弦 黒百合
「ん?
目的もなく外をブラブラしていた
楽器に、というより店に入った光輝に興味津々で、店に入る。光輝は入り口すぐ側のショーケースのまえで、ケータイをいじっていた。
何してるんだろ……あんな真剣な顔で。
何となく声は掛けず、ケースの後ろに隠れて様子を見る。今声を掛けると、さっさと店を出てしまう可能性があるからだ。
そしてしばらくすると、一人の店員が光輝に声を掛けてきた。そしてケータイをしまった光輝に、ピカピカに磨かれたバイオリンが手渡される。
バイオリンって、おいおい光輝くん。ピアニストなのにバイオリンまで弾けるなんて言うんじゃ……。
「弾いてみてもいいですか?」
言うのかい!
店員から許可を得て、光輝はバイオリンを構えた。ゆっくりと深呼吸を繰り返し、そして腕を引く。
思ってみれば、初めて光輝が演奏するところを見る。だがあれこれ考えていた頭はすぐに演奏に惹かれて、その場で固まってしまった。
流れる旋律が鼓膜を揺らし、電気信号となって脳に届く。鋭くも鮮やかなその音色は、彩を含む店内全員の動きを止めた。
そしてその光輝の後ろ姿に、今まで感じたことない感情を彩は抱きかけていた。今までないので、これが何なのかは分からないが、気持ち悪くはない。だが、気持ちよくもなかった。
「……ありがとうございました」
店員にバイオリンを返した光輝に、拍手が送られる。もはや隠れる意味もなく、ショーケースから出て彩は光輝に歩み寄った。
「すごいじゃないか、光輝くん」
「彩さん、いたの?」
「次はピアノ……かな?」
光輝はさぁ、と軽く首を傾げてみせると、拍手を送ってくれた人たちに一礼した。そしていきなり恥ずかしくなったのか、弦が切れたように店から自分を弾きだした。追いついた光輝の肩を叩き、彩が笑う。
「ねぇ君、まさか楽器は全部いける方?」
「えっと……管楽器以外なら、多分出来るかな」
「まさかさ! 絶対音感とか持ってるの?!」
「え? さ、さぁ……それは分からないよ。試したことないから」
「ふぅん。じゃあさ、今度ティアくんに頼んで試してみようよ! 何かおもしろそうだしさ!」
「い、いいけど……多分ないよ?」
「んなの、分からないだろう? チャレンジチャレンジ!」
背を叩いて前に押し出した彩の笑顔を見て、光輝もぎこちないながらに笑顔を返す。彩は光輝の腕を引き、そのまま小走りで走って行った。
鳴り響く電話の音。結衣は階段を駆け降りると、少し長い服の袖ごと受話器を掴んだ。
「はい、
『白川結衣か?』
「え? えぇっと……どちらさまですか」
『Wメールの参加者、と言えば理解してもらえるか』
電話の相手に、結衣は背筋が凍りついた。姉を殺したWメールの参加者、光輝から聞いた名前は、テイラ・ガンバーグ。
「何の用ですか? まさか、私を殺すと予告なさるつもりですか?」
『ノン、安易な考えだ。俺は予告ではなく、警告をするため連絡した』
「警告?」
『今から言う事を覚えておけ。おまえの勝利方法を教えてやる」
「何を――」
『一度しか言う時間はないからな』
「ま、待って!」
電話の下に置いてあるメモ帳を引きちぎり、ボールペンを取りだす。そしてテイラの言う警告を、走り書きでメモに書き留めた。
『以上だ』
「待って下さい! 一体どういうつもりですか?! 私にどうしろと!」
『無論、言う事は限られる。必ず勝て。俺がわざわざ教えたんだからな』
「え、ちょっと――」
『では、健闘を祈る』
切られた。結衣は一人、受話器を握りしめながらメモを見下ろして息を漏らした。テイラという殺人鬼の意図が分からず、困惑する。
結衣は自分の部屋に駆け込むと、手に取ったケータイで電話を掛けた。
「光輝さん……光輝さん……」
繋がって欲しい。そう祈りながら、結衣は震える手でケータイを握りしめる。
『もしもし、白川さん?』
『結衣くぅん! どしたのぉ?』
