが使用するサロンだ。

 そこに置かれた座り心地のよい三人用ソファーにぐったりと座り込み、謁見の間で起こったことを振り返っていた。


 くそっ、クルシュの奴……勝手なことをしやがって……


 魔王を辞めるのは好きにすればいい。だが、次代の魔王が俺というのは頂けない。

 そう、すこぶる頂けない。それこそ、イチゴにマヨネーズをかけて食べるくらい頂けないし、刺身を生クリームで食べるくらい頂けない。いや、魔王をやるくらいなら、刺身入りのデコレーションケーキを完食する方がマシだ。


 不機嫌な態度を隠すことなく、憮然ぶぜんとしている俺の傍では、ラティとロココの二人がニコニコしながらテーブルに置かれたお菓子を食べている。


「これも美味しいっちゃ」


「あっ、ラティ、食べすぎニャ」


「ロココは食べるのが遅いんちゃ。世の中、弱肉剛食なんちゃ」


 おいおい、弱肉強食だろ?


 ラティは俺が教えた四文字熟語を使っているのだが、どこかニュアンスが違うように思う。


 いいよな~、子供は……てか、ラティ。その食べっぷりは、全く以てお姫様らしくないぞ? ん?


 競うかのようにお菓子を貪り食べる二人を眺めていると、ポケットの中がブルブルと震える。


 うあ~~~~っ。嫌な予感がする。こ、これは……


 危機感を募らせながらも、恐る恐る震えるデコ電を取り出すと、案の定、液晶にエルザの名前が表示されていた。


 ぐあっ、やっぱりだ……なんか、表示されてるエルザの名前もじが燃えているように見えるんだが……きっと、気のせいだよな?


 デコ電の表示に怯えつつ、マルセルに視線を向ける。

 なんと、彼女は申し訳なさそうに俯いた。


 売った? 俺を売った? まさか、売った? 間違いね~。きっと、マルセルがエルザにバラしたんだ。チクったんだ。マルセルの裏切り者~~~~~~!


 両手で頭を抱えて嘆いている間も、デコ電は我知らずと言わんばかりにブルブルと暴れている。


 出るか、出ないか……どうすべきか……


 どうしたものかと躊躇していると、マルセルがおずおずと口を開いた。


「で、で、出られた方が良いかと思います……」


 うぐっ、これに出ると怒れるよな? 間違いなく怒られるよな?


 マルセルは静かに頷く。きっと、情けない顔で心情まで理解できたのだろう。


 うっ……え~い、ままよ!


「もしもし……」


『出るのが遅いわ』


 デコ電に出ると、エルザが楽しそうな声色で苦言を投げつけてきた。


「ああ~、え~っと、色々と忙しかったんだ……」


 一応、言い訳をしてみる。


『そうみたいね。私の居ないところで、楽しそうなことをしてるみたいね』


 全然、楽しくないんだけどな……


『直ぐに迎えに来なさい』


 やだ! お前を連れてきたら、絶対に俺が魔王になっちまう……


『へ~~~~~』


 ヤバイ、奴のキレ信号だ。この声色だとまだ黄色の段階だけど、今にも赤に変わりそうだ。

 こいつの信号は、人も車も微動だにできないくらいの速度で変わるからな。


「い、いま、今はゴタゴタしているから拙いんだ。落ち着いたら迎えに行く」


 なんとかしのがないと……


『本当に?』


 しめた! 黄色から青に変わりそうだ。まあ、本当の信号なら、とんでもないことになるだろうけどな。


「ほんと、ほんと、今は取り込み中なんだ」


 イケそうだと感じて、必死に誤魔化してみる。

 だが、世の中とは儘ならないものだ。このタイミングで嫌な台詞が飛んできた。


「ユウスケ殿、臣下の者達を説得してきたのじゃ。ただ、それで魔王戦をやることになったのじゃ」


 こんな時に、クルシュが……それに魔王戦ってなんだよ! てか、声がでかいっちゅ~の! エルザに聞こえたらどうするつもりだ!?


『面白そうね。直ぐに迎えに来なさい』


 思いっきり聞こえてたみたいね……ここは、沈黙で誤魔化せる?


「……」


『ミレア~~~~』


 ヤバイ、一気に信号が青から赤に変わった! なんて危険な信号だ! もし本当の信号がそんなことになったら、死者が続出するぞ。


「す、すぐ行くから、ミレアは止めてくれ」


『はじめから素直に来ればいいのよ。ふふふっ』


 ま、負けた……こんなのが魔王でいいのか?


「ユウスケ殿、話を聞いておるのか?」


 電話を知らないクルシュは、無視されていると感じたのだろう。腰に両手を当てて頬を膨らませている。


 う~ん。こうやってみると、めっちゃきれいな女だな。年も二十くらいだろうし、嫁に行かないのかな? てか、俺の嫁は、受付終了したからな。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、仲間を連れて来てもいいか?」


 クルシュから了解をもらい、仲間を連れてくるのに、然して時間は必要なかった。

 なにしろ、ワープで向こうに着いたら、嫁達がずらりと並んでいたからな。

 結局、ワープを閉じることなく、そのままリターンすることになった。


「初めまして、魔王様、私はユウスケの妻、エルザです」


「おう、妻のアンジェリークだ。気軽にアンジェと呼んでくれ」


「初めまして、魔王様、妻の麗華です。元勇者です」


「初めまして、妻兼家臣のクリスです。宜しくお願いします」


「ユウスケ殿は、いったい何人の妻がおるのじゃ?」


 クルシェは呆れた顔を向けてくる。

 だが、ここに居るのは、半分にも満たないメンバーであり、とてもではないが、十三人の妻が居るなんて言えない。

 ここはなんとか、スルーでうやむやにするしかない。

 なんて考えたのだが、聞いてなかった振りをしている俺を他所に、筆頭妻が微笑みと共に暴露しやがった。


「我が主であり、夫であるユウスケの妻は、現時点で十三人です」


「そ、そんなにもおるのか! いや、現時点と申したということは、まだ増やす気なのか!?」


 すみません……願った訳ではないのですが、いつの間にかハーレムが出来上がってました。増やすなんて……そんな……とんでもありません。つ~か、そもそも、これをハーレムと呼べるのだろうか? 完全に俺が尻に敷かれてるんだが……


「あ、あの、妻というより、みんな家族なんで……」


 言い訳を口にすると、クルシュが一つ頷いたあとに、とんでもないことを口走った。


「それならば、妾も入れてもらうかのう。本当はラティのことを考えて、遠慮しようと思っておったのじゃが、これだけ居るのなら一人ぐらい増えても構わんじゃろう?」


「やっぱり増えたニャ」


 こうして新たな嫁候補が増えた。

 その候補であるクルシュを含め、このあと、全く望んでいない魔王就任について、家族会議が行われることになった。

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