涙の未来
東京、新宿駅
「フフフ……来ましたか、参加者達」
ホームに流れる事故の放送を聞き、戸惑う人々の中でゼウスはメールの文章を考えながら、クスクス笑っていた。
今は電車の遅延放送でさえも、ゼウスにとっては機嫌を損ねられることのない、ラジオか何かの感覚まで昇格している状態。故に鳴った電話にも、比較的機嫌よく受け答えた。
「もしもし? えぇ……えぇそうです……フフッ、慌てることはありませんよ。事故の原因など、大体想像つきます。えぇ、問題ありません。すぐに対処しますから、しばらくそこでお待ち下さい。では……」
ふとゼウスは、再度周囲を見回した。
駄々をこねる子供。それを叱る親。遅延放送を聞いてどうしようかと相談する老夫婦。カラオケで時間を潰そうと話す若者達が、みんないなくなっていた。
自分以外にいるのは、階段のまえでこちらを見つめる金髪の女の子、ただ一人。
全員がゼウスを油断させるためのいわば仕込みで、彼女と対峙させるために引いたのだと、ゼウスが理解するのに、そこまでの時間は要らなかった。
ゼウスはニンマリと笑みを浮かべて。
「ほかの皆さんは?」
「みな、非難してもらいマシタ。カミサマのゲームは危ナイですかラ」
「フフッ……いい判断です、浜崎――ティアさん」
中性的、そして美しいゼウスだが、どこか底から込み上げる恐ろしさ。
ティアはそれに臆しそうになるのを必死に堪えて、勇気と言える勇気を振り絞って、ゼウスとの対峙を続けた。
「全部、この
「……なんのマネですか?」
自分を見つめ、両腕を左右にいっぱい伸ばして健気に階段をとおせんぼうする。
そんなティアの姿を見つめ返し、ゼウスは問う。
優しく、しかし恐ろしさを感じさせる、その笑みで。
「私がそのような可愛げな柵の上を、通れぬとでも言うのですか? 私は雷帝――雷と、嵐の神の名を持つゼウス。そのような柵など、簡単に荒してしまう酷い人かもしれませんよ? そんなの、なんの役にも立たない」
「そなことナイよ! 私だて、このゲームの参加者だもの! みなの役立つヨ!」
ゼウスの首が、静かに横に振られる。そしておもむろに歩き出し、目の前でティアを鋭くした眼光で見下ろした。
「役に立つ、ですか。ではその言葉に、一言言わせていただきます」
ティアの顎を軽く親指で持ち上げて自分を見上げさせ、今まで出したことがないような低い声でその耳に囁いた。
「その考えは、甘い」
腕から、脚から力が抜けた。
健気なとおせんぼうは、嵐の前触れであるそよ風に、力なく倒された。立てなくなり、尻餅をついたティアに、ゼウスがしゃがみこんで顔を近づける。
「あなたの言葉はかりそめですよ。自分を奮い立たせるため、恐怖を封じ込める自己暗示のために、用意された言葉だ」
「そ、そなことないヨ!」
「なら何故、今こうして立てないのですか」
悔しくて、立とうと必死にもがく。だが生まれたての小鹿のように、脚がうまく地面に立たない。さっきまで、普通に歩いて立っていたのに。
「あなたはまだ恐怖している。そのような状態で、よくもまぁここまで来たものですよ。本当に立派だ。だがこうして頑張るべき場面で頑張れないなら、何の意味もない。来た意味も、ここにいる意味も」
「な、コト……そな、そな……」
脚に力が入らない。
ワナワナと震えるばかりで、立とうと力を籠めようとしない。
ここで立たなければいつ立つのと、自分に言い聞かせるティアだが、そんな彼女に、ゼウスは静かに言い放った。
「帰りなさい」
ティアの胸に、その言葉は深く突き刺さった。
