第8話

「火事だ!」

 まだ卯の刻(午前3~5時)だろうか。明け方、叫び声がする。

 お菊と喜平が襖を開けて二階部屋に飛び込んで来る。

 魔左衛門は布団から起き上がる。

「火事よ」お菊が言う。「マーさん。早く逃げて」

 魔左衛門は急いで道中合羽を羽織り、腰に刀を差し、三度笠をかぶる。寝るときも起きているときも着ているものは同じなので、これだけで身支度は整う。

 二階部屋から出ると、階段の下から火の手が上がっている。とても階段を下りられない。

「どうするん?」喜平が言う。「これじゃあ、逃げられんね」

「戻るぞ」魔左衛門が言う。「さあ、早く」

 三人が二階部屋に戻ると、魔左衛門は窓を開けて体を乗り出す。

「屋根は大丈夫だ。屋根に登るぞ」

「屋根?」お菊が驚いて言う。「そんなとこ、登れるわけないね」

 だがそれに答えず、魔左衛門は喜平を抱きかかえ、窓の外に連れて行く。喜平は尻を魔左衛門に押してもらい、なんとか屋根に登る。

 次はお菊だった。魔左衛門に手伝ってもらうと意外と簡単に屋根に登れた。

 最後に魔左衛門は一人で造作なく屋根に登る。

 屋根の上は火の気はないが、上州屋全体が燃えているのがわかる。

「あそこに飛び込むぞ」

 魔左衛門が指さす先を見ると、烏川の支流だった。

 支流は例幣使街道に沿って流れ、その先に河原があり、土手がある。

「どうやって?」お菊が言う。「鳥でもあるまいし、無理だいね」

「......」

「無理だいね」

 魔左衛門は有無を言わさず、お菊と喜平を軽々と両脇に抱える。

 少し後ろに下がると、助走をつけ、屋根から飛び降りる。

 道中合羽が風を受けて広がる。天と地の視界が逆になる。

 次の瞬間、三人は川に落下する。

 お菊はなんとか河原まで泳いだ。先に河原についた喜平は水を飲んだらしく、咽ていた。

「みんな無事か?」と魔左衛門。

「マー兄ちゃん」喜平が言う。「死ぬんかと思った」

 すると怪しげな人影が三人を取り囲む。

「生きてたのか、魔左衛門」

 新之助だった。

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