生きて勝つ

 光輝こうきが襲われた同時刻、結衣ゆいは一人寺の物置で息を殺して隠れていた。ほうきを取りに来ただけだったはずなのに、いつの間にかこんなことに。


 箒を持って外に出ようとしたら、黒スーツの男達がウロウロしていた。その手に持っていた拳銃が目に入り、咄嗟に隠れたのだ。


 前触れもなく襲い掛かってきた恐怖に身を震わせ、彼らがいなくなるのを待つ。前にもしたこの経験を、結衣は忘れられなかった。


――死んでよ、結衣


 姉に狙われたこの命。木陰の中に身を潜め、死にたくないとただ泣くばかりだったあの時も、声を必死に押し殺した。


――これ以上、結衣さんから何かを奪うのは許せない


 そう言って、手を貫かれてまで守ってくれたあの人に、あの時動かされた。そして、好きになった。


 お願い、助けて……。


 あの時の背中が頭をぎる。だが目の前に現れたのは、黒スーツの男達と自分に向けられる二つの銃口だった。


白川しわかわ結衣だな。メールはどこだ」


 恐怖だけが体中を駆け巡り、異様に寒気を感じる。震える体を抱きしめて、止めようとしても意味がない。ただただ、怖かった。死にたくなかった。


 言葉など出るはずもない。男の一人が銃を下げ、結衣の家のほうへと向かった。


「……もう一度訊く。メール――ケータイはどこだ。黙っていても、殺した後で探せばいいだけのことだ。さっさと吐け」


 メールを渡せば逃がしてもらえる? 違う、殺される。今日は自分の名前、メールに書いてなかったのに。


「ケータイ……」


 気付けば思い出すのは、ケータイの場所ではなくあの人の姿。いつも隣にいる人と仲が良さそうで、少しイヤだった。でもあの人と一緒にいると、嬉しかった。帰るというと寂しかった。


 本当に、好きなんだ。


「教えられない。あの人と、私を繋いでくれたものだから……渡したくない」


「ざん――」


「ノン、残念ではない」


 血が自分の顔にかかった。でも自分の血ではない、銃口を向けている男の血。あの瞬間がフラッシュバックというべき現象でよみがえる。


――お姉様、逃げて!


 背後から刺されたナイフが、姉の体を貫通して出てくるあの瞬間。生きている心地がしなかった。自分が殺されたと思った。それがまた、鮮明に再現された。


 本人によって。


 死体となって倒れる男の後ろでナイフをしまう、黒ずくめの男――テイラ。真夏だろうと肌を一切見せず、黒コートと黒ブーツですべて出来ているように見えた。


「白川結衣……」


「こ、来ないでくださいっ!」


 一歩踏み出したテイラを止め、深呼吸を繰り返す。テイラはその踏み出した一歩分下がると、結衣の目線までしゃがみ込んだ。


「これが、前に話した殺し屋だ」


「こ、殺したん……ですか?」


「生きてるように見えるか?」


 首をフルフルと横に振って否定する。テイラは怯えっぱなしの結衣に溜め息を吐いた。結衣を指差し、帽子の影に隠れている目でギラリと睨む。


「おまえの姉を殺せという命令を受けて殺したことは事実だ。だがな、俺は殺人衝動に動かされているだけだ。殺したくないと思えば、断るくらいの脳はある」


「さ、殺人衝動のままに人を殺す人を殺人鬼って言うんです。世間では」


「ノン、それは違う。殺人鬼は殺しを止めない。殺す人間を選ばない。俺が殺人鬼ならば、おまえとの会話もなくすぐに殺している。冬の公園にあった時点で、その前におまえにあった時点で、殺している」


「……何で?」


 涙が溢れる。押し殺していた声を上げて、泣きじゃくった。


「じゃあ何で! お姉様を殺したんですか! 何でお姉様だったんですか?!」


 怒りで我を忘れ、ただ叫ぶ。だがテイラは動じることなく、結衣を差していた指を立てて左右に振った。


「何故おまえの姉が、殺しのリストに載っていたかは知らん。だが俺は、おまえの姉の行動を知って許せないことが一つあった」


「許せない……こと?」


 テイラは立てた指で再び結衣を差し、黒マスクで口元を覆った。口をはっきりと動かして言ったその言葉に、結衣は絶句した。

 

 時間にしてものの数分だったが、結衣の体感時間は、それよりもずっと遅く動いていた。


「俺にとて道徳はある。だが殺人鬼にはこれがない。違いが分かればいい、俺を殺人鬼と呼ばなければいい」


「どこへ?」


 出て行こうと立ち上がったテイラを、何故か呼び止めていた。結衣は自分に止めた理由を求めたが、自問自答でも的確な答えはなかった。


 テイラはまたしゃがみ、男が落とした拳銃と銃弾を結衣の前に滑らせた。


「持っておけ。俺が殺したと知れば、おまえにまた殺し屋を差し向ける。俺は警視庁に出向き、一通り殺してくる。他にも何人かの参加者がいるはずだ」


「他の……参加者?」


「少なくとも、前にあの公園にいた髪を結んでいる女は行っている」


あやさんが?!」


「ここで死なれても、後々困る。助けるという言葉は適当ではないかもしれんが、そのつもりだ。だからおまえも死んだら困る。死んで負けるな、生きて勝て」


 テイラはそれだけ言い残すと、ナイフを日に光らせて行ってしまった。



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