立ち上がったゼウスの顔を見上げ、泣きそうになる。
そんなティアに対して、ゼウスは厳しくも、ずっと静かだった。そのまま続ける。
「こんなゲームだ。怖いと思うのは当然です。だがそれでも、神を探そうという者達がいるなかで、あなたの恐怖は邪魔になる。その程度なら、帰りなさい。それが一番だ」
悔しい。
悔しすぎて、堪え切れず泣いてしまった。
泣いてしまったことがまた悔しくて、また涙が溢れてしまう。
ゼウスは泣き崩れるティアを置いて、おもむろに階段を上っていった。
「……事故の原因はわかってます。あなたなのでしょう? 事故を起こしたのは。Cメールを受け取られた、中川さやかさん」
いつもの動きにくいワンピースから、シャツとジーパン姿に変わったさやかが腕を組んで仁王立ちしていた。
手に握られたケータイが、そうですよと語る。
「あなたは出来ていますか? 神を見つける覚悟が」
「だから来ているの」
「彼女は出来ていなかった。口先だけではこの先、涙の未来を歩くことになる。あなたの覚悟が口先ではないと、見せていただきたい」
「えぇ、見せてあげる。私達で」
さやかの隣にマイク・セイラム、竹網涼仙の二人が並ぶ。
「……ダメだ、繋がんないや」
何度呼んでも繋がらない電話に少しイラだちながら、ケータイをポケットへと滑り入れる。目の前に聳えるように立つ東京駅を見上げ、彩はパトカーから飛び出した。
「おい! どこへ行く!」
「どこって! さっさと神様捜しに行かないといけないだろう?! 警部さんもちゃぁんと働いて頂戴ね?! 懸賞金いくら掛けて指名手配したって、捕まらないんだからね!」
走っていく彩を見つめ、グチャグチャに自分の頭を掻いた二界道は、パトカーに備えられているトランシーバーを限界まで引っ張って声を張らせた。
三分弱もの長い指示をして、内容を理解した部下達と共に、何だ何だと見つめる周囲の目を無視して、東京駅へと走っていった。
そして部隊は新宿駅へと戻る。
「これはこれは、Sメールのマイク・セイラムさんにTメールの竹網涼仙さんではありませんか。ということは、Vメールの倉森カナさんも来ていらっしゃるのかな?」
「勿論ダ。カナを1人にするわけがナイ」
「まぁ、カナにはちょっと待機してもらってるけどね」
新宿駅、改札内側にて、神の部下ゼウスと対峙した三人から、緊張感が溢れ出す。それを誤魔化すために並べられた普段どおりの口調も動作も、どこかぎこちない。
まぁ、普段は口調も動作も意識などしていなくて、意識しているからこそぎこちないのだろうが。それでも違和感ばかりを感じていた。
そんな三人の緊張感もぎこちなさも違和感も、
「フフフ……それで、どうなさるのですか?」
「……あなたを捕まえて、そして教えてもらうわ。神の居場所も、あの気持ちの悪い仮面の下もね」
さやかがそう言い切った直後、地面を思い切り蹴って、マイクが走る。元傭兵としての経験、勘を全て使って、ゼウスを捕まえにかかった。
「おっと、怖い怖い」
怖いなど、微塵も思っていないのにそう呟き、伸ばされたマイクの腕を軽々と潜って避けると、マイクの上を軽々と跳び越えた。そして着地と同時に脚を伸ばし、背後のマイクを蹴り飛ばす。
「それでも元傭兵ですか?」
「そうだヨ!」
マイクの拳が、ガードしたゼウスの掌に重くのしかかった。軽く後ろに跳んだゼウスの口角が、ニヤリと持ち上がる。
(飛ばされた……のではなく、飛んだのですか。なるほど……そして待ち受けるは、あなたですか、竹網涼仙!)
