ただの説明文になっている気がする

 小説には地の文ってありますよね。物語の状況や情景、心理描写を説明したりする台詞以外の文章。ここの書き方次第で、物語の雰囲気が大きく変わります。

 優しく書くと童話になり、難しく書くとSFになり、かっこつけて書くとハードボイルドになり、ハートたっぷりに書くと恋愛になり、ふざけて書くとコメディになり、時代物っぽく書くと時代劇になります。


 そんな感じで地の文って大事なんですね。どう言う物語を書きたいか、その目的によって書き方を変えねばなりません。物語のジャンル、テーマに沿った地の文を書くと、より一層感情移入出来たり没入感に浸れるんですよね。


 一人称の場合は主人公の独白のようなところもあるので、主人公のキャラ付けがしっかりしていれば、あんまり地の文に悩む事はないのかも知れません。

 とは言え、流石に地の文が心理描写のみになってしまうのは先生、あんまり好きじゃないぞ。前にそう言う小説を目にして目が滑りまくりました。一人称作品でも、最低限の状況説明の文は入れましょう。私はそっちの方が好きです。


 で、今回、説明文になっている気がすると言うタイトルですが、何を意味しているかと言うと、三人称での地の文の事なのですね。自作の場合、これが物語の展開の単なる説明文にしかなってないような気がしているのです。


 読み専の人の物語を楽しむ条件の中に、読んでいて情景が広がるものと言うのがあったんです。つまり普通に書いているだけでは足りないんですよね。

 その状況説明にプラスして情景を想像させるテクニックも必要になってきます。空気感や躍動感、ワクワクさせたり、ハラハラさせたり、ドキドキしたり、食事シーンでは飯テロさせたり、危機一髪なシーンではスリルを味わったり……。比喩表現を使ったりとか色んな方法がありますよね。

 私にはまだまだそう言う演出力が足りてないなと、そう思った訳なんですよ。


 後はカメラワークですかね。俯瞰してみるのか、アップで見るのか、主人公カメラなのかギャラリーカメラなのか……考えるべき事はまだまだたくさんあります。同じ出来事を描写するにしても、その描写方法は千差万別。

 それらをもっと意識して描かねばならぬなあと、思う次第なのでありますヨ。


 もしかしたら、物語の流れは変えずに地の文を効果的な演出に書き直すだけで、全然人気のなかった作品が化ける可能性すらあります。演出って大切ですネ。


 演出は色んな創作物を意識して見る事で、ある程度のパターンは読めてくるものなのかなと思います。

 基本は定番を踏襲しつつ、決めるところで独自のオリジナルな描写を生み出せたなら、なんて思ったりもします。道はまだまだ遠いのですけどねー。

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