彩もいる。結衣は安堵のあまり、涙を流しながら状況を説明した。
「警察の……
弦が切れたバイオリンがごとく、三人はしばらく何も言えなかった。
そしてその頃。
植物園園長、
「こんなものかなぁ」
ジョウロを置いた未来は部屋に戻ると、着ている白衣のポケットを探ってケータイを取り出した。
「メール?」
目を細くして文章を読もうとするが、視界がぼやけてほとんど見えない。落とすといけないと思って胸ポケットに眼鏡を入れたのを忘れ、眼鏡を探す。
「どこぉ?」
大体の色と形は分かるが、眼鏡の形はまったく見えてこない。結局数分格闘した後、椅子を見つけて腰を下ろした。
「もう……どこいったかなぁ」
開園時間ももうすぐ。眼鏡を諦めた未来はカウンターにあるメモ帳を手に取り、探していたことを忘れて、普通に胸ポケットから赤い縁の眼鏡を取り出した。
「えっと……今日は団体様がお見えになって終わり、か」
メモ帳を最後までめくって目を通し終えると、未来はピタリと動きを止めて自分の耳元にそっと触れた。
「眼鏡……あった」
メールの存在を思い出し、デスクの上のケータイを手に取る。文章を読み終えると、メモ帳まで駆け足で行ってペンを走らせた。
『開園直後、
「何だろう。神様について、何か分かったのかな」
メモ帳をカウンターに滑らせると、ケータイをポケットにしまって園内に入る。そして奥の方へ行くと、黒い土が敷き詰められた花壇が広がっていた。
一人花壇の前でしゃがみこみ、眼鏡の縁を撫でる。だがすぐに足音が聞こえて、立ち上がった。
「早かったのね、聖陽くん。まだ扉――」
振り返った直後、太い手が首を掴み、そのまま壁に叩き付けた。聖陽ではないとすぐに悟り相手の腕を叩くが、歯が立たない。
それでも眼鏡を落とした未来は、正体不明の相手に必死に抵抗した。
「だ……誰、なの……」
相手の鼻息と、何かを取り出した音だけが返事として聞こえる。そして黒い影が、自分の目前に向けられた。
殺される……!
死を覚悟した未来。だが突然、未来の首を掴んでいた手から力が抜けた。
「幹さん!」
「ゲホッ! ゴホッ! ゲホゲホッ! せ、聖陽くん……?」
聖陽が差し出した眼鏡をかけ、状況を把握する。聖陽の隣では、黒スーツの男が白目を向けて倒れていた。
「こ、殺した?」
「これで気絶させただけですよ。まぁ胸に当てたから、場合によっては心配停止してるかもですけど、構いません」
そう言って聖陽は、未来が今まで見たことのない大型スタンガンを振って見せた。白衣を叩きながら立ち上がった未来は、咳き込みながら花壇の方を見下ろす。
「……よかった。めちゃくちゃになってなかった」
「何か植えたんすか?」
「黒百合よ。そういうのもいいかなと思って、ここに植える予定なの。花言葉は怖いけど、魅力的なのよ」
「で、花言葉は」
「“呪い”」
聖陽は怖いと体を振って見せた。未来は微笑み、花壇の前でまたしゃがむ。
「で、メールにはあなたが情報を持ってくるって書いてあったけど、何か収穫はあったの?」
「さすが、先読みの
「いいけど……まず、状況を教えてくれるかな」
警視庁のメール所持者の解雇。そして、殺し屋を雇ってまで警視庁がメールを奪取しようとしていること。自分が持つすべての情報を未来に伝え、聖陽は本題へと話を移した。
「今この状況下で、一人で動ける所持者は少ない。派手に動けば、そこを狙われて殺される」
「それは分かるけど……でも、私に何か出来るかな?」
「出来るから頼んでるんじゃないですか。とにかく、明日俺と一緒に来てもらいますよ?」
「……いいよ、聖陽くんの頼みなら。で、どこに行くの?」
聖陽は倒した男のスーツを脱がし、落ちている拳銃を拾った。スーツの裏側についたワッペンを、未来に見せる。
「勿論、警視庁本部に」
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