冥府の黒神

 中国 日本大使館前


 門前にいるはずの警備員たちが門より後ろで大使館を警備する。門より前に出れば、デモの波に飲まれて無事では済まないだろう。


 突如前触れもなく旗を掲げた市民が現れ、門の前で大声を張り始めてからもう三時間、人は減るどころか増えていき、国の警察機関そのものが動き出していた。


 大きくなり続けるデモ隊を見て、休憩を終えて出てきた警備員が交代した警備員に話しかける。


「今日はまたすごいな。今までで一番、デモが大きくないか?」


「あぁ。しかも聞いたか? 韓国や日本のそれぞれの大使館まえでも、大きなデモが起きてるらしい」


「本当か? こんな同時に、テロなんて起きるものなのか?」


「さぁな……」


 韓国や日本でも、中国に負けない大きさのデモ隊が声を上げていた。日頃の不満と安定しない生活への不安を声にして、届かせたい責任者のいる建物へと発し続ける。


 政治のことをすべて分かりきっているわけではないが、苦しくなる一方だということは分かっている。黙っているわけにはいかない。


 数年前、自分達に暮らしの安定を約束した今の責任者に、そのときと変わらない苦しみを訴え続けた。


 そして世界各国で起きているデモの様子を画面越しに眺め、ハデスはフッと溜め息を漏らした。オーバーオールのポケットから取り出した飴玉を舐め、首を傾ける。


「……今の権力者たち、責任者たち。貴方達が今の地位に昇りつめるために約束したことを果たせていないということが、このデモを生み出したのが分かる? わからないでしょうね。初心忘るべからずというけれど、憶えている人間なんてそういないんだから」


 大使館に投げ付けられるガラス瓶。警察官の盾に体当たりする市民。それらを抑えるため、駆け込んできた自衛隊や警察官が放つ催涙弾。すべてが平等に、少女の目には映っていた。


 馬鹿馬鹿しい。


 つい先日までその人には何の顔もせず納得してついて来てたのに、迂回や遠回りがわかった瞬間から文句を飛ばす。約束をしておきながら、その約束はどんどんと先延ばしにして、自分の権力保持に汗を流す。


 権力者や責任者の苦労なんて知りはしないし、勝手に期待しておいて裏切られたみたいに言ってる方も意味が分からない。結局、ストレス発散のためにデモを利用してるようにしか見えないということに、大人は気付かないのか。

 

 そんなことは、この子供の目には早々に映っているというのに。


「学校で同じことを学んでるはずなのに、大人を見ると馬鹿馬鹿しさばかり感じるのは何故? 答えられるのなら……答えてみせてよ」


 ハデスがポケットから取り出したスイッチが、デモ隊の中心で爆発を起こした。人々が吹き飛び、悲鳴と困惑の声が響く。だがその声は、画面からまったく聞こえてこなかった。


「今度は助けを求めてるの? 状況に応じて言うことも変える……八方美人もいいとこだわ」


 容赦なくスイッチを押し続け、人々が吹き飛ぶようすをジッと見つめる。狂ったように笑うことも、聖者のように泣くこともせずにただ見つめていた。


 その後もスイッチを押す指は止まらず、デモ隊をどんどんと小さく散らせていく。その指を止めたのは、ゼウスの白く細い指だった。


「止めなさい、ハデス」


「……帰ってたの?」


「今さっきです。それより、殺戮はいけません。今はまだ、人類滅亡のときではないのですからね」


「私にとって、人間は私達だけだもの。これはゴミ処理に等しいわ」


「……とりあえず、今は止めなさい。神様は殺戮を好まない」


「私に、死と冥府の神を名乗らせてるのに?」


「えぇ」


 ゼウスが微笑むと、ハデスはゆっくりスイッチを手渡した。スイッチを上着の内ポケットに入れて、背を向ける。


「例の件、準備は進んでますか?」


「順調よ。大丈夫、今の社会を動くゴミに見つかるなんて、ありえないわ」


「そうですか。ではその前に、やって欲しいことがあります」


「やって欲しいこと?」


「建物の爆破解体です」


「……後で教えて」


 並ぶ画面の電源をすべて消し、ハデスはトコトコとゼウスについて行った。








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