背水の陣

「え?! じゃあ君たち、歌姫と握手してきたのかい? いいなぁ!」


「はい! もう感激です!」


 会場内で合流したあやと、興奮冷め切れない結衣ゆいが盛り上がる隣で、光輝こうき清十郎せいじゅうろうは飲み物のストローを吸いながら目で語っていた。


 握手、してきたんだ


 ほぼ強制的だ。でなきゃしねぇ


 だ……だよね


 初めてコンサートに来た男子三人は、飲み物を飲みながら席で周囲を見渡していた。


 興奮しすぎて入り口での注意を忘れてカメラを使う人や、買ったばかりだろうポップコーンをこぼす人、冬に関わらず露出の多い格好をしてる人、全然ついていけない。変に肩身が狭い気分だった。


「そうだ、光輝さん! ちょっとお付き合いしていただいてもいいですか?」


「ん、いいけど……何?」


「今回、限定発売されてるシャツを買いに行くんですけど、ペアルックなんで一緒に来て欲しいんです」


「……ぺ、ペアルック?!」


 ペアルックと聞いて、清十郎は腹を抱えて笑い出した。自分の膝をバンバンと叩いて、出てきた涙をこする。


 実際、光輝が赤面するのを見て、彩も結衣に背を向けて笑っていた。絶対にペアルックを着た二人を想像している。


「お願いします!」


「ハハッ! いいじゃねぇか、同類! おま、行ってやれ!」


 自分の前を通って行くよう指で促し、清十郎は脚をどけて道を開けた。


「じゃ……じゃあ、行こうか」


「やった! おねがいしますっ」


 光輝の手を繋ぎ、引っ張っていく結衣を見届けると、清十郎は指を何度か折り曲げて彩に耳を貸すよう促し、隣に来た彩に耳打ちした。


「いいけど……退場にはならないでくれよ?」


「は、そうなったらてめぇらに任せてやる」


 席を立つ清十郎を見上げ、千尋がストローから口を離す。だが何かを言おうとした瞬間、清十郎から殺気が放たれた。


「……うん、わかった」


 両手を上着のポケットに突っ込み、通路を歩いていく清十郎に、千尋は手を振って見送る。そして彩は、清十郎を追って席を立っていった人達を見つめ、千尋の顔を自分の方に向けさせた。


「お姉さん?」


「分かってるさ。僕らはここで遊んで待っていようよ」


 チケットを持っている人は、半券を使えば出入りは自由。清十郎は会場を出ると、砂浜へと足を運んで海を見つめ、たそがれていた。


 そこに近付いてくる二〇人近い青年達に、振り返る。


米井よねい清十郎だな? てめぇ」


「……ハ! よく分かったな。てめぇらの目は節穴かと思ってたのによ」


「あ? あんだけ大声で笑ってら、声で気付くぜ。てめぇには弟が世話になったんだ……借りは返さなきゃあいけねぇ」


 清十郎の前方と左右が塞がれ、後方は海。逃げ場がないこの状況で、清十郎はフードを脱いで首を何回か回すと、グッと口角を持ち上げた。


「おまえら、“背水の陣”って言葉知ってっか? 逃げられない状況に陥ったってことなんだが……今がまさにその状況なんだが、一つだけ違う。何か理解出来るか?」


 答えない青年達を睨む目が、喜々として輝く。肩や手をよく動かすと、砂浜を蹴り飛ばして飛び掛った。


 正拳が一人の顔面にめり込み、突き飛ばす。


「悪ぃ、悪ぃ。頭が悪ぃからおまえら、力で存在示そうとしてるんだもんなぁ……意地悪な質問しちまった。本当、このとおり許してくれ」


 そう言って清十郎は、砂浜に唾を吐き捨てた。これが青年達の冷静さを欠く。


「っ! ざけんなこらぁっ!」


 自分に向けられる正拳をかわし、その腹に膝蹴りを叩き込む。唾液を吐き散らして、また一人倒された。


「ほぉら、力がなくなったら何もできねぇ馬鹿共。考えろよ? 考えて行動することを諦めた時点で、てめぇら負け犬に成り下がったんだ。誰かに認められたいなんて好青年が抱いてそうな願望あんなら、そのクソな頭ひねりにひねって! クソなりに考えられるすべてをぶつけてきやがれっ!」


 瞬殺だった。


 一人につき三〇秒――いや、三〇秒もかかっていないかもしれない——とりあえず合計十分程度ですべてを片付けた。


 一人の胸からバッジを無理矢理取って、日に翳す。


「……あぁ、どっかで見たことあると思ったらこれ、結構頭のいい学校の紋章だよなぁ? まえにどっかで見たわ」


 バッジを取った人へと弾き飛ばし、清十郎はフードを深く被って歩き出した。


「弟の借り返そうって義理堅いとこはまぁ、見上げたもんだが。海を背にすりゃ逃げられねぇと思ってんじゃねぇよ。俺にゃ、逃げる必要性はねぇんだからな」


 その頃の光輝


「光輝さん! せっかくだから着てくださいよ!」


「い、いや俺は――」


「光輝さん!」


 ま、参ったなぁ……


 胸に音符マーク。背中にでっかく詩音のサインが書かれた青の長袖シャツ。光輝は何とか着ないで済む方法を考えるため、頭をフル回転させていた。


「着てくれないんですか? ちょっと、残念です……」


 向こうは泣きそうな顔をしてきた。完全にこれで断ったら、もう結衣に向ける顔がない。


 仕方なく着ようと手を伸ばした、そのときだった。


「なら、私が着ましょうか。白川しわかわ様」


「え? む、霧黒むくろさん?!」


 左目にかけている丸レンズに、黒のカーディガン。ポケットから伸びた何本ものチェーンをベルトに引っ掛けているその男は、間違いなく霧黒あつしだった。


 振り返った光輝が驚き、二歩後退する。


「何で霧黒さん……こんなゴチャゴチャした場所には絶対来ないって、勝手に思ってました」


「たしかに、私は人ごみは全て一列にしたいほど嫌いです。ですが私、詩音のデビュー当時からのファンでしてね。詩音のためなら、人ごみも何とか我慢してみせようという意気込みなのです」


「え?! 霧黒さんもですか?! 私も、だいっファンなんです! もしかして、ファンクラブにも入ってますか?!」


「フフフ、白川様ご冗談を……会員番号No.1! 霧黒敦にその質問は愚問でありましょう!」


「すっごい! 最初の会員が霧黒さんなんて! だからコメント文がきっちり三行ジャストだったんですね?」


「そういうことです」


 熱狂的ファンを二人も間近にして光輝はまったくついていけず、一曲も聞いていないのに変に疲れてしまった。


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