両腕を背中で組まされ、そのまま押さえつけられる。老紳士熟練の早技に、ゼウスは不適にも笑い出した。
「本当、あなたは調べれば調べるほどおもしろい方だ! 柔道、剣道、空手、合気道、骨法、拳法、ムエタイ、ブラジリアン柔術、まるで今日このときのために学んでいたかのようですね! 竹網さん!」
「そうかもしれませんね。そう思うと、習っていてよかった」
抵抗をしないかわり、余裕の表情を崩さないゼウスのまえに、さやかは片膝をついてしゃがみこんだ。
「あなたの負けね、キザ男さん」
「おや、そんな積りはなかったのですがね。ちょっとショックです」
まだ余裕を崩さない。そんなゼウスにイラ立ちを感じながら、さやかはケータイの画面に並ぶ長文をゼウスに見せた。
「質問するわ。神はどこ? どんな顔? あなたが教えたこの作戦の何をする役割にいるの? 身長、声質、体つき、全部洗いざらい吐きなさい。そうすればあなたもその仲間も、痛い思いをしなくていいかもね」
「仲間……仲間、ですか」
――ゼウス
まるで、鈴の音のような声だったと記憶している。
まるで、猫のように小さく丸い背中だった気がする。
まるで、雨を浴びたあじさいのような髪の色だったと思う。
だから……だから……
「私は男として生まれました」
「? 何を言っているの?」
「ですが体に異常が見つかり、すぐに大きな病院で検査を受けました」
「関係のない話をしないで」
「異常はすぐにわかりました。DNAを作る一部の染色体が、私の体をおかしくしていました」
「いい加減に――」
「そしてそのときから、私は新たな人種として生きることとなりました。そう、始まりの人間――アダムとイヴですら越えられなかった、性別という壁を越えて! 私は神となっていった!」
涼仙を力尽くで除けて、走ってきたマイクを拳での一撃で倒し、高々と響く笑い声と共にゼウスは起き上がった。
驚愕し、硬直するさやかを見下ろしてニヤリと笑う。
「精巣も卵巣もない。体がゴツくならなければ、胸も膨らまない。私には、生まれたときから性別がない。こんな人間が果たしていますか? 私は生まれたときから、神の下にいるべき人間なのですよ。そんな人間が、神を裏切るはずがないでしょう?!」
「じゃ、じゃああなた! 何故神が不利になるように情報を流しているの?! あなたのその行為のどこが、神のためだと言うの?!」
「神が不利? フフフ……あなたがたは一体、誰を相手にしていると思っているのですか?! 全知全能! 森羅万象覆す神なのですよ?! あの方に不利な状況などありません! 我ら部下でさえ、あの人を陥れるなど不可能なのだから!」
小さな音が聞こえた気がした。
その音が聞こえた方を向くと、ゼウスはクスッと笑みを零した。
「……何か?」
柱の陰に隠れ、怯え震えながら顔を出した少女は、勇気を持って陰から出てきた。涙を拭い、袖を濡らした少女――ティアが言葉を探す。
「え、えと……くつかえす、は、ひくりかえす言うことですカ?」
「……フフフ。えぇ、そうですよ」
「じゃ、じゃあひくり返すヨ。カミサマのヤボーは、みなでひくり返す!」
「フフフ、とんだ冗談を――」
「ひくり返すよ! カミサマがどだけすごくてモ! あなたが怖くても! 私達が力合わせて、最後は必ズひくり返す! あなたがさき言た、涙の未来なて、吹き飛ばすダカラ!」
ティアがそう言い切ると、ゼウスは歪に口角を持ち上げて、しかしそれは一瞬だけで、すぐに柔い笑みに代わって。
「……そうですか。それはよかった」
と笑って、ゼウスはポケットからケータイを投げ捨てた。立ち上がった涼仙が拾うのを見届け、おもむろに歩き出す。
「私のケータイが、
「え、あ、アノ……」
さきほどのあの言動は一体何だったのだろうか。そう思わせるほどあっさりと退散していくゼウスの後姿に、止まれということが出来なかった。
「お待ち下さい」
ただ一人、竹網涼仙を除いて。
「あなたの言動に引っ掛かるモノがあります」
「ほぉ……何ですかな、老兵さん」
と、ちょっとキャラを作ったゼウスの答えには反応せず。
「まるであなたは、我々を試しているようです。その気になればこんな老いぼれ、殺すことは苦ではないはず。なのに私はただどかせ、マイクさんは動けなくしただけだ。さらに女性には手を出そうとしない。あなたはこの作戦、本当は止めたかったのではないのですか? それと同時に我々に出会い、本気を確かめたかった」
「そこまでわかっていれば、もう言わずともいいでしょう。ですが、あえて言っておきますか。揺らぐような気持ちで挑まないで下さい。相手は私のように、人間であって人間ではないのだから」
ゼウスの白い長髪が、ビル風を受けて舞い踊る。
その薫風が皆の視界を奪った一瞬に、ゼウスは忽然と、姿を消した。
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